あらすじ
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日常的な飢え、虐げられる女や老人、掠奪やもの乞いの生涯、山や海辺の窮民…ここに集められた「残酷」な物語は、かつての日本のありふれた光景の記録、ついこの間まで、長く貧しさの底を生き継いできた人々の様々な肖像である。
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難破船を糧としている海辺の人びとがいたことは、現在ではほとんど語られなくなっている。
福山のそばで日本住血吸虫による被害があったことは現在では場所が特定されないように書かれている。
からゆくさん、についても書かれているが、これは他書のほうがより詳しい。
1959年版は、活字が細くて薄く、厚いのが欠点である。
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宮本常一の民俗史作品を読んでから、庶民の文化史に関する本を読んでみようと思って探してたら行き当たったのがこのシリーズ。あとがきが大月隆寛、昔、ナンシー関と「クレア」で対談の連載をしていた民俗学者だ。
本作は、シリーズのまとめ的な作品集。だから、いろんな時代、階層、職種にまたがった包括的な「圧制と生活苦にあえぐ庶民」の姿を描いている。
日本の民衆の、なんと貧しいこと・・・貧しいのは普通のことだったのだが、その貧しさもいろいろなのだが、食うためにはそのとき、その場で必要なことはなんでもやる、生き延びるために耐え忍んだという表現がふさわしい。ときには強奪、子殺し、堕胎、捨て子、口減らしのための売り子まで、とにかく生き延びることが最優先だった。自由も利かない、選択肢なんてないような生活だ。これがたった60年位前までの日本人の大多数だった。
いま読んでる途中だが、面白そうな章から読んでいる。女性に関する章と、子殺しに関する章を読んだ。
明治から戦後すぐくらいまでの生活の話だけれど、まあ、昔の女はよく働いたこと・・・身分制度でがんじがらめになってたのは男も女も同じだが、女の場合は男よりもさらに格が下だったので、庶民の生活はほとんど奴隷と同じである。
明治の機織の女工、紡績工場の女工(これはシリーズのほかの本に詳しい)、炭鉱、百姓、芸妓と遊女・・・小さいころから女の生きる先は限られていて、それこそ物心ついてから死ぬまで一生懸命働いた。
百姓のばあさんの回顧などは宮本常一の書いたものだと思うが(本には書き手の名前が書いてない)、苦労をいたわるような視線はとても優しい。百姓のばあさんの記述に、「人の情で4人の子を育てた。人の悪口はいわない、悪さをすれば情をかけてもらえない」というくだりがあって、尤もなことだと思った(P402)。
自分の作ったものに余剰があるとき、いや余剰が無くても、困った人があったらできる限りのことはする、そして人の悪口を言わず、何事にも感謝する。そうしないといざとなったときに誰も助けてくれないのだ。現実的な処世の術である。そのためには、がんばって働かねばならない。人の何倍も一生懸命やるのだ。
また、このおばあさんは「自然が助けてくれた」とも言う。戦前戦後の食糧難も、森に入って栗を拾って草の根を掘って乗り切った苦労。自然に対する謙虚な感謝の気持ちが、美しいなと思った。
こういう日本の庶民の姿勢は、とにかく、奢ることなく、謙虚に、人を助けつつ自分が困ったときには助けてもらう、そういう助け合いの精神が根底にある。人の子供でも、縁があったら助けてあげるのだ。自然にある神を敬い、謙虚に生きる。
伝えるべきは、日本文化のなかでは否定されてきた泥くさい精神ではあるが、自然を拝み、苦しさに耐えて黙々、粛々と自分のできることをやっていく民衆の美しさではないかと改めて思うのだ。
こう書くと、美化しているような感じもするけれど、決してそうではなくて、日本人が誇りにするべきはこういう精神だと思う。残念ながら、こんな共助の精神は、ほぼ死滅状態なんだろうけれど・・・
また、明治までずっと子殺しや堕胎がとても一般的だったことも驚いた。でも、日本ではいまも子供は親の所有物のように考えられているから、昔の延長線上にあるのかなと思うと納得である。間引きは、自分で産んだ子を殺したり産婆が殺したり、いろいろだったようだが、4人も子供を産んだ自分としては、親はつらかっただろうなと思う。10ヶ月もお腹で育て、産む時だって死と隣りあわせで産むのに、生まれたらすぐに息の根を止めるんだから・・・考えると暗黒の時代のように思えるが、これがたった百年前のことなんだから・・・日本のどこが近代国家??という感じである。
ここまでひどい貧困状態が書かれている本なのだが、唯一の希望があるとすれば、人間、相当の限界でも生きていけるのかな、と思えることだ。将来、食べ物にも事欠くような状態になったらどうするか、サバイバルについて考えることができる。いいのか悪いのかわからんが。
あとは、国なんて頼りにしちゃいけないな、ってこと。何かあったら、普通の人は、徹底的に骨までしゃぶられます。西洋的な国民国家の概念は、たぶん日本は外面だけで、中身は違うと思う。
昨年からの原発関係の対応を見るだけでも、私はこの点だけは確信している。
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道ばたに倒れ伏すものは数かぎりなく、はじめのうちこそ死体を埋めていたが、まもなくだれ一人としてかえりみるものはなくなった。いたるところに犬やカラスがむらがって、死体を食いちらす光景がながめられた。
この飢饉のときといえども人間が家畜に近かったのではなく、家畜が人間に近かったのである。
飢えの記録 より
明治十二年九月十三日埼玉県北足立郡中尾村の農民はコレラ流行防衛のために、県が避病院に患者を隔離しようとしたのに対し、村民は患者の生肝をとるのだと誤解しこれを妨害した。
新潟県西蒲原郡では消毒薬をまくのを毒薬を撒布すると誤解して暴動を起こしている。
そこには、無知の暗黒と、じぶんたちの仲間以外の者に対して冷酷なまでの非情が見られるのである。
自然の悪霊 より
堕胎のことを当時の隠語で「水にする」といい、水にされた子どもの死体を水子といった。水子は藁や菰につつんでひそかに川へ流したり、社寺の境内にうめられた。
間引きと堕胎 より
いわゆる「歴史」というスポットに当たることのない市井の人々の暮らし、またはその人間そのものに焦点をあてた編集書籍。まとまりがないと言えばないし、それこそ膨大なのですが、監修者、執筆の協力者(主に民俗学者や)は20人以上。
口承をまとめたもの、語りをほとんどまま(ばりばりの方言)収録したものなど様々です。語り部が暗い部屋でぽつりぽつりと話し始めているような生っぽさ。足を使って集めてきたその「話」の数々は、ときとして悲惨でどうしようもなく、情感溢れる形で、けれども淡々と語られています。
暗記を主にした学校の授業にはない、確かに人が生きていた、という距離感があったように感じました。そもそもそれが民俗学なのかもしれませんが、土地や地域にフューチャーしたというよりかは、暮らし、人、差別的な観点から見られていて、それは現代にも通ずることだと思います。
自然の悪霊の章などを読んで、今も昔も、という感想を抱くのは自分だけではないのかもしれません。コロナの風邪扱い、反ワクチン派、陰謀論。つい最近炎上した某メンタリストも似たような視点のようにも思える。
書籍や歴史をただの知の塊として見るのではなく、過去の悲惨な出来事、暮らしの積み重ねがこの国の一部としてあるということ。
面白かった、ではすまないほど、自覚と自問と気付きのある読者時間でした。
Posted by ブクログ
以前から気になりつつ、ようやく読めました。
日本、というものが、分かるようで分からない。
この本を読めば、一端でも掴めるかと思ったけれど、余計に混乱してしまったかもしれない。
読み終わったばかりで、頭の中で処理されるのに時間がかかりそうです。
ただ、読む価値はある。と、自信を持って言える一冊でもありました。
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「逝きし世の面影」へのカウンターとして。
炭鉱と女衒、後半のこの二つが印象深い。前者は人を人とも思わない労働環境に逞しく生きる女性が、後者はこれまでとは逆に人を使う側のある意味立志伝的な面白さがあった。
読むのに時間がかかりすぎたが、その分考えることも多く得るものもあった。
Posted by ブクログ
「昔の日本は牧歌的で良い時代だった」「最近の世の中はイヤな事件が増えている」という考えの対極にある事実・歴史を口承で記述している。
初版は1959年に刊行された。宮本常一、山本周五郎などの複数の執筆者が、日本全国の市井の辛苦に満ちた人生をヒアリングした記述。
各地方の方言で語られる、窮民、殺戮、略奪、乞食、堕胎、鉱山で働く女性、遊女、女衒、飢饉などに関するストーリーは迫力がある。
とりわけ、盲目の馬喰の一代記「土佐檮原の乞食」、山梨の上野原の「おせいばあさんの話」、明治時代のシンガポールを本拠地に活動していた「女衒 村岡伊平治伝」は面白い。