あらすじ
ある小学校で、小学6年生の児童が学校の屋上から飛び降りた。
児童の名は紫村俊介。命こそとりとめたが意識不明の重体で、現場に残された遺書からいじめを苦にしての自殺未遂と推測された。
そして、遺書にはいじめの加害者として青空茜の名前があった。
母親の青空翼は娘を問い詰めるが、茜は頑としていじめの事実を認めない。
そんな茜の態度に引っ掛かりを覚えつつも、翼は娘を信じることにする。
なぜなら、紫村俊介はかつて茜をいじめていた子だったからだ――。
果たしていじめの本当の「加害者」は誰なのか。
ヒット作『娘がいじめをしていました』に続く、いじめ問題のタブーに切り込んだセミフィクション。
【「シリーズ 立ち行かないわたしたち」について】
「シリーズ 立ち行かないわたしたち」は、KADOKAWAコミックエッセイ編集部による、コミックエッセイとセミフィクションのシリーズです。本シリーズでは、思いもよらない出来事を経験したり、困難に直面したりと、ままならない日々を生きる人物の姿を、他人事ではなく「わたしたちの物語」として想像できるような作品を刊行します。見知らぬ誰かの日常であると同時に、いつか自分にも起こるかもしれない日常の物語を、ぜひお楽しみください。
感情タグBEST3
色々考えさせられた、、
いじめはもちろん決して許されることではないし、加害者は一生償って、一生後悔してほしいと思う。
だからといってネットで吊るし上げるのも違う。
でも実際に自分の子供がいじめられてずっと苦しんでいるのに、加害者がもう終わったことみたいな感じで日常生活送ってたらネット上でぶちまけて、お前も苦しめ!一生笑うな!と思ってしまうかもしれない。
そして本編ラストの元加害者の母親のセリフが信じられない。
匿名
今の時代の難しさと怖さ
自分の子供をいじめていた加害者が、それが元になっていじめられて自殺したら…
遺書に名前があると言われたら。
それでも子供を信じていいのか正直信じられるのか?
例え先にいじめたのが我が子だったとしても、本人はそれを反省して変わった筈なのに、その事で逆にいじめられて自殺するまでに追い込まれたとしたら。
いろんな立場の親の気持ちが示されて、どうすればいいのか簡単に言えることではなく考え込んでしまいました。
ただ一つだけ言えるのは、SNSに上げてしまうと当事者ではないのに便乗してきて一方の言い分だけを見て事実確認もせず正義の名の元加害する第三者が現れる今の時代の怖さ。
漫画の終わりで二組の家庭間では問題がとりあえず解決したように見えるけれど、いつかまたデジタルタトゥーが甦って再燃する可能性が普通に残っている事を考えると怖過ぎます。
SNSは共感してくれる味方を得やすい反面、攻撃手段として使われた時の被害の大きさを考えると、やはり私刑に使うべきではないと思うし、そこら辺が不問で終わる点でモヤモヤが残りました。
Posted by ブクログ
娘はいじめなんてやってない しろやぎ秋吾 KADOKAWA
単純化された絵が清潔でいい感じの漫画で表現された本
イジメの環境と言う具象的な内容を訴えたいという現実があるのに
ドキュメント性を抜きに全部を仮想空間で表現しようという試みになんとなく違和感を感じたけれど
言わんとすることはよくわかる
今風にSNS上でイジメられた子が落ち込んだやり場のない気持ちを人知れずこぼしていたらそれに付け込んだ匿名の大人に絡まれて
具体的な情報を聞き出されてしまう
その結果第三者によるネット上で捏造のイジメが繰り返され
追い込まれたいじめっ子が飛び降り自殺を図る
ネットに隠れたシツコイイジメに踊らされた当事者である小学生たちに加えて親や学校やネットや週刊誌へと話題が広がり
いがみ合いと不安と自己嫌悪の中で
結論の出ないながらも第三者の犯人が見つかり
全員が被害者と言う関係でおさまることになるお話