あらすじ
修学旅行で広島平和記念資料館を訪れた5人。それぞれに悩みを抱え、戦争とは遠い世界で暮らす14歳の胸の内は……。登場人物に共感を覚えながら、物語に登場する被爆資料などを通して平和について深く考えていく作品です。
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Posted by ブクログ
現代の中学生が修学旅行で広島へ行くというエピソード5編。軽い気持ちで飲み始めたが、中学生たちと同じように、自分も戦争のことを「ワタシゴト=自分のこと」として考えた。一瞬にして命を奪われる、日常の生活があっという間に壊されるなんて恐怖でしかない。そんなことが現実にあったことが信じられない。でも、過去には日本で、そして今でも世界のどこかで起こっていることなのだと思いを巡らせずにはいられない。広島の平和資料館には行ったことがないので、死ぬまでには必ず行きたい。そして子どもたちが高学年ごろになったらぜひ読んでほしい一冊。
Posted by ブクログ
朝日小学生新聞で知った本です。
戦争が終わった日から約80年経ちました。
たった80年。
戦争のない、平和な時代に産まれてきたことは奇跡としか言いようがないですね。
その時代に生きていた人も、日常の中に楽しみや期待、幸せ、大笑いするようなこと、当たり前のように思えますが、あったんだろなあと考えたら胸が苦しくなりました。
ある日突然、この平和で、当たり前の日常がなくなったら?
隣にいるはずの大切な人がいなくなったら?
わたしたちは人生に“もっともっと!”と求めすぎたり人と比べて落ち込んだり。
勝手に頑張りすぎたり悩みすぎたり。
本当は生きているだけで大したものなのに。
生きているだけでありがとうと思ってくれる人がいるのに。
着るもの、食べるもの、住むところ、好きな人、好きなこと、好きなもの、今自分が存在すること。
その全部が当たり前ではないですよね。
ワタシゴト。
出合えてよかったです。
Posted by ブクログ
2024/08/21
六年の教科書教材と同じ筆者の作品なので手に取る。
中学生が、被曝について学び、資料館で実物をみるといった過程をさまざまな中学生の目線から読んでいく。
大切に作られた弁当が、誰かのために作られた服が、それを喜んだ相手がいたことを、想像してほしい。覚えていてほしい。そういったメッセージがこめられている。
Posted by ブクログ
やっと読みましたよ!
これはブク友のたださんのレビューを拝見してからずっと読まなければ、と思いつつ中々書店で見かけなくて、注文すれば良かっただけなんだけど、運命の出会いを求めるあまり手に入れるまでにえらい時間が掛かってしまった色々思い入れがある一作。しかも買えたのは広島市内の書店で。うれしい。
「この五つの物語の主人公は、あなたかもしれない。」というオビの落合恵子先生のコメントや、タイトル『ワタシゴト』に込められた意味「物語の題名『ワタシゴト』は、「記憶を手渡すこと=渡し事」と「他人のことではない、私のこと=私事」を意味する、作者の造語です。」(p126 付記より)にある通り、この本に収められている五つの話には中学生の主人公が登場して其々名前も設定されてはいますが、彼ら彼女らが見聞きして改めて感じ入った事は読み手である私たちにも本を通して伝わってきて、私たちの中で蓄積・咀嚼されて、こうして周囲の方へ「記憶を手渡すこと」つまりは感想を伝え合うことで我が事のように染み渡って完成をする物語であるなと思いました。
主題としてはかつて広島に起こった事、いまから80年余り前に原爆が落とされた出来事による遺物、残念ながら持ち主はその際にいなくなってしまいましたが、その時に人々が実際に日常で使っていたモノを通していまを生きる我々に戦争体験の一端を垣間見せることにより戦争というものを少しでも『ワタシゴト』として受け止めてもらいたいという強い想いが込められています。
違うと思うのはそれで良いので、ともかくも関心を持っていっぺん考えてみてちょうだい、という願いでしょう。
この本を読んだならば、軽々にどこそこへ爆弾を落とせば良いだとかミサイルが飛んできてからかったりだとか誰かを殺せだとか騒ぐ事は出来なくなると思います。
月並みですがまさに‘読む修学旅行’の如く、ミサイルを飛ばした先に何が起こるのかを学ぶことができる素晴らしい書籍だと思いました。
そう、自国だけでなく相手側にも何が起こるかを理解する事が出来ると思います。
あらゆる世代や国で読み継がれるべき物語だと思いますし、強制は出来ないですが、なるべくなら全世代へ広めるべき作品ではないかと私は思いました。
汐文社さん、ぜひ頑張って下さいね。
3刷
2024.7.10
Posted by ブクログ
広島へ修学旅行に行く中学生5人の物語
それぞれが今悩みを抱えてる中
広島の原爆資料館を見学し思うことが書かれて
自分と同い年くらいの子が経験したことなどを知っていく
それぞれの章で
お弁当
ワンピース
靴
石
ごめんなさい
について、書かれてる
児童書で読みやすいが大人も読んでいいと思う。
Posted by ブクログ
1985年から2019年までに、原爆資料館(広島平和記念資料館)を見学した、修学旅行生は、およそ1352万人だそうです。
その1352万人という、莫大な数の、かつての中学生たちは、その時、どのような思いを抱いたのでしょうか?
本書で描かれるのは、修学旅行を通して、多感な中学生それぞれが感じた、「ひろしま」についての物語。
『ワタシゴト』は作者の造語なのですが、これには二つの意味があり、一つは、「渡し事=記憶を手渡すこと」で、もう一つは、「私事=他人のことではない、私のこと」で、今回、この造語が、「ひろしま」について、とても言い得ているように思われ、心に留まりました。
例えば、渡し事については、
焼けて骨になった、中学生の体の下にあった、まっ黒な弁当箱。
右肩の下あたりに染みがあり、背中が裂けて、千切れて、変色しているが、繊細なレースがとても綺麗なワンピース。
約75年前、公園には、いくつもの町があったこと。
『この公園の下には、町が眠っとる。ひとも眠っとる。ここを歩くときは、そおっと歩くんよ。すみません、すみません、言うてね』
「ひろしま」の記憶を手渡すというのは、たくさんの人の命が失われた悲劇を繰り返さないことも、そうですが、その一人一人の生きた証を想像して、志半ばに人生を終えなければいけなかった瞬間、どんな思いで、どんな事をしていたのかを、考えなければいけないことも大切だと痛感するとともに、そこにあるのは、ささやかな幸せに満ちた日常生活だったことも、決して忘れてはいけないと思いました。
また、私事については、
「そこに着いたら、事前学習のことは、いったん忘れて、まっ白になれ。そのうえで、そこから聞こえてくるもの、見えてくるものを、全身で感じろ」
「いままでのぼくなら、もしかして。でもいまは、もう少し自分のなかに沈めておきたい」
「見えないものは信じない、と思ってきたけれど、ほんとうにそうなのか」
「ひと月に一回、ここに来て、みんなのこと考えるんよ。それがわたしの、この世でのつとめじゃねえ、きっと」
中学生の感じ方は、人それぞれだけれど、何か忘れたくないものがあるのは、共通しているようで、また、それは簡単に答えが出るようなものではなく、しばらく自分自身のなかに留めておきたいと感じる、それこそが、『他人のことではない、私のこと』にしているということなんだと、思いました。
また、元中学校教員「赤田圭亮」さんの、『私のひろしま修学旅行』での、語り部の松田さんと、それを聞いていた、当時中学生のH君のエピソードも印象に残り、そこには赤田さんの書かれた通り、「学校の日常生活では、けっして掬いあげることのできないものが、『ひろしま』にはある」事を、強く実感し、私の、過去の修学旅行は広島ではなかったのですが、実際に、見て聞いて感じることの意義は、何ものにも替えがたいものがある事を、本書を読んで痛感いたしました。
物語の内容は、児童書ということで、大人が読むと軽い感じに思われるかもしれませんが、最初に書いたように、1352万人の方がこれを読んで、「ああ、そういえば、こんな似たような思いを抱いたな」とか、「この時、自分の人生に擬えて、考え方を改めたんだよな」とか、そうしたところから、その人なりの『ワタシゴト』のきっかけになれば、いいのではないかと、私は感じました。
それから、私の場合、「戦争中でも楽しいことはあった」という、ごく当たり前な事を気付かせてくれました。恥ずかしながらですが、気付くことができて、涙が出そうなくらい嬉しかったのです。
『ええねえ、手つないで歩くの。うれしいねえ、こんなに若いあなたと、手つなげて。むかしはね、友だちと、こうして毎日うたいながら川岸を歩いたんよ。いろんなうた、うたって。戦争中じゃったけど、楽しいことは、いろいろあったんよ。写真館で仲良しが集まって、写真とってもろうたり。こうしていると、あのころみたいじゃね』
Posted by ブクログ
ズシッと何か重たい物が心に残りました。
今を生きる10代が、修学旅行で遭遇した過去の現実をどう受け止めるか。被曝で亡くなった人の出来なかった日常を想像すると・・・。
読んだ若い世代に何か伝わる事を願いたい。