あらすじ
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マルクスの全体系が「疎外論」はじめ極少数の図式から構成されていることを明らかにし、そこから、近年の世界的市場化がマルクスの展望の百年ぶりの復活を意味するという、左翼的常識をくつがえす世界像を導く。そして現代における協同的代案の道を根拠づける。
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Posted by ブクログ
必ずしも国家権力を奪取して革命を起こす必要はなく、むしろそこかしこで「民主的経営」や民主的運営組織を確立していくこと。それが現在の「社会主義革命」への道であると筆者は言う。
生産のME化、コミュニケーションの深化によって、国家権力奪取による上からの革命によらなくても、すでに下からの革命の道筋はすでに開かれているというのがその理由である。生産方式が変化して労働力の編成の方式も変化するからそれに対応して変革への道筋やその組織も変化する、と言うのはネグリの議論でもある。国家権力の奪取はそれが必要な社会であったからで、生産力が高まって人々のコミュニケーションが深化すればむしろ下からの革命の条件が生まれている、とする。
この議論を敷衍すると、社会的な問題があるならそれを行政に対して糾弾するのではなくて、むしろ自分たちで解決できるように組織を作り運営して解決に向かっていく、ということになる。これは旧来型「左翼」のあり様から一歩踏み出している。旧産炭地での労働者協同組合の取り組みや労働組合による生産拠点の自主管理など、一部では取り組まれてきたものであるが、こうした取り組みにはとかく「資本-賃労働の対抗関係を見ない弥縫策だ」との批判が「旧左翼」からなされてきた。こうした取り組みの主体が組織的に排除されてきた例も多い。しかし筆者の議論を踏まえればその取り組みに胸を張ればいい、ということになる。
排除する側に理があるのか、排除された側に理があったのか。