あらすじ
我が家の25年は“失敗例”です。
医学部に通うほど優秀だったが、統合失調症の症状が現れて突然叫びだした姉。姉を「問題ない」と医療から遠ざけ南京錠をかけて家に閉じ込めた、医師で研究者の両親。そして変わってしまった姉を心配し、両親の対応に疑問を感じながらもどうすることもできずにいた弟。
20年にわたって自身の家族にカメラを向け続けた弟・藤野知明監督による映画『どうすればよかったか?』は、2024年12月に公開されるとすぐに口コミで大きな話題を呼び、全国の映画館で満席や立ち見が続出。動員数は16万人を突破(2025年12月18日時点)し、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットを記録しています。
書籍版となる本書では、映画に入れるのを断念したショッキングな家族の事実や、姉や両親と過ごした時間の中で味わった悲しみ、怒り、混乱、葛藤、喜び、希望など、映像では伝えきれなかった様々な思いを監督自身の率直な言葉で明かしています。
ひとつの家族の歴史を追体験するうち息を呑むような衝撃に心を撃ち抜かれ、「家族とは?」「人生とは?」、そして「どうすればよかったか?」と問わずにはいられなくなる――ままならない思いを抱えながら、それでも誰かと生きようとするすべての人に届けたい一冊です。
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Posted by ブクログ
どうすればよかったか?それはもう誰にもわからないが、そのわからなさ、そして家族の、人と人とのわかり合えなさ、その事実が切り出され示されている。
もちろん希望ではないにせよ、それが絶望として描かれているかというとそうではない文体が貫かれており(ここの塩梅が絶妙なのだが)、それは筆者がその事実をはっきりと受け止め切っているから、ときに激昂し落胆し、何もかもを壊したい欲求に駆られながらも家族と自分をうまく切り離して少しずつ前に進んで受け止め切るのに、姉が統合失調症を発症してから入院するまでの25年が掛かったから。姉や家族の物語だけではなく、筆者の物語でもある。
Posted by ブクログ
映画が話題になっていたのは知っていたのだが観る機会が無く残念に思っていた。しかし、本屋さんで書籍が売っているのを発見し即購入。
統合失調症ではないが、精神病を患った事がある者が身内におり(現在は寛解している)少し自分事のように感じながら読み進めた。
80年ちょっとしか生きない人間にとって25年という歳月はあまりに長く、多くの時間が病気によって奪われてしまったのだろうなと思った。お姉さんが晩年、少しでも幸せで自分らしく生きられたのなら嬉しいなどと、精神病で苦しんでいた身内を知っている側からすると勝手にそんな風に考えていた。
お父さんが後年お姉さんへの対応を聞かれた時に恐らく事実とは違うであろう事を答えた時、とてもショックだった。
しかし、人の記憶は曖昧で自分の都合の良いように書き換えてしまうものであり、お父さんにとってはもしかしたらそれこそが真実だったのかもしれないなと思った。
この本も著者である弟からの視点でのみ書かれているため(しかも当事者であった方々はもういない)、“本当の真実”が何であったかは神のみぞ知るのかもしれない。
Posted by ブクログ
映画版を見る機会が多分ないので書籍を購入。いつも通りBOOKOFFオンラインにて。ほぼ定価。
姉が統合失調症になった弟の25年の記録。8歳違いの姉がだんだん言動がおかしくなっていくのを、そして頑なに病院に連れて行かない両親を見続けた記録。
統合失調症というのは原因不明の脳の疾患ということらしい。過度のストレスが引き金になっているように素人の私には思えるが、同じストレスを受けても発症する人としない人がいるから要するに原因不明ということなのだろうと解釈した。
タイトルの「どうすればよかったか?」というのはこの著者の心からの問いではないかと思う。姉がおかしくなっていくのをどうすればよかったか?もそうだし、頑なに医者に姉を診せない両親をどう説得すればよかったか?ということだと思う。
精神病に対する偏見は今もあると思うが、一昔前はもっと酷く患者の扱いも酷かったとしても、自分たちでどうにかしようとした著者の両親(2人とも医師)は正しかったのかどうか。それは愛情だったのかそれとも世間体だったのか。
Posted by ブクログ
映画の鑑賞から時間が経ったものの、内容の補完としては非常に重要なものだった。
作品の冒頭から、断片的な記録といった体裁だからこそのインパクトがあったのは間違いないが、本著を踏まえて眺めると登場人物たちの「どうすればよかったか」という問いへの答えは、より一層複雑であることがうかがい知れる。
著者の経歴は今なお特異なものに映るが、この家族の関係性の中で野心的な形で結実したことが理解できた。
Posted by ブクログ
職業柄読まねばならぬと思っていたが、読み始めたら一気読みだった。本書の筆者は映像作家の方だが昨年同タイトルの映画を公開。マイナーながらヒットしたように思う。著者は基礎医学研究に従事する医師夫婦の長男であり、統合失調症を患った姉を持つ。本書で扱うのは、医師夫婦のもとにいたにも関わらず、疾患を否定され、適切な医療を受ける機会を失っていた姉の記録。統合失調症は多くの方が漠然としたイメージでしか知らないと思うが、人生のある時期から幻覚(幻聴が多い)と妄想(ありもしないことだが本人が思い込み修正不能な思考内容)で特徴づけられる症状を呈し、社会性や認知能力を低下させていく疾患である。男性では思春期に、女性は20代後半もしくは40代に発症ピークを持つが、著者の姉は3浪して入った医学部5年の時期に発症したので20代後半に当てはまる。そんな姉は1983年のある夜、突然大声で叫び始め、到底止められないと思った著者と母は救急車を呼んだという。救急では何もできず(だったかな)後日父と父の知り合いの勤める精神科を訪れたところ、「なんでも無かった」と言われたとのことで、父も母も姉の症状を重大視しないかのように振る舞う。違和感を覚えた著者だが、当時高校生の彼に逆らってまで姉を病気とみなす根拠はない。その後の両親は、進行していく姉の病状を無視、病院受診などさせずに時は過ぎていく。一方で違和感をずっと覚える著者は映像などを学んだ後、家族の姿をビデオに撮り始める。母の死、姉の死、そして父の死まで撮り終えて結実したのがあの映画であり、そこで描き切れなかった細部が本書となっている。
さて、読後感だが、姉の病気と両親の疾患と向き合わない姿勢に翻弄され、そして優しい性格からか、その家族を捨てられず、ずっと関わった弟である著者の心理的な献身に涙を禁じ得ない‥そして、姉を認められなかった両親の罪の大きさよ。恐らくその不承認の大部分は、母の意思が強く働いており、いささか現実逃避気味ながらも病気だとはわかっていたぽい父親は若干従属的だったのだろうと思える。姉が結局精神科医療を入院の形で開始できたのは発症から23年が経ってから。その後間もなく肺がんを患い、亡くなっていく。姉が亡くなる場面は、著者に感情移入して読んでいる身としては涙無くしては読めなかった。
うーん、返す返すも受診させなかった両親の罪は重すぎる。医師であるがゆえに尚更娘の病気を認めたくなかったのか⋯その理不尽に半生を翻弄された著者、今は家族全てを亡くし、寂しかろう(と推測するのは失礼な気もするが、それでもその)姿を思うと、とにかく切ない思いが湧いてくるのよ。よく頑張りましたね。
Posted by ブクログ
優しく優秀だったお姉さんに、医学生だったある日、突然"統合失調症"の急性症状が出た。その日から、共に医者で研究者だった両親は娘の病気をなかなか認められずに家に留めおき、25年もの間、お姉さんは医療を受けられなかった。
Posted by ブクログ
「興味深い」では片付けられない重い1冊。
統合失調症。治療を受け、症状が比較的落ち着いている人が社会に出て日常生活も送れるというのはTVで見たりして知っていたけれど、治療を受けずにいた場合のモデルがこちらなのであろう。
両親は2人とも医師でありながらも、娘が発症しても、頑なに治療を受けさせようとしなかったという特殊な例であるが。
弟である著者は、姉の様子がぜったいにおかしい、受診させるべきと両親に訴えるも「入院させたら余計悪くなる」と拒否。
両親の生い立ちとともに、子どもたち(姉と著者)の成長過程や姉の症状の変化、親の対応、日常的にそれを目の当たりに著者の心情が出ていて本当にリアルに感じた。
適切な対応を取らないと、その後、病状はどうなるか。適切な時期に適切に対応することの大切さを知った。
著者は「誰に責任があるか」を問うのではなく、この家族を悪い例として、どういった対応をすべきだったのか、という広い問いを投げかけるドキュメンタリー映画を製作したそう。
こちらのドキュメンタリーを観たら更に色々なことが見えてくるだろうか。
Posted by ブクログ
著者としては、姉が両親から医療を受ける権利を侵害された問題を記録したドキュメンタリーだといえます、と。
まずは問題を見つけること、ミスをしたときはミスをミスと認めることからはじまる。
自分に置き換えると、ありがたくも意図せずに、とある家族に生まれて育ち、学校や社会との関わりを持ちつつ、大人になって自分の家族を作ってみていま15年くらい、外に開かれている部分もあるけどうちの場合は価値観は夫婦でそこそこ一枚岩、夫婦で意見が食い違って子どもを混乱させそうなときは、話し合って同じ方向を向くようにしている。
そのあり方はこの著者のご両親とも同じかと思う。
家族はなにかあるたびに、右か左かの選択をして、少しづつ価値観ができあがっていく。
いつのまにか遠くに行ってしまうこともあると思う。
それはそれでよいこともあるが、誰かが生きづらさを感じたり、権利や自由を奪いすぎるときには、一度止まって、必要なら戻らないといけないこともある。
その見極めは難しいし、あとから考えてあのときああしておけばと思うこともあるけど、でもそれはあくまで結果論で、そのときに気づいて選択できるかは、やはり難しい。
どうすればよかったか?、は、とてもよいタイトルだと思いました。
Posted by ブクログ
自分達で治してあげたかったと言う印象よりは「ご自身がお医者様なのに娘は〜」とか、認めたくないってのがあったのかなぁと思いながら読み進めたが、最後の父へのインタビューを読みながらなんだかとても悲しくなってしまった。
父、祖母と認知症の介護を経験したが、こうするのが正解なんてないし、ある目線では虐待に見えてもある目線ではそうとも言えなかったり…
結果タイトルに帰結する。
凄く考えさせられる素晴らしい作品でした。
映像作品もチャンスがあれば見てみたいと思います。
Posted by ブクログ
私にも弟がいるが、果たして逃げずに向き合ってくれるだろうか、そして私は向き合えるだろうか。監督の行動に感服します。
自宅のドアに南京錠をかけて閉じ込める、これは昔の日本で行われていた私宅監置、いわゆる座敷牢を思い出し、呉秀三を読み返したくなった。
両親は医師であり、自分達で治してあげたかったのではないかな。期待していた出来のいい娘が統合失調症だとは信じたくはなかったでしょう。当時は精神分裂病と呼ばれ偏見が大きかった。未だタブー視され実情を知る機会が少ない問題をこのような形で公開してくださり、感謝します。
考えさせられた
弟が同じ病気だ。作者に近い状況で、両親は私が私なりの気持ちで弟と深く関わるのを嫌がった。だが親も年老い、弟も50代。自分が深く関わらざるを得ない日もそう遠くないと、この作品を読み改めて感じた。「姉にできるだけ楽しんで欲しい」その気持ちに強く共感した。また、作者が感情ではなく、物理的に起こったことを冷静にまとめていて、この病気になると、考え方や感じ方がまるで普通の人と違ってしまい、普通の人からすると奇行が出てしまうというのをよく理解できた。私も作者と同じく、弟に幸せな気持ちを感じて欲しい。弟の真の姿を受け止め、どうすれば幸せに慣れるのか考えてあげたい。そして、普通とは違う人を閉じ込めて隠さなくても良い社会になって欲しいし、そうなるようにできるこてをしたいと改めて感じた作品だった。
Posted by ブクログ
いつも古本しか買わないけれど、これは早く読みたくて珍しく新品を買った。
「残り時間がなくなっていくような感覚がありました。」
そんな焦りがうまれるのも当然。最初に急性症状が出て救急車を呼んだ日から、姉を医療に繋げるまでに25年も要してしまったのだから。
「姉ともっと会話ができるようになりたい」
幼い頃、姉に優しくしてもらった弟の純粋で切実な願いだったことでしょう。
全体的にとても拙い文章だけど、いや、拙い文章だからこそ逆に伝わってくることもあって良かった。もちろん上手い文章のほうが読みやすいけれど、この本は編集者の手が入りすぎていないように感じられるところが良い。それだけに、所々、ここは編集者が書いた文章そのままだなとわかってしまう箇所があるのがちょっと残念。プロが手を出さないほうが伝わる世界もある、と思う。
『どうすればよかったか?』
答えは難しいけれど、もっと早く医療に繋げられていたら…と単純にはいえないようだ。
四半世紀前の世では、今ほどこの病が認知されておらず偏見も多かっただろうし、受けられる医療や病院の環境も違っていたわけで… 「早く認めて病院へ行っていれば」と言えるのは、四半世紀後の今だからなのかなとも思う。難しい。
ただひとつ、はっきりと言えるのは、
最終章の見出しにある「間違えない人間はいない」
ということかな。。
Posted by ブクログ
「どうすればよかったか?」人に問うても自分に問うてもなかなか答えが出ない気がする。実際何がベストだったのか。(人様の家族に失礼ではあるけれど)この両親のやりかたが悪手だった気はする。医者なんだからおかしいと思ったら病院で診てもらえよ、と正直イラっとしたところはあるけれども、逆に医者だからこそ病院に連れて行っても良いことにならない、と思ったのかもしれない。令和の現在でも精神科に対する懸念はあるし。
世間体を気にして家に閉じ込める、というのも今でもあるだろう。言うことを聞かないから好きにさせる。外に出してなにかされると困る、と判断しても一概には責められない(私は)。
父権が強そうな家で、おまけに当の父親が医者とくれば、家の中にも逆らえないというか「お父さんの言うことだから間違いない」という信頼感があったのかと思ったりもした。
この本は、あくまでも著者の視点で書かれたものだし、家族が生きていたころに聞いたことも、各人の主観で語られたものに過ぎない。でも、それを形にしてもらったことで私たちも考えることができる、それは良かったと思う。
Posted by ブクログ
統合失調症にならないことが私の人生の目標になっていたー
著者は姉や家族のことを気にかけながら、
(姉と両親に対しての愚痴を言ったり、両親へ病院へ連れて行くべきと説得したり)
みんなが共倒れにならないように、
著者は、自分の人生を精一杯歩んでいた。
姉を一日でも早く精神科に受診させるべきだったー
たしかに、『第四章 家族との対話 (2001-2008)』で年表作り(それぞれの時期に、姉がどういう状態で、両親がどのように対応していたかがわかる年表)で、
作る過程で自分は何をするべきなのか、
姉を治療してくれる医師を探さなければならないなど、具体的にやらなければいけないことが浮かんでいた、
とあるので頭ではわかっていた。
けれど、両親を押し除けて、病識のない姉を病院へ連れて行くことは至極大変。
そして、両親が生きているうちは、その責任は両親にあるのではないか。
もし、著者が無理やりに姉を受診させていたら、
今度は他の問題もあったかもしれない。
そして、これは想像だけれど、何度も壁にぶち当たるなかで著者も疲れ、
そんななか映画やアニメーションに携わるようになり、そんな姉や家族を外側から観察する対象に変わってしまったのではないかな。
『おわりに』にこんなに善良だった姉に私は何ができただろう、という気持ちになる。
とあるが、統合失調症の人って本当にピュアで良い人なんだよね。
だからこそ、より著者はそう感じてしまう。
まずは自分を満たすことが一番大事。
そして、最後にはその経験を無駄にせず発信してくれたのだから、著者はこれで良かった、と言いたい。
Posted by ブクログ
※映画は観てません
「どうすればよかったか?」
私は、著者は自分でできることをやったと思う。これでよかったと思う。姉になにかできたのではないか、もっとあの時ああしておけば。後悔が次々に浮かんでくる気持ちはよく分かるが、精一杯のことはやった結果だと思う。
あとは時代が、そして両親と、その両親から離れられなかった姉自身の問題だと感じた。
強いていうなら、もうちょっと真面目に大学通って早く就職しとけばよかったんじゃないかな(›´ω`‹ )
私が小学生の頃(1990年とかそのあたり)、近所に精神科病院があった。こども心になんだか恐ろしくて、「窓には鉄格子がはまっている」「あの病院に入院したら死ぬまで出られない」とか根も葉もない噂がこどもの間ではまことしやかに囁かれていた。
著者のお姉さんが精神病を患ったのは、そんな時代なのだ。
学者として輝かしい功績を築くべく邁進していた両親が、人生の汚点になりかねない娘の病を「なかったことにしたかった」心境も少しは理解できる。しかし、医師とはいえ専門医に診せるでもなく勝手に投薬したり、座敷牢に閉じ籠めるのは倫理的に許されたことではなかった。入院させて「娘は駆け落ちしました」とでも嘘をついて回った方がマシであったろう。
完璧な人生を送りたい、両親の見栄が招いた悲劇だ。
著者はそんな家族を見捨てるでもなく、自身の生活を立て直すべく離れて暮らしていた。その間、最初に姉を診た精神科医と連絡を取ったり、家族を看取ったり、できることはやった。そして、こうして社会に問いかけをした。
「どうすればよかったか?」
私はこれでよかったんだよ、答えたい。
Posted by ブクログ
またすごいものを読んでしまった、映像も見てみたい。黄色の背景に黒字タイトルという危険を知らせる補色の組み合わせの装丁は意図的なものなのだろう。著者は自身をサイコパスというが、とても誠実に家族と向き合い最期まで付き合った責任感の強い人だと思う。ここまで曝け出すことには想像以上の葛藤があっただろうけれど、救われる人もいるだろう。程度はあれど、側からはみえない、その家庭ごとの闇の部分を照らしてくれた。間違いを認めないと問題がなかったことになり、問題は解決されない。という箇所がひどく印象に残った。私自身の、どうすればよかったのか、という問いを見つめることになった。
Posted by ブクログ
なんとも言えない気持ちになった。
すごく淡々と書かれてるからこそ、やるせなさと失望感が伝わってくる。両親共に高学歴だけど人間味が感じられなかった。きっと苦悩したんだろうけど、なぜ最後まで自分たちで医療にかかろうと思わなかったんだろう。
始めはきっと受け入れられず、著者の言うように自分たちでどうにかできたらって思いもあったかもしれない。だけどそれが何年も続いて悪化していってるのに、南京錠をかけてまで現状維持しようとする感覚が理解できず怖かった。
Posted by ブクログ
統合失調症という病気について、そして家族について、改めて考えさせられた一冊。
どうすればよかったか?という問いは監督自身や監督のご両親だけでなく私たちにも投げかけられている問いであるように感じ、考えても考えてもなかなか答えが出せない。
だからこそ、考え続けたいと思った。
重い内容だけに、読んでいて辛い部分もあるが、一気に読むことができた。映画も観てみたい。
Posted by ブクログ
藤野知明のどうすればよかった?を読んだ。
普通は本が話題作になり映画化されるのだが、本書の場合は映画が先で、本も出してみないかと出版されたそうだ。
内容的には、お姉さんの統合失調症の発症に対する両親の対応のドキュメントなのだが、最後まで読んでみると、確かにタイトルのどうすればよかったのか?はぴったり来る。
フィクションなら、私の評価は低かったかもしれないが、ドキュメントなので著者の葛藤や両親の対応についても、色々考えさせられてしまう。
私も年齢を重ねて人生を振り返ることも多くなり、父も今年100歳になるので考えてしまう。
映画も観てみたいものだ。
Posted by ブクログ
映画は見ておらず、本だけ読んだ。
とにかく淡々と語られる印象。あえて、そう書いてあるのだろうか。
一気に読んで、内容がまだ消化できていない。
この本は、統合失調症を発症した理由を究明するものではないという。ただ、発症後にどうすればよかったかを、過去をたどりながら考えている感じ。
今となって、部外者の立場からは、病院なりサポートなりあったんじゃないの?って思うけれど、当時は統合失調症や、精神科のイメージも違ったんだろうと思う。
印象的だったのは、「存在しない問題は解決しない」という言葉。
問題というものは、問題が存在するという認識がないと解決しない。この方の家の問題は解決するまで25年かかった。この言葉がとても心に響いた。
Posted by ブクログ
映画はみていない。書評をみて興味を持った。内容は壮絶。姉、母親、父親、著者。表紙をみれば幸せな家庭だったことがわかる。異変を示した姉を病院で診療させることを拒否する両親。なんとかしようとした著者のノンフィクションだ。世間の偏見や当時の病院の医療体制への不安などから、両親は診療を拒否したようだ。それによって、それぞれの人生は一変してしまった。姉は25年たって診療を受けることができたが、まもなくがんが発覚し、亡くなる。母は認知症の末に死去。父は90代後半まで生きた。著者は人生を大きく左右された。自身も精神に不調をきたすのではないかと不安な歳月を送ったという。失ったものも大きかっただろう。著者の抑制的な表現が好感をもった。著者は文章を書くのが不慣れなため、執筆は担当者がいたということが本書で書かれているが、内容が真実ならば伝えることには成功しているだろう。
Posted by ブクログ
映画を補完してくれる監督による解説本。
母という呪縛を最近読んでいたからか、親による教育虐待という意味では同じだなと、20年以上何ら手を打ってくれなかった、20代から40代という本来色んなことにチャレンジできる時間を奪われたその無念たるや。
それでも監督でもある弟は姉のいる家族を見捨てず関わってこられたことは、誰もができることではないと感服しました。
Posted by ブクログ
実際、なんで?どうして?という著者の切実な気持ちが冷静に家族の歴史と共に書かれている。映像を見てはいないのだけれど、機会があったとしてわたしは冷静に見られるのだろうか?いろいろなことを考えすぎた挙句、今を生きることしかできないという気持ち。
Posted by ブクログ
統合失調症を患い癌で亡くなった叔母と重ねながら読んだ。とても繊細で優しくて、それゆえに、生きづらさを抱えてそうだった叔母と雰囲気が似ている著者のお姉さん。統合失調症になる原因はまだわかっていないそうだけど、そのままで生きるにはしんどいから神様からのギフトだったんじゃないかとおもうくらい。
ギフトだなんて言うと、その周りの人たちの大変さや本人のしんどさを思えば軽率だけど。
どうすればよかったのか。そう向き合うことも、すごく大変なことだ。映画も観たかった。
Posted by ブクログ
映画も前情報も一切なしで、帯に書かれた南京錠で姉を監禁したというフレーズのインパクトで手に取る。
その帯の与えた衝撃とは裏腹に、どちらかというと淡々と統合失調症を発症した姉と両親の様子を書かれていた。
印象に残っているのは、著者が「統合失調症にならないことが人生の目標」と考えていたこと。
目の前で発症した姉、そしてその現実から目を逸らし満足な治療という選択肢を与えなかった両親を見てたら確かにそうなるのかも。
亡くなっているとはいえ、家族の顔を出して映画を公開したことはかなり勇気が必要だったんじゃないかと思う。
Posted by ブクログ
映画を観れてないのでなんとも判断しづらいけど‥お姉様が統合失調症を発症なさったのがだいぶ昔な話なので、その頃は統合失調症ではなく精神分裂病っていう病名で偏見もかなり強い時代であり、非定型向精神薬もまだ出てきてなくて、精神医療体制もまだまだ整ってなかったであろうと考えると、一概に現在の精神医療の状況で受診させることと同一視して、「発症してすぐ受診&入院させればベストやったのに」とは言えないのではないか、、と思ったりしました。精神科の既往歴があると未来の可能性に影響が出てくる(特に医者志望であるならなおさら)とご両親が考えたとしても無理はないかなーと思ったり。まあ独特な価値観持ってそうなご両親やなとは思いましたが、、。
生まれてきたのが今の時代だったら、またご両親の判断、ご家族の行く末もだいぶ違っていただろうになと思います。