あらすじ
人生後半の新しい生き方と激動の半生
今ある中高年像は時代に合っていません。それなら自分で作ればいい。中高年をエンパワメントする何かを、中高年の私自身がやってみたいのです。初めて、死についてのまとまった考えも書きました。かつての私のように、心の問題で苦しんでいる人に特に読んでほしいと思っています。——鶴見済
『完全自殺マニュアル』から三十年、六十歳を迎えた著者が自らの人生を賭して書いた楽に生きるためのマニュアル
【第1章 人生後半の生き方】若い頃のキャラは何歳でも変えられる/「飽きた」を大事にする/ひとつの選択で人生は決まらない/他人の影響を受けるようにする/人生はするすると行かなくていい/人生に勝ち負けはない。ライバル意識もいらない/決断をたくさんして慣れる/「効率がいい」から解放される/人生の意味を考えない/過去の日記は捨てていい/若い人のなかに入っていくには/異性と友達づきあいができる
【第2章 長い目で見たメンタル】うつへの対策を取り入れる/あえて希望を持つ。世界は偶然で動いている/過去のどん底体験を利用して落ち着く/不安はなくならないのでゼロにしようと思わない/ないものを後悔しすぎない/運動への苦手意識を捨てる/ベッドでのネガティブ思考を放置しない/長い目で見れば自己評価もよくなる/「一生後悔するぞ」の脅しはもう効かない/若くありたい気持ちを否定しない
【第3章 死】死は四十五歳からはじまっている/あの世も生まれ変わりもない/科学的な死後を想像して安心しよう/内面世界は死ねば消滅する/体も心も少しずつ流れ出ている/自殺してもいいと思うことで楽になる/延命治療をしない自然死を選べる/死の間際に人生に満足しなくていい/死の直前に思う世界のいとおしさを今味わう/後継ぎがいないなら死後に何も残さない
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
『完全自殺マニュアル』が昔、話題になっていました。
その著者が「六十年生きてみてわかった人生のこと」を綴っています。
『完全自殺マニュアル』は、読んだことがないのでタイトルの印象だけで言いますが、挑戦的ですよね。
『死ぬまで落ち着かない』もなかなかの挑戦的な内容だと感じました。今の日本の「のほほんとした時代」でなければ、命が危ない内容かもしれませんね。
しかし、私も概ね共感するところが多く、凪いだ気持ちになりました。
DIE WITH ZEROです。
Posted by ブクログ
60歳以降の人生終盤をいかに生きるか、自身の経験を踏まえて述べたエッセイ。
生き方、メンタル、死についての3章に分かれている。
生き方について。
歳をとるとこだわりが強くなるからこそ人の言うことを聞ける素直さをもつ、他人のことは気にしない、捨てられるものは捨てて身軽になる、人生の目的を「苦痛を減らすこと」におく、わからない若者文化は外国のようなものであり自分は移民みたいなものだという感覚を持つ、など。
メンタルについて。
人生は運まかせと認識する、不安や後悔を受け入れる、運動は大事、人生の残り時間が少ないからこそ思い切って挑戦してみる、など。
死について。
45歳以降の人生はおまけのようなもの、死後の世界なんてない、自殺してもいいと思うことで楽になる、など。
読んだ時期がちょうど冬の寒さと日照時間の短さで鬱っぽかったのでとくにメンタルの章が参考になった。著者ほどではないけれど自分も若い頃は自意識過剰だった。今ではなぜあれほどまでに…と呆れるほど。歳をとるうちにどんどん無神経になっていった。同時に過去の記憶も薄れて楽になった。歳をとると身体的には若い頃のように活発ではいられないけれど、メンタル的には生きやすくなるように思う。あと、これは俺の運でしかないけれど、経済的に若い頃より恵まれたので生きる不安はだいぶ和らいだ。お金大事。
Posted by ブクログ
人生の後半になったときの考え方。
これから後悔すると言うことが怖くない=もうあまり人生が残ってないからと言う考えは良い考えのように思える。
新鮮さを大事にして生きると言う考えにも共感を覚えた。
自分としては時間や置かれた環境を理解してやけにならずに生きていきたいと思った。
Posted by ブクログ
若い頃から不安症に悩まされてきた鶴見済さんが、60歳になり、中高年の生き方について書いた本。
人生後半になると、人生の選択に対し後悔をしたり、安定した心地よさを求めたり、自分の人生の意味を考えたり、ホルモンバランスなど身体的変化に直面したり、残された時間を意識したりする。
しかし、人生は結婚、就職、移住などの大きな選択だけでは決まらず、むしろ選択の後の出来事やその都度対応したことの影響の方が大きい。また、分かれ道で選択しなかった道が、のちに選択した道と交差することもある。自分の選択に対し、今すぐ過度に後悔したり、迷ったりする必要はない。
人生で直面する苦しいことは、生の実感を得るために必要なことでもある。神谷美恵子は、抵抗感という言葉で、人生のうち生きている実感を感じる時間は、課題の中でもがく時間にあるという。苦労はない方がいいが、一方で特に考えず楽に過ごした時間は記憶に残らない。
朝食のルーティンや音楽の趣味なども、長年繰り返していると外さないという安定的な心地よさは得られるが、時には飽きに注目し、新しいことを取り入れることも大切だ。鶴見さんも、ロックのファンだったが、バンド編成から紡ぎ出されるサウンドに飽きを感じ、ヒップホップのビートやリリックスに刺激を受け始めた。年齢を重ねた先に、こうした変化する部分もあることを肯定的に受け止める。
人生の意味は何だったのか、考えることはあるが、人生の目的は、苦痛を減らすことくらいに考えるのが良いと考えると、肩の荷が少しおりる。自分の苦痛を減らしたのちは、他者の苦痛を減らすことに取り組むといいと言います。
人生の後半に差し掛かると、40にして惑わずという言葉があるように、達観した人間になるという価値観があるが、実際はそんなに達観していかない。鶴見さんの知人に会社でそれなりの役職に就きながら、五十代で出社拒否に陥った人がいるという。何歳でも、人生に迷いはあるし、悩みはあるので、過度に悟らなければならないという価値観に縛られる必要はない。また、加齢とともに、セロトニンの分泌が減っていく。太陽を浴びることや運動をすることなど、メンタルケアを取り入れることが大切であるという。
死に近づく年代であるため、死生観を正しく持つということも重要になってくる。活きているうちは、100で死んだ瞬間0になるのではなく、45歳から肉体的衰えが始まり、徐々に100から0に移り変わると認識することで、自分にできること、できなくなっていくことに対し、心理的に許容していける。また、その中で虚無的になる必要はなく、五月の街路樹並木を歩いたこと、旅先でとてもきれいな朝日をみたことなど、人生で感動した事実は消えないので、それらを大切に生きていく。
年齢を重ねることで、成熟した人間になるという価値観や固定化された自己概念への束縛がある。一方で、人生経験を重ねたことで、苦痛を減らし、自分自身に固執せず、できなくなっていくことや自身の選択や苦労も受容し、日々の感動を大切に生きていくことが大切だと思った。
Posted by ブクログ
今41歳。45歳までがピークとしたら、何もない人生と怖くなってきた。何かしないとと焦るのも違うのではと思ったりして悩ましい。
歩いたり運動することが鬱対策になるという話が心強くなる。
Posted by ブクログ
『完全自◯マニュアル』も今作も、根底には「サヴァイブしよう」がある
90年代に社会現象となった『完全自殺マニュアル』を書いた著者が、紆余曲折ありつつその後も歳を重ね還暦を迎え、今作のような中高年を元気づけるための本を書いたということにまず何というか、味わいを感じます。
おのおのが自分にフィットする中高年像をみずから作っていい、「理想の上司」的、こうあるべきといった理想を追い求めなくていいというメッセージがありがたい前半。そして自分なりの死生観をある程度定めておき、老いと死に備えるメメント・モリをテーマにした後半で構成されています。
著者・鶴見済さんはわたしよりも20歳ほど先輩ですが、読んでいて感じたのは「この人とおんなじ考え方、すでにしてるなあ」という親近感でした。でも、自分と同じ考えが平易な文章で書かれているのでスルスルと読めてしまい、正直なところ読み応えがあまりないという物足りなさもありました。わかりやすい言葉でエンパワメントしようという目的からか、論理がやや短絡的だったりするところもあり、もうすこし言説に厚みをだして説得力を持たせてほしかった部分も。鶴見さんの日記かというくらいにフランクな文体と内容の密度です。
また、後半の死生観について語られた章については、わたしがまだまだ若造なのか、単に人間が未成熟なのか、鶴見さんのメッセージを寄せ集めても、自分のなかでリアルなイメージをうまく結べませんでした。理屈ではどんな生物も死ぬことは分かっていても、鶴見さんほど、死を身近にわたしは感じられません。鶴見さんとてまだ還暦で、本当に自身が死を直前に迎えたら、静かに受け入れるなんて悟ったような態度とは真逆に、うろたえ騒ぐかもと言ってはいますが。
客観視によって幻想を剥がし、自分を受け入れて生きていく。ある程度の理論武装で、老いと死に備える。もちろん死への不安は「強大」という言葉以上に強大で、理論なんかで乗り越えられるほど甘っちょろいものじゃないと恐れていますが。ただ少なくとも生と死を分けないで考えてみようかな、という考えが芽吹いたことが自分のなかの新たな実りだったといったところで、今回はよしとして本を閉じました。
もう発行から30年ほど経ちますが、鶴見さんを語る時には、今も「あの『完全自殺マニュアル』の」といった枕詞がつくわけで、出版社の公式サイトにある今作の宣伝文句にも同タイトルが出てきます。でも冒頭でも書いたように、『完全自殺マニュアル』で注目を浴びた鶴見さんが今こういった、自殺の逆のベクトルである、サヴァイブのための本をまっすぐ書くのはわたしにとっては特別な味わいがあって、だからこそこの本を手に取ったわけです。
「いざとなればこんな風に死ねる」と分かっている、それだけで気持ちのお守り代わりになるような本として『完全自殺マニュアル』を書いたと鶴見さんは言っています。自殺の一歩手前まで追い詰められた人たちをエンパワメントしようという目的があったわけですが、90年代の鬼畜系ブーム・悪趣味カルチャーと結び付いて社会現象になったことで、鶴見さんの本来の目的通りに受け取られないことの方が多かったのではないでしょうか。現に私は古本屋で「こんな本を売るな!」と本気で怒っている人を見ました。しかもそれは90年代当時ではありません、たった2年ほど前に。
社会問題になってしまったことへの贖罪のような気持ちが鶴見さんにはあるのかもと、『人間関係を半分降りる』等、ここのところの鶴見さんの著作を読んでそう思います(90年代当時に鬼畜系ブームの波に乗った、その熱狂のサーフィンを少なからず楽しんだ部分も、当時の若き鶴見さんにはあったのでは?と訝しむ気持ちも正直あります)。また、わたしにはまだリアルでなかった「死」についても、自殺というカードをお守りにしてサヴァイブするというメッセージを持っていた、そして実際に希死念慮に苦しんだ経験をもつ鶴見さんにとっては、ハッキリと自分ごととして意識していたことだったのだろうとも感じました。