あらすじ
今の輝きが、すべてじゃない。
過酷な医学部受験、その先にあるものとは――。
注目の作家が描く、ほろ苦い青春。
開業医の息子で、絶対に医者にならなければならない千浩。
真面目で努力家、あこがれの医者をまっすぐ目指す睦。
なんとなく周りに流されて医学部を目指している耕平。
タイプも様々な三人が出会ったのは、医学部受験専門の鳳緑予備校飯田橋校舎。浪人生として“人生のエアポケット”を過ごす彼らは、予備校の近くで行き会った救命救護をきっかけに距離を縮める。上がらない成績、親からのプレッシャー、大学生になった友人たち、挫折、葛藤、焦燥、諦念……。それでも前を向く三人の、よるべのない浪人生時代とその先を描いた傑作青春譚。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
特殊な環境での青春
最後まで、先の展開が気になって一気に読んでしまった
最後は三人で会えたかな?
千浩:開業医の後継ぎ
浪人生。そんな不思議な生き物に、僕はなってしまった。高校生でも大学生でもない。不思議な身分。人生のエアポケットにすぽんとはまってしまったような、どうにも落ち着かない状態。
どこかで歪んでしまったものを直せないまま、あるいは環境のせいでその歪みにも気づけないまま、彼女(二瓶杏奈)はここまで生きてきたんだろう。しかし、だからと言って、自分に何ができたのだろう。医者の子という共通の境遇を持っているだけの僕に。
二浪目の春。宙づりにされているような落ち着かない日々を、これからもまた一年間も過ごす。考えるだけで呼吸が浅くなる。
三浪はしない。ここへ来て、ようやく心が決まった。
成人式に出席しようかどうかぎりぎりまで迷って、結局やめた。
直接的に命を救う。人生を引き延ばす。それがどんなに意義深いことか、僕はこの長い受験生活で初めてリアルな実感を持って考えていた。
積み重ねた勉強だけでなく、浪人中に起こったでき事や出会った人々の全てが僕を成長させ、この身分にふさわしい次元まで運んできてくれたのだろう。心からそう思う。
突然の高校生らしいはしゃぎぶりに笑いながら、あの日々の片鱗を思い出す。どうしようもなく未熟で不安定で、だからこそ尊く、まぶしい記憶。長いこと波に揉まれて質感が変わったからこそ価値があるシーグラスみたいな。
陸:医師に憧れる努力家
努力は自分を裏切らない。もちろん結果がついてくる保証なんてないし、それがわからないほど子供じゃない。なんたって、本命の大学に落ちた。でも、「努力した」という事実は、自分の中にずっと残るから。努力した自分は、次の困難へ立ち向かうときひとまわり大きくなっているはずだから。努力できる人間であることを、自分自身が知っていたいから。
医者になるのは歓迎だけど、できれば国立大へ。そんな思いを娘に伝えることの、両親の精神的負荷やその背景を思うと胸が痛む。大丈夫、わたしは絶対に国立大学の医学部に入ってみせる。これだけはもう、譲れないラインだ。
わたしが、彼女より優秀であることはゆるぎのない事実なのだから。
店の利益を出すためのシステムを無視して、本来にはない権限を使って、自分だけが気持ちよくなって、医学部生であることのプライドを肥大させて。
世の中には、努力だけじゃどうにもならないこともある。そればかりか、努力で達成したはずのものが音をたてて崩れ去ることもある。どうにか解剖実習に慣れてきたと思った頃、子宮切開に入り、わたしはまた医務室に駆け込んでしまった。冷たく硬い臓器から、今にも小さな胎児の兄が現れる気がして。そして、自分がその胎児をうっかり刃先で傷つけてしまいそうなイメージにとらわれて。二回、三回と実習を休んでいるうちにそれが癖になり、とうとう大学に足が向かなくなった。
適応障害と診断された。
『休学を検討しています』
耕平:ノリで医学部を目指す資産家の子
人生怖いものなしだと思っていた。だからあれは、俺の初めての挫折だった。合格発表の掲示板に自分の受験番号がなかったあの日、急に神様にそっぽをむかれたような気がしたんだ。
浪人生。浪人生。なぜだろう、現役大学生にそう言われるとなんだか、うっすら見下されているような気がした。
今輝いているものが、全てじゃないから。今目に見えているものなんて、後世ではきっと全然当てにならないから。なにが功を奏するかなんて、わからないから。一生、わからないものだから。
転落するのは気持ちよかった。気を緩めたら、転がり落ちるのはあっという間だった。
今にして思えば、俺の短い大学生活は二日酔いみたいなものだった。不健康な生活。やばい遊びに誘ってくるクラスメイト。こじれにこじれたサークルの人間関係。溜まってゆくレポート。退学届が受理されたことでそれらとすっぱり縁が切れ、胸の中の醜い魂を吐き出したようにも感じられた。そんな自分に少し、罪悪感も湧いたけれど。
先の見えない不安はもちろんある。突然荒れ狂う海に放り出されたような絶望も、大陸から孤絶した無人島に流れ着いてしまった恐怖も、忘れることはない。けれど、こうして親子三人で向かい合って夕食を食べる毎日は、ある意味では以前の俺たちより豊かなものであるように思えるのだった。誰となにをしても満たされなかった俺の心は今、春の海のように凪いでいる。
ああいう無垢な頃に戻りたい気もするけど、俺は今の自分がちょっと好きなのだ。