【感想・ネタバレ】ダーウィンは進化をどう考えたのかのレビュー

あらすじ

自然淘汰に意図はない。変異は偶然で、生き残りはそのときの環境次第なのだ、と進化をとらえたダーウィン。
『種の起源』はどのようにして生まれたのか?

全ての生物は神が創ったと信じられていた時代に、生物は時間をかけて今の姿になったと唱えたダーウィン。ビーグル号の旅、フジツボの研究――。進化と自然淘汰をどのようにして解明したのか、その人生と共に明らかにする。

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【目次】
第1章 生物の多様さと生物学の構造
第2章 私とダーウィンとの出会い
第3章 ダーウィンの人生――生い立ちから大学まで
第4章 ビーグル号の航海
第5章 『種の起源』出版まで
第6章 『種の起源』の出版
第7章 『種の起源』の出版以後
第8章 思想としての「進化論」
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Posted by ブクログ

長谷川眞理子「ダーウィンは進化をどう考えたのか」(ちくまプリマー新書)
進化論の事実上の創始者であるダーウィンの生涯、どのように進化論のアイデアに行き着いたか、発表にどのような障害があったか、進化論がどのように定着し、スペンサーの社会進化論とどう交錯していったか、などについて詳述。
ダーウィンは有名な医師のロバート・ダーウィンと陶磁器会社ウェッジウッド家のスザンナの間に1801年に生まれた。エディンバラ大学で医学を学び、解放奴隷のエドモントストーンから鳥の剥製の作り方を学び、生物学者グラントから生物学を学ぶ。その後ケンブリッジ大学に移る。生物学や地質学に没頭、医学を放擲し、将来は教区司祭として生計を立てることを考える。そんな時、世界一周の探検航海を計画していたビーグル号への乗船を勧められ、受諾した。1831-1836年の5年にわたる航海となった。アルゼンチンでのオオナマケモノの化石の発見、フエゴ等での未開人との遭遇、チリでの大地震、ガラパゴス諸島での多くの生物観察などを行ったが、この時点では進化論を考えてはいなかったと思われる。帰国後、標本整理を行うとともに種についての考察をノートに記し始める。1839-1846年にかけ「ビーグル号航海の動物学」「同地質学」計8巻を順次出版する。1844年頃、友人に進化論の考えを初めて示した。ただし本格的に世に問うたのは1859年「種の起源」である。ダーウィンは保守的なイングランドの学会で受け入れられるか躊躇していたがウォレスが進化論の論文をダーウィンに送り、ダーウィンは友人と相談し同時発表に踏み切った。
一方、イギリスの哲学者スペンサー(1820-1903)は人間社会の進化を論じていたが、ダーウィンの(生物の)進化論が社会進化論の根拠に使えると考え大いに宣伝した。19世紀の帝国主義や優生学にもつながっていくが、ダーウィン自身の進化論とは別の話である。

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2026年05月31日

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