あらすじ
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脳死・臓器移植、受精卵、遺伝子、ヒトクローン……。本書では、生命を操作する技術がどのような論理にもとづいて正当化されていくのか、何が暗黙の前提とされているのか、そこで見落とされた視点は何か―組織された言説構造を浮き彫りにする。
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Posted by ブクログ
脳死移植、不妊治療(補助生殖技術)、ヒトクローンを事例に、日本での生命倫理学について書かれた本。
(パブリックコメントなどの手法が医療や科学行政発生と初めて知った。)
「原子力発電所事故による被曝」をどうするのか、ということも、きっとこの分野が活躍するのだろうと思う。
第一章から第三章までで先述の事例を医師、科学者の学会、審議会での発言やメディア等の報道などで丹念に拾い、第四章で日本における生命倫理学の役割について論じている。
専門性…職業として問題にかかわる人の視点
当事者性…特別に当該の問題に直面した当事者の視点
公共性…社会の構成員としての視点
という視点の分類を提示(P245)、脳死移植、不妊治療、ヒトクローンとなるにつれて「公共性」が拡大していると指摘。
科学技術は「できること」が「したいこと」に先行しているので個別のテクノロジーに次々歯止めをかけようとしても一時的なものだし、そういう倫理的評価システムごとに振り回されている、と筆者は書いている。
それに対し、どうすればよいかの部分を第四章で。
文化/自然を二分してテクノロジーを解釈するのではなく、文化/自然を一つのシステムとしてとらえれば主体/客体は分離不可能となり、価値の変換となる、と解説。
さらに、生命科学・技術を、文化的価値・国家的価値・経済的価値から捉えた後に道徳的価値を別のベクトルで当てはめ規制するやり方には限界があるので、経済的価値が公共的価値に従属するとはっきりさせる、など。
アメリカの場合、生命倫理学が医学とともに発達したのに対し、西洋医学のみを輸入した日本では脳死移植が社会の注目となった時期に生命倫理学がやっと「輸入」されたなど。どの分野も日本の学問は輸入だらけだね。
P302の(6)、「公共性」についての注釈は「さまざまな価値や意見の相違こそが重要であり、それらを強引に統一することが重要であるわけではない」とか、かなり「一般意志」っぽい。(今2.0読み中)