あらすじ
日本に真言密教をもたらした空海が、渡唐前の青年時代に著した名著。放蕩息子に儒者・道士・仏教者がそれぞれ説得を試みるという設定で各宗教の優劣を論じ、仏教こそが最高の道であると導く情熱の書。
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高野の山に、いまだ即身成仏されて、おわしますといわれる弘法大師が若かりし時に書いた本を、今こうして読めるだけでも、読書冥利につきるというもの。
三つの宗教のエッセンスが、博識のもと披露されます。お酒で有名な獺祭って、カワウソが・・・そういう意味だったのかなど、変なところで感心しながら、
若かりし空海に思いを馳せることができました。
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「はじめに」から引用しますと、法律や道徳だけでは十分でないなにかと信じ込んでみても空しいとすればどうすればよいのというのか、かぞえ24歳の空海は、大乗仏教の精神に活路を見出したのである。
<略>
健全な宗教は爽やかなものでなければならない、まさに泥水から頭を出して花開いた純白の蓮の花の如きものでならない。「三教指帰」にはこの爽やかさが感じられる。
私たちは、この純粋な一青年の、いつわらない心の推移とようやく求め得た大目的とを、すなおに受けとめてみようではないか。
となっておりまして、中身ですが
序章 この書物を書いた理由
第1章 亀気先生の主張
第2章 虚亡隠士の主張
第3章 仮名虎児の主知
弘法大師空海略伝
となっています。
大乗仏教こそ真理であると信じた若き空海が、儒教、道教の仏教に比してたらない部分を語っています。
読み終えて、空海にまつわる「因縁」というものを思ってしまいました。叔父から教わった徹底的な現世における人の倫の学問、そして唐に渡り、劇的な恵果との出逢い、そして、帰国後の嵯峨天皇との出逢い、また、ライバル?最澄の存在、等々。
空海が保持していた本源的なポテンシャル、そして、努力、その結果として、後世の人間も空海から時空を超えた悟りに触れさせていただいているわけです。
人間、一生、菩薩の道を歩むわけですが、原初(おおむかし)からいまにいたるまで初めというものもない六道をめぐる最中の私ですが、必ずや仏陀の後継者たる弥勒菩薩の教えに巡り合えることを信じて、日々、心して暮らしたいと思いました。
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「儒教」の亀毛先生の主張。
人間は動物のように本能に偏った生活をしてはいけない。
口を慎み、孝を実践しなさい。
学問の道や政治の道でもしっかりしなさい。
善い連れ合いを持つべきです。
その上を行くという、「道教」の虚亡隠士(きょぶいんじ)の主張。
彼はわざと愚か者のふりをしていた。
彼は仙人の道を説く。
万物を生成し育むもののの差別のなさを説く。
道教を伝えるには人を選ぶ。
仙人の優れた境遇、秘術について。
そして、世俗への批判。
そして、最後に、「大乗仏教」の仮名乞児(かめいこつじ)が現れ、前者の二人を諌める。
それは孔子の道も、道教の道にも通じるものである。
二人とも、「自分こそが正しい、一番だと思って、この世だけの弁論を戦わせている」と。
仏教は全体の真理であり、儒教、道教は仏教の一部分と、彼は説く。孔子も老子も仏陀の弟子の生まれ変わりである、と。
そして、肉体、五蘊の虚しさ、無常の理、
そして死後の逃れられない地獄の苦しみの世界をありありと説き、人々を恐れさせる。そこには神仙もなければ、金銭や名誉も意味を為さない。
宇宙の成立や破滅までの、人間の考えも及ばないような仏の世界に両者ともうなだれる。
仏陀の一切衆生を救わんとする偉大なる慈悲、真理と主体が一体になった世界を示す。
若き日の、命がけの猛勉強をした若き日の空海が書いた最古の戯曲とも呼ばれている。
実に空海は偉大だと思った。
乞児の説く仏のスケールの偉大さは、現代でも変わることのない宇宙観だろう。
道をいちずに求めた挙句、儒教や道教を仏教に取りこんでしまうあたりなど、空海らしさというか、まあ。
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現代語訳の部分しか読んでませんが、かなり読みやすい本でした。
空海が学ぶということに大してなみなみならぬ思いを持って取り組んでいたのだなということが感じられます。
遣唐使として唐の国にいったとき、密教の師匠から自国の弟子を差し置いて異国の留学生が一子相伝の教えを受けるなど、想像もつかないほど勉強をしたのだろう。寝る間を惜しんで、というか勉強以外してないのでは?というくらいなのかも。自分が限界だーって言ってるのは恥ずかしいかもと思った。
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文庫サイズのすべてにおいて優しい本です。空海さまの哲学…例えが
「これでもか!」と染み渡ります。空海は原本に限る…とは大学の教授のことば。ジワッときます。宗教書を超えて楽しむべき内容です。
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難解な本かと思いきや、寓話、たとえ話で考えを伝えていく、というスタイルなので、とても読みやすく、わかりやすいです。短いので、一度手に取ってみることをオススメします。
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空海さんの書いた本が読んでみたくて読んだ。
自分が仏教を志すに至ったこと、
それが不孝不忠ではないと親族らへの説明
として書かれた戯曲形式での書物。
官学として儒教を学び、
また道教についても学んだ空海。
どちらにも世界の真理を見出せず
たどり着いた仏教。密教。
登場人物の儒者、道士に
それぞれの学問について語らせる。
たくさんの引用が出てきて
各学問を如何に学び深めたかが
散りばめられている。
(これを読んだら、空海さんの支援者も
納得せずにはいられなかったろうと想像する)
仏教者としては、
自身の投影の役者も登場させる。
この3章は読みごたえがあった。
書き下し文は読んでないが
暇を見て読んでみたい。
訳者の加藤精一さんは
祖父や父の代からの研究者らしい。
手に入りにくそうだが、
『十住心論』も読んでみたい。
『秘蔵宝鑰』なども読んでみたい。
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逝く川の流れは常に流転して住(とど)まることがない。急風(つむじかぜ)は幾たびか、音たてて過ぎかつ消えていく。このように六塵(ろくじん)(色・声・香・味・触・法)の世界はすべて無常であり、人々を溺らせる「迷いの海」であり、常・楽・我・浄という四つの徳性を備えた涅槃の境涯こそが、彼岸にそびえる目標の岑(みね)。三界(このよ)は私たちの真の自由をさまたげる束縛である。空海『さんごうしいき』弘仁貞観。平安初期
三密。印を結び、真言を唱え、仏の姿を感得する。手の指で様々な形を作り、神聖な言葉を唱え、心に大日如来を観ずる。そうすれば、大日如来と修行者は合一し、現世でその身のまま悟りを開くことができる(即身成仏)。神秘体験。何度も生まれ変わって善行を積む必要はない。
心暗きときはすなわち遇(あ)う所ことごとく禍(わざわい)なり、眼明らかなれば途に触れて皆宝なり。空海『性霊しょうりょう集』巻第八
欲心をもって異性を見る、欲望が矢のように早く激しく働く、男女の触れ合い、男女の交わりの何ともいえない恍惚(こうこつ)、男女が抱き合い満足してすべてを征服した気持ちになる、これらは清浄な菩薩の境地である。自慢する心、ものを飾って喜ぶ、満ち足りて心が輝く、身体の楽、目にする色、耳にする音、香り、味、これらは清浄な菩薩の境地である。『理趣経りしゅきょう』7世紀
※理趣経の注釈書(理趣釈経,不空訳)を借りたいという最澄の依頼を空海が断り関係悪化。
※長安の青龍寺で恵果けいか和尚から密教のすべてを伝授される。
※真言八祖。龍猛(龍樹150-250)。龍智。金剛智。不空。善無畏。一行(唐)。恵果けいか(唐)。空海(774-835)。会昌かいしょうの廃仏(845、唐末・武宗による仏教弾圧)。
※嵯峨天皇から帰依を受け、東寺を与えられる。
※醍醐天皇より「弘法大師こうぼうだいし」の号。
※御遠忌(ごおんき)。50年に一度の法要。次は2034年。
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大日如来。マハーヴァイローチャナ。永遠不滅の真理を表す。天照大神と同一視されることも。
五色幕ごしきまく。五智如来を表す。白=大日如来、赤=阿弥陀如来、黄=宝生如来、緑/青=阿閦如来、紫/黒=不空成就如来
五大明王。不動(大日如来)。降三世ごうざんぜ(欲・怒・愚を降伏させる,シヴァを踏みつけ降伏させる,あしゅく如来)。軍荼利ぐんだり(ヘビ毒で煩悩を消す,息災延命,宝生ほうしょう如来)。大威徳だいいとく(水牛,阿弥陀如来)。金剛夜叉(金剛杵,不空成就如来)。
愛染明王。愛欲を浄化。時代が下ると恋愛成就の意味が付加される。遊女の守護神。
孔雀明王。恵みの雨を降らせる。
両界曼荼羅。金剛界(大日如来が煩悩を打ち破る力、時間、左)。胎蔵界(大日如来がもつ理性、空間、右)。▼金剛界大日如来は智拳印。胎蔵界大日如来は禅定印。
○密教。ヒンドゥー教の影響で神秘的儀式・秘密ヨーガを取り入れる。
○インドでの成立時期。法華(日蓮宗)、禅、念仏、密教。密教は仏教の最後の姿。
○ホーマー(護摩)。火によって人間の汚れを浄化する行法。バラモン教。
○ソワカ(成就)。サンスクリット語(梵語)。真言宗では音を大切にする。▼南無大師だいし遍照へんじょう金剛。弘法大師に帰依します。
○アーチャリー(高僧)。阿闍梨あじゃり。
○月輪観がちりんかん。心を寂静にして、本心は清浄完全な満月と等しいと観ずる。
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空海が若干24歳にして記した宗教本。当時の言わば"不良"とも言える蛭牙公子を改心させるため、釈尊の仏教、老子の道教、孔子の儒教それぞれの教えを仮名乞児、虚妄隠士、亀毛先生の三名に語らせるという形式を取る。最終的に加名乞児の語る仏教に軍配を上げ、以って仏教の素晴らしさを説くという内容。
これがなんと千年以上も前に書かれたというから驚きだ。本書には原文も付されているが(読んでないけど)、現代語訳がとても自然なので、この現代語訳だけ読むとあまり違和感を感じないところに一番感銘を受けた。古典というと言葉だったり漢文調だったりその文章形態によって近づき難いものだという印象を受けるが、現代の言葉で読むと結局人間が追い求めるものやその本質的な部分は変わっていないということがよく分かる。まぁ感心するところが少し違うかもしれないけれど。
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空海が24歳の時に書き記したとされる書。ですから空海の思想のすべてが述べられているわけではありません。ですが、原点はここ。そしておそらくはそれほどぶれることなく空海の思想を完成させていったと思われます。
また、空海の学びに対する真摯で強烈な想いも伝わってきます。これに比べれば現代の受験戦争など、、、と思うはず。
結果的に儒教や道教の批判になっているので、その道を信じる方々には不満もあろうかと思います。一般的な意味での処世術、現実社会を生きていく上では儒教のほうが有効性が高いとも考えられてますから。
ただ、もし読む機会があるのなら、大乗仏教のスケールの大きさを感じてほしいと思います。目先のことで悩んでいることがばかばかしくなりと思うます。
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幾つもの著書がある空海だが、24歳の若かりし頃に書かれた空海最初の書。儒教、道教、仏教があるがやはり最強は仏教という話を戯曲のような感じで3人の登場人物によって書かれている。ビギナーズなので読みやすく分かりやすい、また後半の空海についての短いストーリーも楽しく読めた。
Posted by ブクログ
・本当に単純な童話のような物語なので、私のように、仏教の歴史、特に空海の生涯について疎い人が読むと、後の921年、醍醐天皇によって、弘法大師の諡号を賜るほどの僧が書いた本とは思えないかもしれません。
『般若心経秘鍵』に続いて手に取った『三教指帰』は、空海が24歳の時に作成した『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を、空海が入唐の際に中国に持参し、本場の学者たちの教えを参考にして(帰国後と推定されるが)序文を改め、韻のふみかたなどを修正して3巻に分け、改名して世にだしたものとのことです。
『密教の聖地 高野山(サンエイ新書)』などによると、『聾瞽指帰』には、18歳で大学に入るも、1年で退学し修行を始めた理由について、出家を反対する親族に対する宣言書とされていたので、この寓話のような物語は、意外でした。
「およそ文章を作るには必ずその理由があります。空が晴れ渡っている時には必ず太陽がそのおおもと現れているように、人が心になにかを感じた時にこそ、人は筆をとって、その想うところを文章であらわすのです。―文章と人間が心の内に動く思いを外に移すのです。私はどうしてもいまここで私の文章にして述べたいのです。」
弘法大師空海は、24歳の時、こうして処女作である『三教指帰/さんごうしいき』をあらわした。語り継がれ、歴史に残るものが誕生する時、このように、創作者の使命感に突き動かされた衝動があるように思います。
Posted by ブクログ
空海が若いころに書いたもので、儒教、道教、仏教の
教えの比較をしている。
これらが今でも正しい解釈なのか、知見がないので何ともわからない。空海が優れた思想家であったことは読み取れる。
再読は不要。
Posted by ブクログ
72点。「文の起り、必ず由あり。〜(中略)〜勒して三巻と成して名づけて『三教指帰』と曰う。唯、憤懣の逸気を写せり。誰れか他家の披覧を望まん。」と24歳の空海がどうにもこうにもやみがたい気持ちで仏道に身を捧げる所信を記した、三幕一場構成の戯曲。
自由気ままな生活をしている青年のところに儒教の先生、道教の先生がやってきてそれぞれの教えを説いてるところに、仏教(モデルは本人)の先生がちょまてよ。いやおまえらさ…と大乗仏教の広さと深さを説き、「はい、おまえら全員論破。」で大団円。みな合唱。で幕。。
儒教や道教は仏教と比べると何と一面的でうわべの教えなんでしょう、ガックシ。と恥じ、哀しみまたは笑い…。そこまで言わんでいいだろうと。
現実的な処世術としては仏教より他が勝ることだってあるのは間違いないし、要は視座の問題。
しかし大乗仏教の凄さはそのスケール。「所詮人間の言うこと」くらいに風呂敷ひろげられたら、「やっぱ見てるとこちげーわ」ってなんでも許せちゃうかもなあ。