あらすじ
知らないうちに私たちは,生活のなかで,詩のことばを生きている.しかし,詩とは,なにをするものなのか? その意味を考えることは,あなたと世界とのあたらしい関係をひらくことにつながっている.詩をみつめる.詩を呼吸する.詩から飛ぶ.現代詩作家,荒川洋治が,詩の生きる時代を照らしつつ,詩という存在について分析する.
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
本書は、詩にまつわるエッセイ集である。
(詩の特色、詩の歴史、詩人紹介、詩の将来等)
様々なエッセイがあるが、「散文は「異常な」ものである」「作者になること」が特に印象に残った。
前者の内容は、詩は人間の感覚的思考の働きに近いものであるのに対し、散文は読み手に伝えることを優先するため、この感覚的思考に沿わないような文章を書くとのことだ。まるで脳天をかち割られたような衝撃を受けた。詩とは詩人の脳内世界の表象だったのだ。
後者の内容は、読む詩の作者になることで、詩をより理解しやすくなるという論旨であった。試しに書かれている方法をやってみると、詩に対する視野がすごく広まっていることがはっきり分かった。その方法とは、読む詩の作者になりきることである。詳しい内容は本書を読んでみて欲しい。
本文から引用させていただくと、「詩を読むことは、詩を書くことなのだ」
詩の読み方や特色だけでなく、簡単な詩の歴史を説明していたり、知名度がまだ低い詩人の紹介もしていた。
詩に対する私の世界観が広まった。そんな一冊だった。
Posted by ブクログ
Ⅰ詩のかたち
Ⅱ出会い
Ⅲ詩を生きる
Ⅳこれからのことば
の四章から成っています。
著者の荒川さんは詩の歴史をあまり知らないと述べられていらっしゃいますが、私は高校の教科書程度しか知らなかったのでかなり勉強になりました。
特に、北原白秋・萩原朔太郎・室生犀星の三人のかたい結びつきなども面白く読めました。
「これまでの現代詩は『時代という愛情』に包まれていた。戦争があり、闘争があった。政治の季節には政治があった。(中略)いまは時代も、たたかう相手も鮮明ではない。読者もいない。何もなくなったのだ。(中略)だとしたら、ここから本当の詩の歴史がはじまるのかもしれない」以上抜粋。
「唱歌」 石垣りん
みえない、朝と夜がこんなに早く入れ替わるのに。
みえない、父と母が死んでみせてくれたのに。
みえない、
私にはそこの所がみえない。
(くりかえし)
著者は「詩の歴史も、この父や母のように何も教えてくれない。詩はひとりになった。詩は人が生きるということに、いまとても近づいているのだと思う」と述べられています。
Posted by ブクログ
「詩のことばに象徴されることばがまわりから消えて、これまでなかったようなへんなことがあちこちで起きる。詩は、人間に何かを教えていたのだろう。それを失った人にはわからない、何かを。」<詩のようなことば>全体が遠ざけられているという危機感が、ひしひしと伝わってくる。詩人のエッセイなので、文章にも著者独特のリズムがある。散文を読みながら詩的表現も味わえる。
詩と散文の違いについて腑に落ちる解説がある。「散文はつくられたものなのである。散文そのものが操作、創作によるものなのだ。それは人間の正直なありさまを打ち消すもの、おしころすものだから、人間の表現とはいえないと思う人は、散文だけではなく詩のことばにも価値を見る」「詩を思うことは、散文を思うことである。散文を思うときには、詩が思われなくてはならない。ぼくはそのように思いたい。」
この本は<ことばのために>というシリーズの一冊として2004年に刊行されており、これはその文庫化であるが、7年以上経過したことにより、新たに書き下ろされた6編の文章も加えられている。ものをしっかり見る人がいなくなったことに触れた「眼と社会」や、若き日の与謝蕪村がすでに「自由詩」を書いていたことを発見する「君あしたに去りぬ」には、詩のことばが現在も昔も、時代を越えて息づいていることに気付かされてはっとさせられる。
しかし、最も重要な指摘がなされているのは「詩の被災」である。東日本大震災の後で、大量の詩や歌が書かれていることへの違和が表明されている。「誰も何も言えないのをいいことに増長、拡大。人々の求める方向に流されていったのである。翼賛的な空気もあった。」日本は被災したが、詩も被災し、ことばも被災しているというのだ。ことばは時間をかけて書かれなければならないのに・・・。こんな勇気ある発言をできるのは、やはり著者が「詩とことば」を大切にしている「詩作家」であるからだろう。
Posted by ブクログ
タイトルの通り、詩と言葉の関係性およびそれらの特徴、詩に関する知識などが得られる。
私の読解力では星5評価を付けることができないことが悔しい。いつか満点の評価を付けられるよう、読者として精進するつもりである。