あらすじ
生きることへの指針は「許す」ことだと説く心温まるエッセイ集。
「自分自身の身に起きたことなら嗤(わら)えぬことを、他人事なら嗤うという冷たさは、決して許されることではあるまい。嗤うべきことは、他人の失敗や不幸を見て嗤うおのれ自身の姿ではないだろうか。人を嗤った時、その時の自分こそ嗤われる人間なのだ。わたしたちは何を嗤うべきかを知らねばならぬ」。
生きるとは、愛とは、罪とは何か、そして淋しさから立ち上がるための心のあり方を説く温かいエッセイ集。
「三浦綾子電子全集」付録として、夫・三浦光世氏による「氷点」執筆前後のことを記したエッセイ「わたし、小説家になれる?」を収録!
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Posted by ブクログ
まさに、私のバイブルのような一冊。
年に何度か、心がカサカサになったときに読み返しています。初めて読んだのは、彼氏ともギクシャクして、仕事も楽しくなくて、すべてを周りのせいにしていた時期。ふと本屋さんで手に取って、表紙をめくったページに書いてあった言葉をみて、「これは私がいま必要な本だ」と感じました。
それ以来、人にあげたりしながら、何冊も買いなおして常に手元に置いている一冊です。人にやさしくなれなくなった時、読むと心が洗われます。
Posted by ブクログ
三浦綾子のエッセイ集を読んでいると、「一度でいいから会って話してみたかった」という思いになる。いろいろな相談事が本人に寄せられていたそうだが、自分と同じような思いの人がたくさんいたんだろうなと思う。
Posted by ブクログ
許せない私を、まずは許そう
あの笑点のもととなった作品、氷点(タイトルをもじっただけで、内容は何も関係ありません)の作者、三浦先生の本。
何かヒントにならないかと、キーワードをグーグル検索した中で、三浦先生の本をピックアップして読みました。
三浦先生の本にして良かった。ヒントの言葉、自分を省みるよすがになる話があり、今の自分に沁みました。
特に
あなたがたのうち、罪のない者が、先ずこの女に石を投げつけるがよい
という「ヨハネによる福音書」の「姦淫の女の話」が。罪のない人間はいない。誰しもが、罰し、罰しられないのだ。
自分を苦しめる思想から、一つ解き放たれたような気持がしました。
さすが、稀代のベストセラー書籍。いいことを言うもんです。(聖書にそんな言い方するんじゃありません)
これは、三浦先生の旦那様の言葉ですが、
次に指す手を三つ考えろ
という言葉。将棋のように、人生でもあてはまる言葉だと、紹介されています。
私もややもすれば自分で選んだはずなのに、強制されている気持ちになり、辛く追い込まれているようになってしまうきらいがあります。
そんな時に「辞めてもいい、続けてもいい、変えてもいい。選ぶのは自分だ」と思えるようになりたいな、と視野が広がって、行動は変わらなくても、自分で選んでいるのだ、と自発的な気持ちを取り戻すよすがとなりました。
ややもすると自分を責めてしまうきらいがある私にとって、まずは許せない自分をゆるすことから、はじめて行こうと思いました。
そして、自虐ではなく、謙虚な気持ちを探していきたいと思います。
同じ生きるなら、こうしか生きられないでなくて、こうも生きられる、という気持ちのゆとりが欲しいものよね。その時、人生が深くなるんじゃないかしら
そしてこの言葉も響いたな。
本当に私たちを支えてくれるものは、いったい何なのだろう。素敵なソファか、大きな冷蔵庫か、ひろびろした住宅か。まさかそうではあるまい。その時私たちを支えてくれるのは、力強い励ましの言葉ではないだろうか。真理にもとづいた慰めの言葉ではないだろうか。
直近で、こういう時に手痛い言葉でずたずたになった時、支えとなったのは慰めの言葉でした。
弱っていた自分には、一般常識に基づいた言葉は響かず、時に刃になるのだと知りました。
あたたかい言葉を私にくれた方たちへの恩は、忘れずにいたいと改めて感じました。
私は自分の持っている趣味の事を半ば「宗教だ」と言うことがあります。
それだけ自分の人生の支えなんですね。
そういったものを持っていなければ、またそういった土台を失ったら、キリスト教に目覚めるのではないか、という気もしなくもありません。
弱った心にお粥のように沁み渡るものだ、と朝夕読むにつけ感じた次第です。