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Posted by ブクログ
古典なので当然ですが、話の筋は実に古典的な不倫モノです。しかし精緻で目の前に情景を広げさせ、人物を浮かび上がらせる描写が光ります。恋する乙女のまま妻となり、結婚の理想と現実の落差と凡庸な夫に苛立ちを覚え、背徳に身を崩す作中のエマが実に人として最低で、実体のある生々しい存在感を放ちます。今では凡庸といえる筋書きでも文章で読者を離さない作者(翻訳者も含めて)のテクニックに驚くばかり。好きか嫌いかではなく、凄いと感じる作品でした。趣味で小説を書く人はもちろん、読むだけの人でも一度触れておいて損はないと思います。
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よく思うのですが、女性が妻となり、家庭を守るという行為は、外に出て荒波にもまれながら、家庭を同じく守る夫とは対照的な苦痛があると思うのです。
さまざまな変化を社会という人ごみの中で体験する変化への苦痛と戦う夫と。
何も変化が無く、単調な家事を繰り返し、黙殺されそうになっている妻。
対極に居るから「だから男は」「だから女は」と、口論が絶えないんだと思います。
まあ、根本はそういう所が男女の相いれない原因の一つなのでしょうが、最終的には人間的な性格の問題ですよね。
大げさにそんな事を言っておいてなんですが、エマは私と違って、外界からの刺激を好む女性で、生活に圧迫されて年をとっていくのが耐えきれない、旅人気質を持っていました。
だからこその不倫と発狂、自己中心的な自分の理想とする世界を、現実に花開く事が出来ない事へのジレンマは、まるで子供がだだをこねているように見えました。
時代が違うので、その時の時代の習慣や、当たり前の事を私はよく理解していないのですが、あまりにもシャルルがいい夫でいたので、エマのその自由奔放な生き方が更に浮き彫りになってしまっているように思えるのです。
やっぱり、死んだ後に、残された人の気持ちを考えるっていうのは難しいんでしょうね。特にエマなんて、絶対にかんがえる暇も、機会も全て死ぬ直前に花火のように、気まぐれに光って後は消えてしまう。
シャルルの魂を、エマが自ら滅ぼした手でつかんで、引きずり上げてしまい、娘一人が生きる事になりましたが…
どうか頑張って生きて欲しいです。
自分自身だけではなく、自分を大切に思っている人も不幸にしたエマ。
誰かを思う事は、誰かの為に痛みを我慢し、耐える事が必要なんだと思いました。
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私ってなんであんな駄目な男と付き合ってしまったのかしら…
そんな事を考えているそこの奥様!これを読めばエマを共感出来るはず!
夢見がちなエマが一つの結婚の間違いから転落人生を追ってゆく
妄想はいいけれどホドホドに。
素敵なラブロマンスなんてないのさと乙女の夢をぶち壊す作品です
原語は文章が綺麗で女の子ファンが多いです。
きっと皆エマと同じ境遇に居たんだろうね
Posted by ブクログ
ボヴァリー医師の妻、美しいエマが、姦通を重ね、虚栄に溺れ、借財に追われ身を滅ぼす話。目の前の誘惑に負ける、強欲で愚かなエマ。遺された者のことを考えない、身勝手で卑怯なエマ。でも、およそ500ページにも及ぶ彼女の半生を辿ると、同情してしまう自分もいる。
エマは根から倫理に反した人間ではなかった。ただの夢見がちな少女だった。親や周囲に決められた結婚だったが、夢を見るだけに止まっていた。参事官の演説中、ロドルフがエマを口説く場面では、その行間にエマ(天使)とエマ(悪魔)の会話が隠れているみたい。彼女の葛藤が見事に現れていた。そして、彼女の人生の転落へ扉が開かれる印象的なシーンだった。一度身を持ち崩すと転がるように破滅の道を進む。夫が仕事で失敗し、自尊心の痛打をうけたときには、操正しくしたことを後悔すらする厚顔ぷり。
シャルルもシャルルで、エマの不貞に一切気がつかず(死後ロドルフからの手紙を見つけてもなお疑わないほどに現実から目を背けていたのだろう)、エマに理想を押し付けていたんじゃないかな、と思う。でもシャルルが全きの悪人でないところにこの物語のやりきれなさがある。
結局はエマの周りの人は誰一人幸せにならず、現実を生きる薬屋オメーと悪商人ルウルーだけが成功を収める。対比が痛烈。
現代だって、有名人の不倫なんてどーーでもいいことを第三者が鬼の首を取ったようにやいのやいの言うんだから、この小説が発表された19世紀には問題作扱いされるのは当然とも言える。裁判にまで発展し、そこで作者が発した「ボヴァリー夫人はわたしだ」という言葉はあまりにも有名。この言葉の裏にあるのは、「誰の心にもボヴァリー夫人がいる」ってことなのかな??????????
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想像したよりもずっと楽しんで読めた。
エマはゾラのナナのような根っからの奔放な女性では無かったように思う。では誰が犯人か?夫であるボヴァリー医師その人だろう。社会的に高い立場にいながら(この職を得ることが出来たのも母のお陰なのだが)、誰からも尊敬をえられず、その自らの立場にも気づかず、何とか起死回生を狙った手術のただ一回の失敗に自信を無くし、あげくに最後まで妻の不満や不貞にも気づかない愚鈍さ。エマは結婚という契約に縛られながら、自分を決して満たすことのない夫から離れ、女としての憧れや夢を外の愛人達に求める。結果、期待は裏切られ、最後には自滅へと至る。無知と田舎者特有の富や贅沢への憧れ故に悲劇的な最後を迎えざるを得なかったエマだが、決して彼女のせいだけでなく、彼女を取り巻く男達のだらしなさが彼女を追い詰めたのかもしれない。
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細部まで磨き上げられた作品。トルストイ『アンナ・カレーニナ』を意識させられた。悲しい話だが、文学の良さを再認識させてくれる。数多くの作家に影響を与えた作品。
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面白かったー!
話の内容としては美人な妻が夫とのありきたりな生活に飽きてしまい、不倫を繰り返すと言う
単純なお話なのですが、もう描写が凄い!
細かくて丁寧で、それでいて飽きない。
長く読まれている理由がわかります。
ボヴァリー氏、滑稽ではあるけど、愛すべき人だと私は思うけどなぁー。
Posted by ブクログ
いいひとなんだけどすごくつまらない人っている。
善良すぎて毒気がないというか。
そういうひとと結婚したら退屈だろう。
エマのように、刺激が欲しくなって、
異常な量の贅沢な買い物に走ったり、
舞踏会に繰り出したり、不倫愛に狂ったり。
そういう気持ちもわからないではない。
けれど人生のほとんどは舞踏会とか熱い恋愛で
構成されているわけではなく、
生活で構成されているわけであって。
その生活を人々は愛し、あたたかな気持ちを持つ。
そういう気持ちがわからないと
ずっと現実逃避を続けることになるのかなと思った。
でもエマは逃避しきって終わったから
それはそれでいいかと思う。
哀しいけれど、一貫性があって、
やりきった感のある人生。あっぱれ。
Posted by ブクログ
エマの人生を一言で表すとすれば、現代の昼メロドラマ。出版当時は風紀上の問題を引き起こしたようだが、不倫も浮気も珍しくない今となっては、内容はそんなにすごいというわけではない。でも、全体的に綺麗なのと、本能の赴くままに突き進むのは少しばかりうらやましい。
Posted by ブクログ
フローベールは前から読みたかった作家の1人だ。
リアリズム文学と言われるこの作品は悲劇のような気もするが退屈な感じもした。
人生というものは退屈だ。
退屈に甘んじることができない人生もまた退屈で平凡なのかもしれない。
そこにリアルがある。
それこそが人生の味わいだと思う。
そこを書いているこの作品はやはり面白い。
Posted by ブクログ
何はともあれ読み切った。
何だこの小説、不愉快なやつばっか出てくるな。
不倫をする人の自分勝手な理論が目白押しである。
貞淑との間で迷ったりするけど、それも含めて自分に酔っていて楽しそうだ。
Posted by ブクログ
退屈な夫の生活に嫌気がさし、不倫を重ねて、身を滅ぼす夫人の話。死ぬまでに読むべき1000冊の本のリストにあって、友人が話題にしていたので読んでみました。
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2部までは読むのが少々しんどかったが、3部はすらすら読めた。主人公のエマも勿論愚かだけど、夫も不倫相手も出入りの商人も隣人も俗物ばかり。最後は低俗な薬剤師オメーと俗悪な商人ルウルーだけが幸運に見舞われ、残りの人々は哀しい結末を迎える。これが人生か!となんとも遣る瀬無い。
エマが無駄遣いに歯止めが効かなくなるのはあり得る事だと思うが、愛人に去られた後何ヶ月も寝込むというのが解せない。男目線でそうあってくれたら可愛いのかもしれないが、普通の女は1週間もしたら過去は水に流して未来に目を向けるのではないか?
確かにこの時代の主婦は仕事もないが、家事や育児すら自分でやらず、夫の仕事も発展がないとなると将来の希望も持てなくなるかもしれない。ある意味気の毒ではある。
Posted by ブクログ
ボヴァリー夫人がもしもほんの少しだけ物事の見方を変えていたら、ずっと幸せだったのに。
彼女は誰も自分のことを心からは愛してくれないと思っていたけれども、本当は間近にいたのに。
ロドルフの様な男の人って本当にいるだろう。
勉強になった…
2015/6/3
Posted by ブクログ
なに不自由ない生活を送ってきた一人の女が不倫の恋に身を焦がしやがて破滅していく様を、淡々と、そして詳細に描写していく。
ボヴァリー夫人は、バカな女といえばまあバカな女ではある。物語にあるような恋愛に憧れ、身の丈に合わない不倫をし、分不相応な享楽を得て、結局は恋人には棄てられ全てを失い死ぬ。誰かに騙されたわけでもそういう運命であったわけでもない。自らそうした破滅に向かっていく。それはあまりにも不用意で擁護の使用がないほど愚かな姿。
でも、それはまた、どこにでもいる平凡な女の姿(男でもいい)でもある。多少なりとも空想的であったり、無い物ねだりをしたり、後先を考えずに行動したり、それらは決して特異なことではなく、ことの大小はあれ誰にでもあり得る。その誰にでもありうるそれが重大な罪となる時代性において、その自由な姿勢は必然的に破滅を選ばざるを得なかったわけだ。
そういえば、蓮實重彦が、30年以上書く書くと言い続けてた「ボヴァリー夫人論」をいよいよ出すらしい。
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海外の名作です~。
かなーり長い名作でしたぁ。
でもね、長いわりに飽きるってことはなかったなぁ~。
ストーリーは
田舎の医師ボヴァリーの後妻になったエマの不倫や借金地獄、そして自殺。を描いた長編小説。
うーん、エマっていう女性は、私からみるとわがままで自分のことしか考えられず、気分屋だし、夢見る夢子ちゃん。
私としてはそんなに好感持てなかったんだけど、でもね、読んでるうちにエマの心が分からないでもないのよ。旦那に退屈して、毎日の生活に退屈して、不倫に走っちゃう。でもって、入りこみすぎて相手に逃げられちゃう。なんか、どこかで聞いたような。。。。。
家族、家庭を壊してまでやってないいけないでしょ~。
これが出版された当初では風俗的に許されない話で裁判沙汰になったらしいけど、やっぱり時代はかわるのね~。今じゃ、こういう話も当たり前の世の中になってしまった。。。
フローベールも驚くだろうな~。
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一度読んだくらいでは、作品のごくごく表層のそれもわずか一握りにもみたないほどしか良さをわからないのでしょう。
細部を丁寧に拾っていくには、あと幾たびかの読書が必要。
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妄想力だけはたくましい夫人が徐々にキチガイじみてくる話です。
頭から膿汁を垂れた盲の乞食が恋する乙女的な歌を歌ってるシーンがよかった。きっと象徴的な出来事なんだと思います。
しかし重要なのはおそらく細部で、金の縁取りのあるハンカチとか、夫人がかがむと床にスカートの裾が広がるとか、そういうところなんだろうな、とは思います。服や装飾品に関する描写がやたら多かったけど、あまりピンときませんでした。
Posted by ブクログ
大分前に買ってあったのですが読み出すまでに時間がかかりました。
それにしても昔の(ちょっと良いところの)ご婦人というのはそりゃあ暇だったんだろうなあ…と思いました。それこそ貧乏人だったら考える暇も退屈している時間も無く生活に追われますがある程度の余裕があって特にすることもない人生。ボヴァリー夫人の生き方は決してほめられたものではないですがそんな時代に閉じ込められてしまった彼女には同情します。
が、一番可哀そうなのは旦那さんですよね。何のかんの言って。
Posted by ブクログ
●エマは教養もあるし、現代なら離婚して仕事をして1人で生きるか、恋人と一緒になるか、もしくは夫とカップルカウンセリングに通って結婚生活をどうにか続けたかもしれない。
●エマはたぶん鬱病。
●19世紀半ばの話にしては、誰もかれもに信仰心が見られず、生活についての俗っぽい関心しかないのが不思議だった。
●ものの見方が全体的にダーク。フローベルは半ば引きこもりだったようで、引きこもりから見た世間というふうにも考えられる。
●フローベルはエマに共感していたのか(エマは私だ! と言ったとか?)それとも罰したかったのか。
●マルクスの娘のエレノアも仏語版から翻訳している。
Posted by ブクログ
ちょっとエマにはついていけなかった…というのが第一印象であり、最大の印象。恋や華やかな生活にあこがれるのは分からなくもないけど、結局最後は借金に苦しむのかぁ。
あと、手形のやりとりがいまいちよく分からなかった…です。
Posted by ブクログ
3度目のチャレンジ。
最初の数ぺージで中断していた作品。
名作と言われているけれど、面白いと思えなかった。
きっと不倫が特別なことではなくなった世の中だからかもしれない。
フレーズはきれいだった。
Posted by ブクログ
原題:Madame Bovary par Gustave Flaubert 1856
p173辺り〜
ロドルフとエマの危険な会話と呼応する共進会の演説。これは映画や演劇、あるいはミュージカル(『ボヴァリー夫人』のミュージカルはいかなるものかと思うが…)などで再現してたらどうなるか?
p不明
田舎にとって窓とは都会にとっての劇場や〜のようなもの
2008年2月27日
Madame Bovary, c'est moi.フローベールがあの有名な裁判でどういった意味でそう述べたのかはわからないが、作品の最初の方では私もそう思った。理想、というよりか信じ込んでいた未来が、実は映画や物語の中にしか存在しないことを知った時の失望感を私も知っているからである。しかし私はいつしか諦めることを知ったものの、エマは様々な危険を冒しながらもそれを追い続けた。そしてその結果決定的な逃避を選んだのだろう。でも私はエマを愚か者だとは思わないし、シャルルが悪い夫だったとも思わない。二人とも一生懸命に生きた結末があまりにも無残であっただけである…