あらすじ
「正常」な読み方なんてない。難読症(ディスレクシア)、過読症、失読症、共感覚、幻覚、認知症といったニューロダイバージェントな人々の読み方を歴史的にたどり、改めてとらえなおす「文字を読む」ということ。
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Posted by ブクログ
中でも面白かったのが文字に味を感じる共感覚の話。suggestiveはイタリアンドレッシングをかけたアイスバーグ・レタスの味、attendantは甘酸っぱいソースをかけたチキンナゲットの味がするらしい。
Posted by ブクログ
文字が普通に読めるだけで恵まれていると分かったと同時に、読み方なんて好きに読めばいいのだと勇気づけられた。あと天才はやっぱり天才だなと思った。
Posted by ブクログ
人は生まれ文化的になる過程で読む力を得て、人生の終わりにその力を手放していく。でも読む行為は多様なものだから、自分なりのやり方で読んでいけばいいよ、て豊富な例で教えてくれる。
ディスレクシアの人が授業で読書にトラウマを持っても今はオーディオブックで楽しめてるよー、とか共感覚だと単語に色やイメージが乗ってくるから人によってだいぶ受取り方が違うよ、てな話も面白かった。
んだけれども、鬱は本嫌いになりがち、心乱れている人は本読むのしんどい、何故って読字は知的なものであると同時に生理学的なもの。つまり注意力や視覚、言語処理能力に乱れが生じれば効率が妨げられ中断に追い込まれてしまうのだ、と書かれていて凄く納得した。
大人が本読めないのはそのせいだと思う。少なくとも私は
Posted by ブクログ
脳内の情報処理の問題で、「文章」が認識できない人たち。
生まれつきだったり、怪我や病気に基づくものだったりするし、症状もさまざま。共感覚から幻視まで幅広く取り扱う。
文字を読む、認識することと、意味を読み取ることは、違う行為なのである。
また、その文字を読むことすら、人によって、状況によって、踊ったり光ったり、文字そのものが「人格」を持つことすらあるらしい。
聞く、話すと違って、読むことは人間に自然に備わったものではない。そこには訓練が必要な技術なのだ。
そう考えると寧ろ、人間の大半が、文化に応じてだが、読むことができるってのは実はすごいことなんじゃないかと考えた。
いつかこれを手放す日が来るかもしれないと思うと、確かにちょっと怖いものがある。
こういうことに光を当てるのが「多様性」じゃないのか。