あらすじ
「コスパ」「タイパ」という言葉が流行し、職場や教育現場、公共施設や都市でも管理化が進む昨今。そうした流れは子供たちが遊ぶ「公園」にも押し寄せている。かつての遊具たちは安全性を理由に撤去・改装がおこなわれ、年齢制限・利用回数制限も定着しはじめた。社会に蔓延する効率化・管理化に抗うにはどうすればいいのか。そのヒントは「利他」と「場所作り」にある。東京科学大学の「利他プロジェクト」において、全国の公園と遊具のフィールドワークをしてきた著者が、自由と想像力を養う社会の在り方を考える。
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Posted by ブクログ
遊びと利他の哲学の本と思っていたら全く違っていた。さらに最初に遊びのフィールドワークだけの本と思っていたらそうでもなかった。最後の方はメディア論の話にもなっている。アクターネットワーク理論も入っていた。未来食堂についても書かれていた。盛りだくさんの内容である。
大学に入って毎日1冊づつ本を読んでいたら、1日で読めるための本を読むようになっていたということは私も少し危うい
Posted by ブクログ
事故が起きるから、危ないから、保護者が心配して見守れるから、子供達を守るため、管理しやすいからという理由で公園の遊具が減ったり、年齢が制限されたり、遊び方が規定されるような状況が現代の公園を取り巻く現状である。特に、事故が多発した箱ブランコや地球儀の撤去に始まり、安全なスプリング遊具などへの移行、見栄えが良く子供達の人気を得やすいタイプの遊具が公園で多くみられるようになった。筆者は、こうしたルールを制限してしまうことは、本来公園が子どもたちに与えるはずの自由な遊びの機会を奪い、創造性やタフネスが育まれないずに自然な利他を生み出すことにならないため、子供達を守ることと、健全に育てるための遊びの場を提供することの二軸を考える必要があると述べ、幼稚園や、府中の森公園などの好例を紹介している。
Posted by ブクログ
東工大(東京科学大)の「未来の人類研究センター」に端を発した、利他と空間と遊びについての考察
第二さみとり幼稚園、羽木様プレーパーク、森と畑のようちえんいろは、ラジオ下神白、未来食堂、チロル堂といった例を元に、
余白、偶然、ゆるい、あそびといったことを分析している。
計画、効率、管理といったことを重視する現代社会に対する解毒剤的な内容。
Posted by ブクログ
この新書に書かれている内容、
いちいちごもっとも、
納得のいくものである。
公園、遊具、タイパ、コスパ、利他、、
でも、一冊の新書としてとらえると、
なんだか混乱する。
安全第一で管理された遊具は一度遊んだら
終わり。
でも、羽根木プレーパークなどの、ある面危険と隣り合わせの遊具は、
子供たち自身が工夫し、いろんな遊びに変質する。
終わりがない。
いろんな子供が一緒になって遊ぶ。
もっともだと思う。
遊び方が決まってるものは、やれば終わり。
今はレゴも完成形があるものが多いらしい。
スターウォーズとか。
そこには自由な発想はない。
でも今の子は、何でもしていい、だと何をしていいかわからないと。
数パターンの答えがあるもので遊ばせると、
それらを組み合わせ、楽しむと。
映画を倍速で見る話になる。
・・・私もよくやる。そこに情緒はない。
確かに。
そして利他、、、、
混乱する。
他人のために自分がすることが押し付けに
ならないか。
神保町の未来食堂の話になる。
そこには押しつけはない。
50分働いてまかない券をもらって、
自分で食べてもよし、
壁に貼って誰かほかの人が使ってもよし。
いい話だ。
・・・遊具も、子供同士一緒になって
新しい遊びを作ったり、
譲りあったり、と、
利他の部分がかなりあるのは分かる。
でもそうした利他の話と、
今の安全第一で面白みに欠ける遊具の話と、
どう絡めるのか??
わからなくなった。
そのあたりが、それぞれはいい話だが、
新書全体を通して何をいっているのか
わからなかった、
ということに落ち着いた次第。
序 章 21世紀の遊び場
第一章 利他論――なぜ利他が議論されているのか
第二章 公園論――安全な遊び場
第三章 遊びを工学する――第二さみどり幼稚園
第四章 遊びを創り出す――羽根木プレーパーク
第五章 森で遊びを生み出す――森と畑のようちえん いろは
第六章 遊学論――空間を組み替える
第七章 学びと娯楽の環境
終 章 利他的な場を創る
Posted by ブクログ
めちゃめちゃおもしろかった。
安全を優先して余白がなくなる遊具。
遊具の話だけど、効率を重視してしまうがあまり、偶然性や発展がなくなってしまってるものは、増えてる。
遊具の話から、そんな環境をつくってしまっている私たち大人の意識への警鐘を感じた。
利他は、他者のためにしているのとが、自分にもかえってくるものというのもプロボノ経験から思っていたこと。
うまく言語化できないけど、生活の中の色んな事柄と結びつきそう。
遊びとそれ以外のところでの、タイパと管理から自由になり、利他空間をどう作れるのか?
自分がどうかかわっていけるのか?
自分の生活に問いていきたい。
Posted by ブクログ
子どもは自由な発想を持つ創造の天才…のイメージがある。でも、我が子に張り切ってレゴブロックをたくさん買い与えてもイマイチ遊ばなかったり、カラフルな遊具のある公園に連れて行っても、遊具に表示されている「対象年齢」と周囲の目が気になって親が一緒に遊ぶことができず、1-2回遊んだら飽きて遊ぶのをやめてしまったり。自分にも経験のある、肩透かしを食らったような事例がいくつも紹介されていて、自分だけじゃなかったんだと驚いた。
子どもの遊びに対する『何か違う』という違和感にすごく共感した。(主に親同士の)トラブルを避けることが1番重要で、子どもをポケモンみたいにして相対する場面を作っているような、完全に親がコントロールしないといけないような息苦しさを、自分も、子どもが小さかった頃すごく感じていたのを思い出した。やっぱりそれじゃ、あんまり良くなかった。
子どもの遊びについて真剣に考えたことがなかったかもと反省しつつ、危険を排除しすぎない環境を用意し、大人が手を出し過ぎないことで色んな力を育んでいく大切さは理解できた。他者や社会、さらには自然への、想像、理解、対話(対応)を遊びを通して身につけていくことは、生きていく上で大切なことに違いない。大人でも、そういった学びはきっと必要だ。大人が夢中になって遊具で遊ぶのは難しいので、遊具や公園を作る側に回ったりするわけだけれど、それ以外にどうすればいいか考えるのも楽しそう。