あらすじ
絵を描くこと、曲を作ること、文章を書くこと。
そのプロセスを楽しむすべての人へ。
Artificial Intelligence(AI)=人工知能、とりわけ昨今急速に普及した「生成AI」を題材に、AIの進化が人間の「つくる」という行為にもたらす光と影を浮き彫りにし、創造性のあるべき未来像について考察した一冊。
生成AIの登場により、私たちの仕事や創作活動は劇的な変化を遂げています。誰もが簡単にそれらしい文章や音楽、絵を生み出せるようになった一方で、その見かけの生産性向上の裏で起きている本質的な変化に目を向けている人は多くありません。
生成AIとは何か。どのような仕組みで発展しているのか。私たちの創造性を拡張する存在なのか、自動化の道具にすぎないのか。本書では、生成AIがもたらす影響を5つの切り口から整理し、経済性の話が支配的なAIをめぐる議論に、創作というレンズを通すことで全く異なる論点を提供します。
筆者自身の実践的なプロジェクトやAIの探求の歴史を紐解きながら、効率化を極めたAIの先にある、人間とAIが共創するオルタナティブな未来を照らし出します。自らの手で「つくる」ことを手放さないために、私たちはAIとどう向き合うべきか。AIの本質を知ることで、創作行為の価値がかつてないほど鮮明に見えてくるはずです。
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Posted by ブクログ
丁寧で非常に良い。
各章の流れも解説もよくまとめられているが、最も重要だと感じたのは「フクセイAI」と捉えるべきであるという芯を捉えた主張と、道具の誤用可能性のくだりだ。
テキストエディタでも、例えばAA文化や、txtのファイル名をフォルダ内における注記や小題のように使う手法のように誤用可能性は存在するが、鉛筆やペンなどにおける可能性と比べれば非常に範囲が小さい。
思えば、デザインの世界では直観的に、誤らず使えるようにすることが求められる。そこにアート性を持ち込むと、面白いものは出来るが、一方で作業、仕事としては使いにくくなる。
シンプル過ぎて間違えやすい男女トイレのマークだとか、景観に溶け込み過ぎて見つけられない消火器などデザインのアンチパターンは時折物議を醸す。
アプリでは、近年は特に汎用的なアプリは避けられていて、様々な機能を搭載したものよりも、直観的に使える、1アプリ1用途のものが望ましい傾向もある。
スーパーアプリを目指す傾向もあるとはいえ、多様な機能を搭載したアプリほど使用時に迷い、開発のコストも上がり、段取りも単一障害点も増大する。完成度が低くともスピーディに世に出して、まずシェアと権利を取り、それからブラッシュアップしていくというのが開発の世界でのスタンダードになりつつある。
これらの例は全て、アートではなく、経済合理性ドリブンだからだ。
現在のAIは経済合理性の文脈の中にあって、提供する側も使う側も、経済合理性をベースにハンドリングする。
それをアートに用いるというのが、まぁある意味でアートなわけだが、中々に使いにくいものなのであろう。それでいながら、アートの領域を狭めうる圧力を持つが故に厄介なのだ。
アートの側からその問題児をどう扱うか、やれることとして、徳井氏の主張する、「そもそも生成という言葉よりもフクセイ(≒複製)の方がエクタイプ的性質を正しく表すことを理解すること」と、LLMレベルからアートに組み込んで活用するアプローチは的を得ていると思う。
自分は手を動かして作ることも楽しいと感じる方なので、AIとは関係ない世界での創作にも携わり続ける。また同時に仕事においてAIをフル活用してゴールを見据えた形での経済的価値を生み出しもする。
ただし同時に、AIを用いてクリエイティビティをどう発揮するかという点について考え続けるということも、弛まずに進めようと改めて思った。