あらすじ
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
「食器が楽しいものになれば、必然、料理が楽しいものになるのです」――書・絵画・陶芸の大家・北大路魯山人は、食にも一切の妥協を許さぬ通人であり、それは店で出す食事、家庭の食卓を問わなかった。旨い寿司、自分で作る贅沢茶漬けに雑炊、そして食に携わるすべての人に沁みる簡にして要を得た名言……稀代の美食家の想いを余すところなく伝える食エッセイ集の新装版。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
北大路魯山人『魯山人の食卓 新装版』ハルキ文庫。
大芸術家にして稀代の美食家と言われた北大路魯山人の食のエッセイ集の新装版。
北大路魯山人と言えば、美食倶楽部を興し、星岡茶寮という高級料亭を創り出し、一切の妥協を許さね食事を提供したことで有名である。北大路魯山人の美食家の一面をモデルにした漫画に『美味しんぼ』があるし、星岡茶寮のコンセプトなどは人気テレビ番組『料理の鉄人』に使われている。
北大路魯山人の食を芸術の一つとしてとらえた徹底したこだわりぶりには感服する。ここまでストレートに食について語ってくれると清々しい。現代のエッセイストなどは料理店に気を遣い、褒めるだけで、不味い店など端から取り上げることは無い。魯山人は、店の名前などには媚びずに正直に正々堂々と物申す。それだけの知識と経験に裏打ちされた信念ゆえなのだろう。
最初のエッセイ『寿司道楽の話』を読むと、かなり辛口の内容になっている。東京における戦後の寿司屋に食える寿司はなかなか少ない、材料がよくなくては上等の寿司に仕上がらない、米は福島辺りが一等、酢は米酢が一番で米に三分づきくらい色づく酢が旨い、飯の握りの大きいのは安物、などなど注文が非常に多いことに驚かされるが、それが小気味よい。そして、一切の忖度無しに実在する寿司店を名指しで批判したり、褒めたりしているところに潔さを感じる。もしも、魯山人が現代の回転寿司など見た日には卒倒するに違いない。
昔、アメリカのテキサス州ダラスに出張に行った時、夕食で日本料理店に行った。普段は20ドルの定食がその日は10ドルということで、自分は幾つかの定食の中から刺身定食を頼んだ。刺身が山盛りにサラダも山盛り、天ぷらも三人前くらい付いて、これにご飯と味噌汁が付いた。余りのボリュームに天ぷらは食べ切れず、ドギーバッグに入れて持ち帰った。一緒に行った同僚が寿司定食を頼んだところ、自分の刺身定食の刺身部分が握り寿司に変わっただけなのには驚いた。つまりは握り寿司をおかずにご飯を食べろということなのだ。テキサス州で刺身や握り寿司というと少し驚くが、ヒューストンの港で良質の本マグロなどが水揚げされていたようだ。
『鮪を食う話』。まぐろの一番美味いのは、三陸、岩手の宮古にある岸網ものなのだそうだ。ズバリと言い切るあたりは魯山人らしい。魯山人の時代には青森の大間のまぐろはもてはやされていなかったのだろうか。驚いたのはまぐろに大根おろしという組合せだ。刺身でも煮焼きしたまぐろでもイケるようだ。
『いなせな縞の初鰹』。初がつおは鎌倉小坪の浜に、小舟からわずかばかり揚がるそれを第一にするそうな。なかなか注文が多い。
『鮎の食い方』。鮎は塩焼きばかりでなく、洗いづくりにして食うことも非常なご馳走だと言う。自分も鮎の洗いづくりというか刺身を食べたことがあるが、珍味と言えば珍味であった。如何せん鮎は小さいだけに身が少なく、刺身は物足りない気がする。その辺はどうしてくれよう、魯山人。
『鰻の話』。養殖より天然、地方の直焼きより東京の蒸焼きがよいようだ。自分は土用の丑の日に限らず鰻を食べる。養殖だろうが天然であろうが、国産だろうが中国産であろうが、兎に角、身が厚く、食べ応えのある大きい鰻を好む。最近は一匹丸々は食べ切れず、半分残して、後日、弁当にのせてもらう。
『河豚は毒魚か』。下関のふぐの上等品にこだわる魯山人。自分は河豚の刺身、河豚の一夜干しなど何度か食べたことがあるが、さほど美味いとは思わなかった。むしろ、昔、居酒屋で鍋で食べたアラの方が遥かに美味いと思う。
『鍋料理の話』。鍋料理の作法から調理法までこだわる魯山人。魯山人に鍋奉行をやらせたら、大変なことになるだろう。
確か『美味しんぼ』で魯山人風すき焼きとか言って、全ての具材を同じ高さに切り、その高さひたひたに割り下を注ぐというのがあったことを思い出した。魯山人風◯◯というネーミングで料理を作り、その謂れをこじつければ、何でも成立するのではないか。全ての具材が溶けて見えなくなった魯山人風カレーとか、おかかをご飯に混ぜて握った魯山人風おにぎりとか。
『一癖あるどじょう』。柳川鍋の謂れから、どじょうの調理法まで語る魯山人。自分も昔、料亭のような日本料理店で柳川鍋を食べたことがあるが、さほど美味いとは思わなかった。さらに昔、田舎の方で田んぼの脇の用水路で採れたどじょうをご馳走になったこともある。
『夜寒に火を囲んで懐かしい雑炊』。魯山人の雑炊は粥を炊くことから始まるという。しかも、余り物の汁に冷やご飯を投入するのではなく、わざわざ雑炊を作るというのだから恐れ入る。
普通の家庭の雑炊は鍋料理のシメに余っていた冷やご飯を余った鍋に投入するとか、味噌汁に余った冷やご飯を投入するという感じだろう。
我が家では大量にストックしている気仙沼の石渡商店のレトルトのふかひれスープに冷やご飯を投入して雑炊にすることが多いが、簡単で間違いが無く、美味い。
牡蠣雑炊、納豆雑炊、餅雑炊、猪肉雑炊、鳥肉雑炊、なめこ雑炊、蟹雑炊、焼き魚の雑炊など様々な雑炊が紹介される。納豆雑炊の納豆は水戸の小粒納豆なそうだ。自分は納豆は大粒に限ると思っている。そう言えば、以前、魯山人の推奨する納豆の混ぜ方を実践する調理器具を見たことがある。魯山人推奨の納豆の混ぜ方は、タレを入れる前に400回だか混ぜて、少し間を置いてタレを入れて300回だかかき混ぜるといった感じだったと思う。
『塩昆布の茶漬け』。安物の実用茶漬けではなく、趣味の茶漬けを語る。茶漬けって、実用的で安いものだろう。趣味の茶漬けって何だ。茶室でお抹茶を頂くように茶漬けを食べるのだろうか。
『鮪の茶漬け』。茶漬けの御飯のこだわりから、お茶の出し方、まぐろの種類にお茶漬けの作り方と微に入り細に入り指定される。鮭茶漬けは食べるが、まぐろの茶漬けなんぞ食べることはないと思う。
『鱧・穴子・鰻の茶漬け』。わざわざ茶漬けを作ろうとしない限り、鱧や穴子、鰻なんぞは使わない。せいぜい鰻は、ひつまぶしの最後に頂くお茶漬けくらいだ。鱧も穴子も鰻も、産地により美味しい食べ方が異なるようだ。
『車蝦の茶漬け』。まずは一般庶民には良い車蝦が手に入らない。仮に手に入っても茶漬けにするだろうか。魯山人は江戸前の車蝦を醬油と酒で佃煮にして、茶漬けにするのだとか。
『京都のごりの茶漬け』。ごりは名前だけは知っているが、食べたことも見たことも無い。高級なごりを生醤油で佃煮にして茶漬けにするという。
『日本料理の基礎観念』。またまた魯山人の辛口が始まる。汽車の弁当や旅館の料理は不味くて閉口すると言うのだ。西洋料理や中国料理は拵え方が簡単だからいくらかは食べれると言う。そして、魯山人の考えるところの日本料理の基礎が、心構え、材料の選定の仕方、出汁の取り方、器の選び方などいちいち細かく語られる。
確かに日本料理は繊細で、材料や僅かな加減でだいぶ味が変わるだろう。一般庶民は出された物をなるだけ残さぬように頂き、それがたまたま美味かったり、不味かったりと、その時々の味を楽しめば良いのではないかと思う。
『魯山人料理語録』。魯山人の残した様々な言葉。同意出来るものもあれば、およそ希望や願望と取れるものもある。
自分は全く好き嫌いが無いので、国内でも、タイでも、中国でも、アメリカでも食べる物に困ったことが無い。タイに出張した時、同僚は生水は危険だと言って、生野菜は生水で洗っているからと食べるのを控え、歯磨きにもミネラルウォーターを使うほど慎重を期していたが、ざるそばで腹を壊したのには笑った。ざるそばだって生水で洗っているだろう。自分は生野菜であろうが、ざるそばであろうが食べても特に問題無かった。
本体価格600円
★★★★★