あらすじ
いたずらっ子で無鉄砲。そんな坊っちゃんがなんと中学校の先生に!? 赴任した松山の中学校は東京とは大ちがい。バッタ事件からはじまる坊っちゃんのドタバタ教師生活はいったいどうなってしまうのか?【小学上級から ★★★】
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Posted by ブクログ
▼角川つばさ文庫版の、「坊ちゃん」。娘(11)に読み聞かせました。原文のママではない。難しい単語は簡易にしてある。それなりに割愛編集もしてある。まあでも大体は元の文調、口調。
▼つばさ文庫の努力の証左なのか、漱石の才なのか、子供はけっこう楽しんだ。寝る前に、10分、15分・・・と。10夜くらいかかったか。最後の20ページくらいは、子供が勝手に読んだ。勝手に読み終え、泣いているから驚いた。聞くと「清が死んじゃった。可哀そう」。成程。
▼「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」
末尾の文。完璧です。簡潔、潔さ。ファクト。
でも物凄く詰まっています。
▼結局は、坊ちゃんの清への愛の物語である。あらゆる人々の、「清、的なるもの」への慕情と惜別の涙の物語であろう。強烈に感傷的で、恥ずかしいことです。それを、ギュッと固ゆでにして表現した一文。
末尾がここまで心に刻まれる小説は他に無い。
▼以下、どうでも良さそうなことなのだけれど。
「養源寺」の三文字は、本文中に2回出てくる。一度目は、中盤あたり。坊ちゃんが「山嵐」について語るくだりで、
<父の葬式のときに、養源寺にかかっていた掛け軸に描かれていた韋駄天に似ている>
というような文がある。
さりげなく?父の墓は養源寺にあると分かる。坊ちゃんの、家代々の墓がそこにあるのだろう。
▼そんなことは大抵の読み手は、末尾に至る頃には忘れている。最後まで読んで、
「ああ、途中でたしか養源寺って言ってたもんね」
と、思いつく人がいたらスゴい(そうでもないかも知れませんが)。自分は何度も何度も読んでいるが気が付かなかった。
だから末文の「養源寺」は、唐突と言えば唐突。だが素敵なことに相違はない。
(自分の読み方が雑なだけかも知れませんが)
▼いつだったか、数年前。初めて電子書籍で「坊っちゃん」を読んだ。電子書籍なのでふと「養源寺」で、本文全体を検索してみた。2か所出てきた。それで初めて気が付いた。検索しなければ一生気が付かなかったろう。
(自分の読み方が雑なだけかも知れませんが)
▼だけれども。
「つばさ文庫版」だと、1度目の「養源寺」の下りがざっぱりカットされていた。あらら。読み終えてから調べてみて気が付いた。
だからどうこうではありません。
それに、そういうささやかな?省略やカットのおかげで娘も楽しむことができた。......のかも知れない。それで最後に涙できたのかも知れぬ。とすれば、養源寺が末尾だけになったとて、漱石だってきっと文句は無い。.....無いんぢゃないかなあ。