あらすじ
「やれたかも」と「やりそこなった」は同じか? 執着のないはずの沢井綾子にこだわるのはなぜなのか? 下世話な考察から始まる摩訶不思議な小説は、読者を壮大な迷宮へと誘い込む。船乗りの父と鎌倉の思い出、猫に教えてもらった知恵の数々、フロイト、小津安二郎、カフカ、サザンにビートルズ。1960年代から現代まで、記憶と意識と思考が入り乱れて織りなされる、著者の代表作にして最高到達点。〈21世紀のカフカ〉が贈る、果てしなき物語。
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Posted by ブクログ
「13年ぶり」の「長編小説」だそうだが、これを「小説」と言われると、正直、ちょっと戸惑う。
エッセイあり、論考あり、批評ありのフィクション、ノンフィクション取り混ぜた文集のようだからだ。
やっぱり「カンバセイション・ピース」や「プレーンソング」みたいなのが読みたいなあと思い、「ガンバセイション・ピース」を久しぶりに手に取ったら、「沢井綾子」がいた!(すっかり忘れてた)
どちらも魅力的な女性でキャラはカブるが、ほんとに同一人物か?
それとも著者にとっての「理想の女性像」的な存在なのか?
他にも、「現在」と「過去」との距離感や、「個」と「総体」の関係、ベケットからの引用、そしてお馴染みの愛猫たちなど、基本的には「カンバ…」と同じことを言ってる。
「今はこの形式、文体で楽しんでください」ということか?
作品後半で、現在執筆中の新作に触れているが(これはリアルであってほしい)、こちらもきっと既存の「小説」の形式を逸脱した新しい「文学」を表現するものになるのだろう。
また「13年」は待てないので、早く筆を進めてください!