あらすじ
旧制高校生である主人公が孤独に悩み、伊豆へのひとり旅に出かける。途中、旅芸人の一団と出会い、そのなかの踊子に、心をひかれてゆく。清純無垢な踊子への想いをつのらせ、孤児意識の強い主人公の心がほぐれるさまは、清冽さが漂う美しい青春の一瞬……。ほかに『禽獣』など3編を収録。
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深い精神性があるのがわかりました。
とはいえ、十分に理解できたとは言えません。
内容の咀嚼も難しく、感想もうまく言葉にできません。
いずれ再読したいと思いました。
エンタメ小説のように楽しめる作品ではありませんが、こういった純文学に触れることで得られる読書体験も大切だと気づきました。
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読友さんと不定期で読む日本の古典2冊目。自身の未熟さ故に旅に出ることを決意する自分(旧制一高生)。旅の途中で旅芸人一家と出会う。そこには少女の姿。芽生える恋心。旅芸人は売春も兼ねる可能性を知るが、少女は14歳であることを知り、また風呂場では全裸で手を振ってくる。その瞬間恋心ではなく、「愛おしさ」に変わる。旅芸人一家と自分の社会的身分の相違に気付き、さらにこの少女もまたいずれは売春により生きていく可能性がある。愛おしさと身分の壁を見事に描写した。さらに雨、泉、涙という水の存在が彼をカタルシスへと導いた。⑤
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①伊豆の踊子
忘れ物を取り戻せた気分だ。僕には青春がなかった。なかったし、孤児的な心と世間との和解をせずに、曖昧なまま、苦しみながらこれまできた。本当にほしいものが濃くなるばかりだ。
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読んだ後の罪悪感がたまらない。罪悪感を感じてしまったことに罪悪感を感じる。しばらく、引きずってしまう。すごい自分の奥に潜んでいた動物的な本能を鏡に映し出されてしまった感じ。この作品を読んで心動かされなかった人は健全だし、幸せだと思う。恐ろしい。
追伸・後日ユーチューブで岡田斗志男のまとめたものを見て感動は罪悪感から来る。というのがあって、まさにそれだと思った。言語化出来るとすっきりする。
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最後のお別れのシーンがものすごい寂しかったです。ずっと阿波の踊り子やと勘違いしていて、なんでかなーと考えたんですがただ阿波踊りと混ざっただけでした。
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「伊豆の踊り子」は、孤独な20歳の学生が、踊り子に一人旅中に出会って、素直さとか可愛らしさに触れる中で、最後は自分の心にも素直さとか温かい透き通るような気持ちが芽生えるのがいいなと思った。最後のシーンはすごいいい気持ちになった。
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主人公は旧制高校に通っているエリートで、一方の踊子は芸人という点で身分が低く、社会的ステータスの差がはっきりと描かれていた。
旅の途中の何気ない動作や情景にも深いメッセージが込められている。例えば帽子。当初主人公はエリートの象徴である制帽をかぶっていたが、最後の港での別れの際は鳥打帽(ハンチング帽)になっており、それを渡すシーンも身分の差を克服した決定的なシーン。
文学的な視点や小説技法だけに限らず、このストーリーのテーマも自分にとって何か惹かれるものがある。二十歳の男子学生が孤独に悩み、伊豆へひとり旅する設定は、どこか重なるものがあるのかもしれない。
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何度読んでも飽きないな
立体的で絡み合った、本人さえ気づいていないような感情を平面に落とさず文字にできるの天才すぎる
あと上品すぎてエロいこと書いてることに一瞬気付けない。
やってることはさておき。
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この小説を両親に見られたらいけないものだと認識して、本棚の奥に隠しながら何度も何度も読み返すような少年時代を送っていたとしたら、自分はどんな大人になっていたんだろうか。
名前は聞いたことあっても読んだことない本を読んでみようシリーズ。表題作「伊豆の踊子」には、今の言葉でいう美少女がどうしようもなく魅力的に踊っていて、川端康成の作品がこれほど上品かつエロティックに「女性性」を書いているとは露ほども知らなかった。
伊豆の踊子は当然として温泉宿も面白かったけど、最後の禽獣もかなり強烈で。「どんな愛玩動物でも見ればほしくなる性質だが、そういう浮気心は結局薄情に等しい」という一節で、見たことない作品でも見た目が好みだったらとりあえずフィギュアとか買っちゃう過去の自分を思い出してしまった。二次元美少女に対して博愛を気取ってた頃。
読書を重ねる上で避けては通れない文学というジャンル。文学作品って一般小説に比べてどうも馴染めない印象があったけど、この本のお陰で人の奥底に潜む複雑な人間性に踏み込んだ文章に共感を覚えた、と同時に少し親しみが湧いた。自殺を図った場所が実家の近くなのも勝手に親近感ポイントなので、もう何冊か読んでみようか。
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「伊豆の踊子」
清潔感を感じる文章で、言葉が美しい。
だが当時の感覚と令和の感覚での齟齬があるのか、
いまいち内容そのものには趣を感じられなかった。
言ってること、この作品が好きだという人たちの感情は理解できるのだが、自分には響かなかった。
雪国も同じ気持ちになったので、近い時代を過ごしておらず想像力と感受性が豊かでない自分のような人間には、昭和の文豪たちの作品は難しいのかもしれない。
「抒情歌」
短編4本の中で、この話が一番内容がわかりやすく、楽しく読めた。
あくまでも「私」の一方的な独り言のような文章なので、「あなた」が本当に放った言葉が実際に載っていたら、私たち読者の「あなた」という存在の受け取り方がまた変わったのかなあと思う。
「私」を通してみる「あなた」にはフィルターがかかりすぎているように感じ、実際の「あなた」はどんなふうだったのか想像を巡らせると楽しい。
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伊豆の踊り子
旅路や宿の情景があっさりしすぎずうるさすぎずよい。主人恋と踊り子の関係性もいきすぎず主張しすぎないところがよい。
温泉宿
登場人物の区別をつけるのが難しかった。多分それぞれに個性の強い群像劇。
抒情歌
前半はわからん
禽獣
時系列のずらし方が、難しくも伏線回収感。現段階では主題をつかめず。
三島由紀夫の解説も今はわからん
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40~50ページほどの話が4つ掲載されている。
その中の1つが「伊豆の踊子」。
本のタイトルは「伊豆の踊子」だけど、読んでみると最後の2つの話の「叙情歌(じょじょうか)」と「禽獣(きんじゅう)」が面白かった。
どちらも主人公の語りが長々と続く感じで、少しだけドストエフスキーの「罪と罰」を思い出させるけど、あんなに鬱々とした感じではなく、それよりは幾分軽やかな雰囲気の語り方。回想したり心情を吐露する感じが良きでした。
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純文学。小雨の中、足袋で山道をいくイメージが鮮烈(そんなシーンがあったかは覚えてない)に残っている。自分はトータル的に作中文章を想像したイメージで憶えているんだなと書いていて思いました。
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川端康成 初期代表作初読み
1926年(T15年)掲載、二十歳の一高生が伊豆にひとり旅に出かけ伊豆大島からやって来た旅芸人一団14才踊り子
と淡い気持ちに。ほとんど実体験を元にした作品らしい。三島由紀夫は処女の主題が現れていると解説しております。田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵で映画化も川端康成先生は特に
吉永小百合さんのファンだったらしい。
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踊り子たちと何泊かして帰ることになり、帰りの船で泣いてるというそういう話かいと思ったけど、硬かった少年の心が踊り子達のおかげで打ち解けられたという話だったのか。
文章は美しかった。とても。
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伊豆の踊子
著者:川端康成
発行:1950年8月20日
改版:2003年5月5日
短編4編収録
三島由紀夫の解説(巻末)では
『伊豆の踊子』大正11~15年
『温泉宿』昭和2年
『叙情歌』昭和7年
『禽獣』昭和8年
に書かれた作品とのこと。
川端康成リベンジシリーズの3冊目。結局、面白さから言うと、
古都>伊豆の踊子>雪国
の順だった。まあ、古都だけちょっと抜きん出ている感じ。分かりやすさが一番の要素だと思うが。若い女性(少女)の描き方はとても上手いのだが、伊豆の踊子のような処女性とかいうのが裏に出てくると、ちょっとイメージが崩れてしまう。
今回の4篇、伊豆の踊子以外の3篇は覚えのない物語だった。結構、難しい小説ばかり。とくに叙情歌や三島由紀夫が高く評価する禽獣は、1度や2度読んだぐらいでは理解できない(かも)。相変わらず、意味が分からない文章が先に来て、先を読むと理解できるという文体は冴えまくっていた。
とりあえず、雪国のよさは50年たっても分からなかったが、古都は読んで心の保養になった。言いたいこと、小説で解決したいことはよく分かった。ただし、締めが甘くて解決していなかったけど。伊豆の踊子にも。癒しがあった。
10代から、うじうじと思っていた川端康成作品への思い、少しだけすっきりした。
『伊豆の踊子』
河瀬:一高生、孤児だった
旅先で出会った一座
栄吉:長岡の旅館袢纏を着た男
千代子:栄吉の妻、19歳、旅の途中で赤子を死なせて間がない
薫:栄吉の妹、14歳、踊り子
四十女:千代子の母
百合子:17歳、雇いの芸人
『温泉宿』
温泉町にあるナンバー2の温泉宿に集う、7人の女たちの話。夏のシーズンが終わると、3人は去り、秋は4人になる。しかし、実際は他の人間や男も来る。女たちは浴場を洗う仕事だが、つかりに来る男たちに呼ばれて酌婦になり、体を売る者もいる。浴槽を洗うときは裸で、自分たちもつかっている感じ。主人公的なお雪は、最初は生娘だった。単純な宿の女中だと想像できる。なお、宿の内湯だけれど、どこかの酌婦などが無断で入りにくる。正規営業時間外のような感じで、容認されている。
お芳:3度結婚歴
お滝:母親と百姓、正月と夏だけ温泉宿を手伝う
お絹:髪結いになりたい、美人でない
お雪:16歳、生娘、弟をつれて酌婦の継母が小遣いをせびりに来る、実の母親は10歳で死んだ、彼女は弟を背負いながら教場へ。勉強ができて4年に進級したがそこで終わり。弟を3歳まで育てる(夜に乳をもらい歩いた)。家を出る
お時:夏だけ、美人でない
お谷:夏だけ
高子:夏だけ、宿の主人の姪
倉吉:夏と冬の忙しいときだけどこからともなく手伝いに来る男、お雪とできて出奔
鶴屋:小間物の卸
お清:16、7歳で流れ着き、道普請の土工の男たちと年頃に。病気になり、やがて自殺
お咲:酌婦のなかでもとびきり風儀を乱すと警察からも警告を受けている
『抒情歌』
霊媒師
レイモンド・ロッジ:陸軍少尉
レナアド夫人
ピイタアズ
竜枝:主人公
綾子:竜枝の男を奪って結婚
竜枝がかつて一緒に住み、結婚するはずだった男の死を知り、植物に向かってあの世にいるその男に話しかけていく展開。竜枝は幼い頃から神童扱いで、まだ字が読めないころからかるたをどんどん取り、小学校入学前から難しい計算などを解く。霊感も強く、母親の死を感じ、弟(8歳)が溺れそうな時も感じて母親に知らせるなどした。しかし、大人になるとだんだんとその力は衰えた。
夢を見る。
飛行将校と結婚するのか、第五緑丸の文字が出てくる。
その2~3年後、温泉まちで男と出会う。声をかけられ、海の方をみると第五緑丸の文字。オートバイ店はないかと尋ねられ、暫く一緒に歩いていると打ち解けて、やがて深い仲に。
しかし、母親の死を感じて葬儀で家をあけたのをきっかけに、綾子に奪われる。綾子と男は結婚。男からもらった香水をかいだら、これはきっと2人が新床で同じものをかいでいるのだろうと直観した。
輪廻転生の教えほど豊かな夢を織り込んだおといばなしはこの世にないと私には思われます。人間がつくった一番美しい愛の叙情詩だと思われます。(120P)
『禽獣』
主人公:40歳近い独身男、鳥や犬などを飼っている
千花子:踊り手
男は、女とつきあうなら薄情そうなのを好んだ。女中も。動物はその逆だから好んだ。とくに取り好きで、詳細に30種ほど飼ったことも。あるとき、菊戴(きくいただき)のつがいのうち、雄を女中が逃がしてしまった。鳥屋に雄をくれというと、つがいだから雌はサービスでとつがいで新しいのが来た。同居させると、雌が殺されていた。生き残っていたのは古い雌と新しい雄だった。
彼は旅行に行っても、男と同室で寝なかった。犬は雌ばかりを飼った。出産が楽しみだった。ボストン・テリアは、生まれた7匹目が弱そうだったので、新聞紙にくるんで捨てた。生き残った3匹は、母犬が圧死させたりしてしまった。自分が藁をもっと細かくしておいてやれば、死なずにすんだのに、と後悔。
主人公の男は、千花子とは結婚しなかった。千花子は複数の男と関係を持っていた。体を売っていた?
千花子は19歳の時、ある投機師に連れられ、ハルビンに行って白系ロシア人に舞踊を習った。投機師はいろいろ失敗して、満州興業に彼女を加えて、東京に戻ったが、満州から一緒だった楽団員と千花子は結婚した。あちこちの舞台に立ち、やがて自分の舞踊会を催すようになった。
男(主人公)は楽団関係者だったが、結局は音楽雑誌に月々お金を出している程度だった。千花子の踊りの野蛮な頽廃に惹かれた。いったい、どういう秘密が彼女をこんなに野生に蘇らせたのか。どうして千花子と結婚しておかなかったんだろう、と思うほどになった。
しかし4回目の舞踊会がだめだったので楽屋に行くと、やはり彼女は妊娠していた。彼女は産んだが、2度と妊娠はしなかった。その赤ん坊も遠ざけていた。
主人公の男は、自分の不注意で菊戴のつがいを死なせてしまった。かわりにもらったつがいも、同じように死なせてしまった。
千花子の舞踊会に行った。彼女は若い男に化粧をさせていた。化粧前は無だ。男は扉に隠れて見ていたが、やがて戻る。その時、一人の男が親しげに話しかけてきた。千花子と結婚した伴奏男だったが、去年、別れたという。それでも、やっぱり千花子の踊りはいいですなあ、と彼は言う。
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『伊豆の踊子』『温泉宿』『禽獣』に見られるように、処女性に対しての筆者の表現の模索が多く描かれている。
『伊豆の踊り子』はほんとに旅情溢れる趣深い作品だった。
『抒情歌』はかなり複雑で難解だが筆者の死生観を反映し、このような作品でこそ文学的に自身の思想を落とし込むことの本領が発揮されている。
面白かった。
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伊豆の踊子
『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃ー』の始まりから昔教科書やテストで触れていた事を鮮明に思い出した。
傷心の青年が伊豆への一人旅において出会った旅芸人の中の踊子と知り合い心が解かれていく様が切なく、表現が美しい。巻末の年譜では、19歳の川端康成自身が伊豆に旅行して旅芸人一行と道づれとなる、となっているからその記憶や感情により生まれた作品なのでしょう。
同収録の『抒情歌』は女性の語り口で元恋人の死を悼むものとなっているが、著者の死生観といったものが伺えて、その強い思いに圧倒される気がする。
巻末の解説が三島由紀夫によるものである事もこの文庫の読み応えあるところ。
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4月のGuruGuruBooks読書会の課題図書でした。
読書会開催場所が、伊豆の河津町にあるWorking Space Bagatelleの1Fブックカフェです。この河津町は作者の川端康成も何度の足を運び、物語の舞台となった湯ケ野温泉があるのが、河津町です。
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ちょっとよくわからなかった
表現が細かいのはわかるけど、物語というか、何を伝えたいのかがわからない
これほ川端氏の筆力をディスってるわけではなく、ほぼ自分の現時点での読解力の限界なのだけれど、川端文学にアレルギーを持っている人たちの気持ちも少なからず分かる思いである
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伊豆の踊り子
・子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背一ぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。頭が拭われたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。
・下田の港は、伊豆相模の温泉場なぞを流して歩く旅芸人が、旅の空での故郷として懐かしがるような空気の漂った町なのである。
・海の上の朝日が山の腹を温めていた。
・二十歳の私は自分の性質が誇示根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に耐えきれないで伊豆の旅に出て来ているのだった。
禽獣
・だから人間はいやなんだと、孤独な彼は勝手な考えをする。夫婦となり、親子兄弟となれば、つまらん相手でも、そうたやすく絆は断ち難く、あきらめて共に暮らさねばならない。おまけに人それぞれ我(が)というやつを持っている。
・それよりも、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を目標として定め、人工的に、畸形的に育てている方が、悲しい純潔であり、神のような爽やかさがあると思うのだ。良種へ良種へと狂奔する、動物虐待的な愛護者達を、彼はこの天地の、また人間の悲劇的な象徴として、冷笑を浴びさせながら許している。
・自分の犬を飼うようになってからは、道の雑犬など見向きもしなくなった。人間についても、またかくの如くであろうと、彼は世のなかの家族達をさげすみながら、自らの孤独も嘲るのであった。
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「川端康成 少年」文庫化&新装 発刊
もちろん食指が動く未読作品。
ということで、川端康成作品おさらい。
伊豆踊り子 他3編 短編集。
二十歳の一高生は、伊豆に一人旅にでる。自分の孤児根性の歪みの反省とその息苦しい憂鬱に耐えかねての旅。
旅の途中、旅芸人一行と出会い、一人の踊り子に心惹かれる。そればかりではなく、貧しい旅芸人達は、孤独であった彼を慰めていく。
14歳の踊り子への想いが恋であったかという所は、人それぞれ。私は、踊り子の純真無垢な裸体を見た時点で慈愛へ浄化されたかなと思う。
旅芸人の厳しい生活と踊り子の行く末。
旅は終わりを迎え、別れに彼は涙を抑えない。
それは、悲しみだけでなく、自身の歪みからの解放、これからの生き方への希望があるのかと。
そして!忘れていたのか?読めていなかったのか?
「少年」への期待値なのか?
青年はなかなかの泣きっぷり。もちろん、東京へ帰る船の上で泣くのですが。あ、もうこれ以上は、書けないわ。
「温泉宿」
底辺を生きる温泉宿の酌婦達。彼女らを買う、当時底辺の男達。彼女達の悲哀と逞しさ。
各章を季節に分けて、温泉宿を描く。
「抒情歌」
霊能力がある女性が、死んだ元彼に語りかける。
彼女に語らせる作者の死生観なのかな。
50ページくらいだけど、難解。
輪廻転生を一番美しい抒情詩としながら、人間の霊魂のみを尊ぶことをひとりよがりとする。
自分は花となり花粉を運ぶ胡蝶に結婚させてもらうと結ぶ。
「禽獣」
犬小鳥の飼育からの生死。出産・動物の性など具体的。ちょっと、なんでしょうねえ、と調べたら、川端康成本人がこの作品に対する書評が誤読されて嫌いだとか書いているらしい。テストとかで作者の意図に反する出題がされがちなヤツですね。
漱石の文鳥は、ペット的感だったけど、こちらはねえ、ちょっと気持ち悪いですよ。
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四編から成る本だったが、最初の伊豆の踊子」 「温泉宿」までで挫折
伊豆の踊子も何とか読み終えたといった感じ
孤児根性で歪んだ心の主人公とあるが、その描写がないまま主人公の青年は心洗れていき、結末は清々しく感じられたので読後感は良い
伊豆の踊子では踊子・薫の清純さとその他の女性の対比が明瞭で青年が心惹かれるのもわかるが、女性に対しての著者の好みも表されているのだろうかと邪推してしまった
「温泉宿」では登場する女性達の生活が底辺すぎていて読んでいて辛くなってしまった
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有名なのに読んだことがないなあとずっと思ってたので、伊豆に行ったことをきっかけに読みました。
この手の本は読み手の感性とか前知識が重要になってくるなと思いました。。
何が書かれているのかはうっすらと理解ができる。しかしよく言われる「情景が思い浮かんでくる」というのが全くない。
それはおそらく自分が当時のリアルな風景を知らないから。文献とかで時代背景を学んだり、写真でも絵でもいいので見ておけば少しは感じ方が変わるだろうな…
またいつかリベンジしたい。
Posted by ブクログ
踊子のもつ純潔さ(とでも言うのでしょうか)に、読んでいる私まで甘い快さを感じました。伊豆の踊り子に関してはとても読みやすかったのですが、続く温泉宿が少し読みにくかったです。
Posted by ブクログ
はじめての川端康成の作品でした。
「伊豆の踊り子」は活動写真の場面が切なかったです。踊り子さんの太鼓の音が聞こえてくるようでした。
「温泉宿」は、清濁交える女性の人生を垣間見ることができます。
Posted by ブクログ
「伊豆の踊子」は訳あって、最低でも年に1回は読むのだけど、文庫に所載のではなかったので、ほかの作品と合わせて読むのは初めて。
全編読みごたえはあった。だけど、もしさわやかな読後感を得たい人であったら、「伊豆の踊子」は最後に取っておいた方が良いかもしれない。
他の作家の短編集もそうかもしれないけど、一つの作品の感覚で読み進めるとえらい目に合う。生理的に受け付けないという人もいるかもしれない。
まあ、クセの強い登場人物のオンパレード。描写はさすがの川端康成。これはあのことの比喩だよね・・というのもあり。今より少しでも若い自分だったら、気が付いただろうか‥なんてことを思ったりもした。まあ、今よりもっと脳細胞が若ければ、今の自分が気づいていないことの理解ができてるかもしれないので、何とも言い難いが・・。
まあでも、少しだけ達観した自分だから読める部分もあるような気がした。
Posted by ブクログ
初、川端康成作品。
日本文学、なるほど日本文学。
生々しい人間の営みを感じるのに、日本の美しい風景が見える。
特に登場する女達が面白い。
まるで妖怪だと思っているのかと思うような多彩な表現で、一人一人の個性が強い。
男は存在感が薄く感じる程、熱量が違う。
それでも最後の解説の三島由紀夫の文章を読むと、表現の柔らかさや鮮やかさ円やかさを川端作品からは感じた。
「雪国」「舞姫」「眠れる美女」等々、読んでみたいと思う。