あらすじ
キリスト教ではイエスの伝記を最重要視するのに、なぜ日本の仏教ではブッダの伝記が読まれないのか。ブッダがどのようにして悟りに至ったのかを身体を通して深く読む。筆者畢生の仏道修行と研究の精華!
キリスト教には「霊操」という、体操で身体を鍛えるように霊性を鍛えることを目的とする修業法がある(イグナチオ・デ・ロヨラ『霊操』岩波書店、教文館など)。イエスの生涯を、祈り、黙想、観想、口祷、念祷などを通して、自分の心身をかけて読み取る修業法である。本書は、ロヨラの「霊操」のごとく、ブッダが成道に至るまでのプロセスを、ブッダになりきって身読することを目標としている。(筆者)
【目次】
第一章 「仏伝」と「身読」をめぐって
第二章 「誕生」の身読
第三章 「四門出遊 出家の決意」の身読
第四章 「修行 禅定と苦行」の身読
第五章 「目覚め 樹下の打坐」の身読
第六章 「梵天勧請」の身読
あとがき
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Posted by ブクログ
仏教ではそれほど重視されていない、「仏陀の生き様」を、自分の経験や体験をフィルターにして読み解いていくことで、仏教の教えが生まれた背景や理由をより強く「体感」し、腑に落とすことを目指す試み。
著者の藤田一照さんは著名な禅僧であるが、単に座禅を組むだけでなく、ボディワークなどを通じて、より体で座禅「する」アプローチを取られることで有名だ。また、一照さんは合気道をはじめとして、武術にも造詣が深い。武術の稽古も同様に自分の体感を通じて腑に落とすという営みであることから、一照さんが仏陀の生き様を「体感」することが大切だというアプローチを取られるのは納得がいくところだ。私も合気道を稽古する身。このアプローチには親近感を強く覚えた。
…が、しかし、である。
仏陀の生き様といっても、仏伝には象徴的によく知られたエピソードしか書いていない(のだと思われる)。これを「体感」するには、仏伝を読み解く側に相当な人生経験や洞察力、知識が必要とされる。断片的な情報であるエピソードを、読み解く側が肉付けしないと「体感」出来ないからだ。そこを、一照さんは見事にやってのけておられる。仏教だけでなく、キリスト教や哲学、そして一照さんの人生経験など、ありとあらゆる引き出しを開けて、エピソードの背景や解釈を示し、その時の仏陀の思いを生き生きと読者に提示してみせる。読者は、そこで納得し、初めて自分の人生と仏陀の生き様に共通する部分があるのだと思い至る。
…仏伝を「身読」(体感)している一照さんを、読者が「精読」する本、と言えば、ある程度正しく表現出来ているだろうか。
仏陀を介して、一照さんと対話出来た、貴重な本だった。