あらすじ
「A級戦犯」と簡単に口にするが、あなたは東条英機他27人の、いわゆる「A級戦犯」たちが何をやったか、やっていないか、じつは何も知らないのではないか? まるごと「A級戦犯問題」の本!
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Posted by ブクログ
本当に、ゴー宣シリーズからは今まで知らなかったことを知ることができる。まぁよしりんも言ってるとおり、よしりんの言うことすら疑って、裏を取る必要があるんだろうけど。本当にA級戦犯のことなど何も知らなかった。どうして東条英機ばっかり有名なんだ。こないだやってた映画「日本のいちばん長い日」はどういうストーリーだったんだろうな。今ネットで見たら、ちょっと出てくる人もいた。漫画は少なく、文章で一人一人紹介している。本当は戦争を避けようとした人ほど戦犯とされ、死刑になってる感じだ。ほんと、事実ではなく、戦勝国側の勝手な意思で戦犯にされ、殺されたのだ。どうしてこういうことを学校で教えないんだろう。テレビで教えないんだろう。やっぱGHQの洗脳なんだろうなぁ。最後のパール判事が日本東京裁判の4年後に日本に再訪した話、亡くなる前の無言の講演の話はとても良かった。こういうことをもっと広めるべきだと思う。
Posted by ブクログ
チェック項目10箇所。東条英機……「勝者の裁判はうけたくない。勝者の勝手な裁判を受けて、国民の処置を誤ったら国辱だ」、開戦当初、勝ってた時は「我らの東条さん」と、庶民にも人気だった東条だが……終戦後は日本一悪評の人だった、負けたとたんに国民は手の平を返した。東条は戦争回避のため首相になった、だがすでに世論も開戦論が大勢だった、極限まで譲歩した甲案、乙案に対するアメリカの返答は全面降伏を迫るに等しいハルノートだった。後にパール判事は「ハルノートのようなものを受け取れば、モナコやルクセンブルクのような国でもアメリカに対し武器を持って立ち上がったであろう」と断じた。昭和18年11月、東条を議長にアジア各国代表を集めた大東亜会議が開催され、大東亜宣言を採択した、現地の日本軍の行動に批判的な者もいたが、自国を苦しめている最大の敵は米英白人による搾取と人種差別であるという認識では一致しており、「大東亜戦争はアジア解放のための戦争である」という理念の宣言には大きな意義があった。近衛文麿……「このまま東条に政権を担当させておくほうがよい。戦局は、誰にかわっても好転することがないのだから、最後まで全責任を負わせるようにしたらよい」。東条は戦争の途中で更迭されている(サイパン玉砕後に総辞職)。中国は現在、登場を極悪人と非難するが、登場は満州事変・支那事変の開戦決定には何も関わっていない、昭和15年に陸相になるまで、政治には関わったこともない。東条が首相になった時には、もう誰が首相でも開戦も敗戦も避けられないにっちもさっちもいかない状況だった。「君が生き残っても、僕についてはすこしも弁解してもらいなくない。僕はただに絞首の辱めを受けるだけでなく、永遠に歴史の上に罵りの鞭を受けなければならないからである」(東条英機)。いわゆるA級戦犯の処刑日は12月23日、GHQは、現在の天皇、当時の皇太子の誕生日をわざわざ選んで処刑を決行したのである。残念ながら未だに戦争を「犯罪」とする法律は存在しないのだ、「法なければ罪なく、法なければ罰なし」、これはアメリカ憲法の第一条にも定められている法治主義の根本原則である。第一次大戦後欧米諸国は「戦時国際法」で「交戦法規」を定めた、①一般住民、非戦闘員に危害を加えてはならない、②軍事目的以外を攻撃してはならない、③不必要な苦痛を与える残虐兵器を使ってはならない、④捕虜を虐待してはならない。戦勝国の戦争犯罪人は誰一人して裁かれなかった、敗戦国の「戦争犯罪」だけが裁かれた。パール判事……「勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは敗戦者を即時殺戮した昔と、われわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである」。マッカーサーは「東京裁判」の終了から2年も経たない1950年、トルーマン大統領に「東京裁判は誤りだった」と告白したという。1931年満州事変、1937年支那事変、1941年大東亜戦争の時の内閣が全部違う。1953年に定められた遺族援護法では、旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は日本の国内法では罪人とみなされないという判断基準が明確に示された、これにより「A級」も「BC級」もなく、日本から「戦犯」は消滅したのである。