あらすじ
創始者自らが森田療法の核心を説く、不朽の名著。
神経衰弱とは何か、健康と疾病、神経質の本性、強迫観念の治療法、赤面恐怖症の治癒など、さまざまな角度から神経症を解説する必読の原典。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
再読。
この本は、形外会の記録(森田全集第五巻)の参加者、そして森田自身によって、読むだけで神経質が治った、と繰り返し言及されている伝説の書である。
この名著には、今から思うととてつもなく革命的な強迫観念の定義がなされている。
いわく、「強迫観念とは、自ら思うことを思うまいとする心の葛藤のことに名づけられたものである」と。
通常強迫観念は、自分の意思に反して不合理な観念が繰り返し起こることとされている。
森田では、観念が不合理ということは要件にされない。そして、繰り返し起こるのを避けようとするからこそ生じるのであるという発想の逆転により、強迫観念という病態の本質、原因論までこの一行で言い尽くしているのである。
その革命性と、この洞察から導かれた治療の驚異的な実効性が、忘れられかけていることが、嘆かわしい。
以下、三読目の追記
第16章 神経質治療の実例は、有名な黒川陸軍中尉である。
彼の日記は森田療法の神髄に深く触れて鬼気迫るものがある。退院前、処世上の標語を森田に請おうとしてやめ、他の入院者と「努力」を標語とすることについて論じる箇所。
「努力しようとして努力できるものではない。『無』の働くところに、おのずから工夫もあり成功の希望もある。体験の想起という思想の仲介者がなく、己れそのままを仕事に打ちつけ得るところに力がある。体験には言葉を容れる余地はない。努力をしないで努力が湧く、面白いことじゃないか」と。
退院後、作業療法について回想しながら書く。
「苦しい苦しいと思いつめながら仕事をしたことは、初一念に帰る道程であった」
歎異抄を読んでの感想。
「南無阿弥陀仏と申して疑なく往生するぞと思いとりて申す外には別に仔細候わず」とあるが、「疑なく往生するぞと思い取る」のは、まだ自己を離れ切らないので、いけないのではと考える。仏もなければ我もない南無阿弥陀仏でなければならないと思う。
森田療法が導く先には、仏道修行が目指すものと極めて近い境地があるということを、この事例は見事に語り切っている。