あらすじ
価値観が多元化した社会で感じる閉塞感.「優しい人間関係」のなかで排除におびえる恐怖感.ケータイやネット,家庭から学校といった子どもたちの日常は,過剰な関係依存で成り立っている.子どもたちにとって,現実を生き抜くための羅針盤,自己の拠り所として機能する「キャラ」.この言葉をキーワードに現代を読み解く.
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Posted by ブクログ
一貫したアイデンティティとは違う「外キャラ・内キャラ」で説明されていたので腑に落ちた
生徒に好かれようとする教師に気味の悪さを覚えていたけど、イマイチ自分では説明がつかなかったので、この本の説明に納得して、スッキリした。
・教師が子供と対等の関係になろうとする
・評価は自分より上の存在からされるものではなく、たくさんの同等な人々からされるものへと変化した
・内キャラは所与のものだから一生変わらないという意識
→生徒からの支持を得ることで揺らぎがちな自尊感情を補填しようとする
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わかる。
たまたま大学受験勉強中の模試の問題で出会った文章だけど、面白かった。
誰もが抱える「異質な自分」との向き合い方。
考えていきたい。
Posted by ブクログ
ケータイの端末が「圏外」表示になるだけでパニックになる高校生がいる―そんな文章からこの評論は始まる。
若者に見られる人間関係の格差とは。カースト化された人間関係と現代のキャラ化社会とは。
現代社会の新しい形について読み解き、新しい人間関係にメスを入れた斬新な評論である。
本書が提言する現代の人間関係の在り様とは、結論から言うと、新宿命主義と寄りどころの無い存在論の発生である。
自己肯定の場が極端に減った現代において、人々は閉じたコミュニティーを形成し、そしてその殻に閉じこもる傾向が増えているといえる。だが、内部では表面上の個人が互いを「キャラ化」するという行為をしていて、決してありのままの自己を発する場ではない。
ここに外自己と内自己の乖離が生まれる。積極的に自己を押し出すのではなく、コミュニティーを平穏に保つために、ある意味では自己を殺して他者と交流するというのだ。そうした行為が現代では無意識的に行わている。
キャラとはアイデンティティと同一ではない。自己の根源であるアイデンティティとは同質にして異質なものである。つまり、キャラは場所によって自己を証明するためのものにはなるが、自己を確定させるものではない。あくまで、場に合わせたインスタントパスポートのようなものであり、その意味でキャラは別の場では流用が効かない。
何故なら、キャラは成長しないからである。
「あの人はああいう人だ」という評価を貰えるのは限定的な場所でしかない。少しでもキャラがズレてしまうともはやその場での自己は崩壊してしまうのである。
コミュニティー内では必ずキャラが必要となる。ペルソナ、と言ってもいいだろう。キャラを保っている間は自己が否定される場面は遭遇しない。
だが同時に自身のアイデンティティを発露できない。ここから寄りどころの無い自己が生まれる。