あらすじ
「近代社会は知識信仰が根強い。知識は広ければ広いほどよく、多ければ多いほどよいときめてかかっている……。実際、若いときはすばらしく創造的であった人が、知識がふえ、経験を積むにつれて力を失っていく例はいたましいほど多い……。過ぎたるはなお及ばざるごとし(『論語』)は、知識においても妥当する。肥満は運動によって解消するらしいが、知識メタボリック症候群において、運動に当るものは、忘却であろうが、忘れることは、散歩などに比べて格段に難しいのである」現代の人間にとって、記憶以上に大切なものは忘却である。コンピューターにはまちがっても選択的忘却という芸当はできない。知的肥満をおさえ、頭のはたらきをよくする50のヒント。
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Posted by ブクログ
新書や実用書の読書の後、本書のような手練の文筆家の滋味豊かな文章を読むと、ホント心が和む。実用本は、データ・経験・事実の積み重ねで論理を展開し、確証に裏打ちされた筆致で断言していく。鼓舞され、前向きにはなるが、「まぁ、これは栄養があるから食べなさい!」と勧められ食べさされている感じがする。こういう食傷気味の時にもってこいの読書といえば、エンタメかエッセイの類い。
外山滋比古の随想の醍醐味は「思索の散歩」を愉しむことに尽きる。話の展開が時に跳躍、時に道草。でも蛇行はしない。“おもねり”や“説明”が一切なく、清々しい。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と詠った室生犀星は、ふるさとというものを誤解した。観念の中にのみあるふるさとは誰だって訪れることはできない。行ってみれば幻滅があるのみであるのはわかりきっている。芭蕉にしても、想像と実在とを混同していたのであろう。名だたる歌枕の実地にふれたいと願って旅に出た。「奥の細道」は幻を追って、それにうっすら欺かれた作品である。歌枕は憶うべきで、訪れるべきでない。
<P5 青い山より>
という書き出しで始まり、著者は遠くからは青く見えた山もふもとに行ってみれば、雑然たる風景となるのが関の山だと。外国の古典が自国の現ら代文学よりも深く心ひかれるのは当然。遠くにありて思うことができる昔の山は、近くの山より青いのである、とまで言い切る小気味良さ。
読み終え「蝉脱(せんだつ)」という言葉を想起した。セミの抜け殻から転じて、「迷いから覚め、悟りの境地に達する」意味だけど、この迷いの無さ・闊達さにほれぼれとする。
著者は齢93のおじいちゃん。アタマはまだまだキレキレです。
Posted by ブクログ
エッセイ集?です。タイトル通りの内容を期待して買うとたぶん裏切られます。が、視点が面白くひとつひとつの記事も短いので寝る前におすすめです。が、値段がちょっと高いです。