あらすじ
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歴史的な“転形期”をむかえているいま、未来を拓くモノ作りとは? 古今東西の建築の歴史を自在に読み替え、生きのびるための技術を練り上げる。「いま、モノ作りをすることの希望の根拠」を語る講義。建築家・石山修武の思考の軌跡。
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Posted by ブクログ
全体を通して実に爽快な本なのである。
何かを模倣することでしか創作できないこと。模倣することがなぜこれほどまで後ろめたさのあることなのか不思議になるほど、すっと模倣することひいては創作することに前向きになれる。
あくまで建築に関して述べているのだが、やはり石山先生は教育者としても素晴らしく、散りばめられる言葉たちは皆若者の道しるべとなるものばかりであった。
天才ではない。ユニークで、時流に乗っている人だとは思わない。しかし確固たる自分であるための努力を地道にしてきた方なのだろう。
ところでコルゲート建築はなぜ、広まらなかったのだろう。真に必要なことや合理的なことは実はそんなに大切なことではないのかもしれない。建築は小さい。だから個人のエゴによって建ってしまう。しかしながら全体のうちの一部ととらえるには大きい。だから個人のエゴを抑えることはできない。街並みにばらつきが産まれる。これも豊かさと自由が生んだ混沌という造形だろう。
Posted by ブクログ
30代最初の一冊。
ずーっと読もう読もうと思ってようやく。
学生の頃わからなかった、石山修武の凄さが今なら少しわかるかも。
教育しやすいモダニズムにモロはまっていた(今でも好きは好きです)
過去の自分に、違う世界を知らせたい。
コルビュジェ、ミース、カーン、バックミンスター・フラー考察などなど。
面白い発見がありました。
Posted by ブクログ
川井健二→石山修武→森川嘉一郎 という師弟関係の流れが、少し面白い。石山修武は、やっぱり変な人なんだけど、川井健二と森川嘉一郎を繋ぐ存在として捉えると、この人のことが少し理解できる、気がする。ちなみに代表作「幻庵」は、石山修武にとって師匠越えを狙った作品だそうだ。
とにかく引用したくなるメッセージがたくさんある良書であった。師匠・川井健二の言葉も重みがあり、「材料の値段を知らずに設計をするな」(手元に本が無いので、大意)というのは、建築設計に携わる人は胸に刻んでおくべきだろう。
ところで、「バルセロナ・パビリオンは、床下にライトを仕込んで壁と床の隙間から光を照らす計画があった」って石山修武は言っているが、これ本当か?
Posted by ブクログ
石山修武さんはおもしろい人だ。自称“建てない建築家”坂口恭平の師匠筋で、さらにその師匠は丹下健三の参謀もつとめた川合健二氏だそうで。
作っている建物とコンセプト、考え方を追っていくと、どう考えても建築界のアウトサイダー、サブカルのドンにしか見えない(間違っていたらすみません)。
著書「生きのびるための建築」では、ひととおり大家について語っているものの、一番影響を感じるのバックミンスター・フラー。最も偏愛してそうなのはヤニス・クセナキス……数学を媒介に、建築と前衛音楽を橋渡しした世紀の変態。
見たい建物が一気にふえた。まずは俊乗房重源上人の建てた東大寺法華堂と浄土寺浄土堂!
Posted by ブクログ
(サティアンについて)これはグローバリズムの建築の表情と酷似しています。汚いのだけがグローバリズムとの差異です。p.134
僕らはバウハウスとかの合理的で、シンプルで四角っぽい様なものが良いとされる思想に侵されているのかもしれない。
工業的なものは人の手から離れて修繕が難しいが、手で作業することのが如何に生死に近いかということだ。
石山修武の眼光は鋭いと思う。古典から現代に至る建築の本質を如何につかむか。早稲田の学生はこいうことを教えられるのだと思うとすごく羨ましい。しかし感性がなければダメだなとも痛感させられた。
坂口恭平も彼の指南無しにはあり得なかったということがよくわかる。