あらすじ
心は震え、身体はささやき、そして人は生きていく。
薬物依存、摂食障害、解離性同一性障害、女性への性暴力、男児への性虐待、ジェンダー/セクシュアリティをはじめとした臨床現場の経験の知から、中井久夫、エイミー・ベンダー、島尾ミホ・敏雄との対話、学際研究の価値を問う人文の知へ。「傷を語る・傷に触れる」「臨床の知」「傷に寄り添う」「傷と男性性」「知は飛翔する」という高密度に編成された五つのセクションを通じて、臨床の足跡と、医療人類学の考察が、多方向へと展開されていく。
傷を語ることは、そして傷に触れることはできるのか? 問われる治療者のポジショナリティとはいかなるものか? 傷ついた心と身体はどのように連動しているのか? ジェンダー・センシティビティはいかにして臨床の質を左右するのか?――傷ついた心と癒されゆく身体、その波打ち際でトラウマと向き合う精神科医にして医療人類学者の、思索の軌跡と実践の道標。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
題名通りのトラウマにずっと関わってきた著者の「触れる」ではなく「ふれる」である。繊細な臨床をおこなってきた著者の言葉も繊細であり、読んでいる度に心の輝線に触れる。トラウマ臨床で語られにくく、そして対処が難しい性の問題、そしてそれに絡むジェンダーの問題。徐々に難しい問題に章を進め、男性の性虐待の問題に触れる。この問題については、この著書で初めて知ることもあり、目が開かされた。最後は、学問、知の世界への著者のスタンスを語る。トラウマ臨床への一歩が進む書であった。
Posted by ブクログ
Pⅲ
『トラウマにふれる。
触れる。振れる。震れる。降れる。狂れる。
触れる。ふれる。ゆれる。ぶれる。ずれる。
精神科の臨床をしていると,相手の抱えるトラウマ(心の傷)がなんとなく透けて見えることが多い。でもそこに触れた方がいいのか,触れない方がいいのか,迷うこともまた多い。傷には触れないですませられたら,それにこしたことはない。けれども触れざるをえないこともある。時には,深い傷口をざっくり開けた状態で,目の前にあらわれる人もいる』
ーーー
こころの傷ーそれはあたりまえに目に見えない。
だからといって,見て見ぬふりしていいわけがない。
だからといって,どう見たらいいのか正解があるわけでもない。
だからこそ,ただそっと,そっと,ふれていくのだ。
Posted by ブクログ
傾聴とは何か。
トラウマを知り、トラウマと向き合うことを知ることで、この問いの答えに一歩近づくことができた気がする。
傾聴とは、自分のアンコンシャスバイアスとの闘いなのだと思う。向き合う相手が深い傷を抱えている程、自らの経験則、培った来歴を捨てて、ありのままを受け入れることが出来るのか、が試されているのではないか。
我々は、無意識の部分を探究するスキューバダイバーなのだ。
単一の学問ではなく、森岡正博さんが説く「ひとり学際」の精神で、総合的な学びを成し、自らの無意識に深く踏み込むことが必要だ。
そうでなければ、真の「傾聴」は実践できない。トラウマを抱えた人と共に居ることは出来ないのだ。
Posted by ブクログ
※自分が読みたかったものとは少し違ったので評価を下げています
親からの見えない加害を受け、トラウマの克服法を探して本を読んでいます。
結論からいうと私にとってはそこを緩和するもの、脱することができるアイデアを得られるものではありませんでした。
本書は全く学びにならないということはなかったですが
DVの記載において加害者=男、被害者=女
のような記載が目につき気になりました。
上記気になったので全体通して熟読というよりパラ読みになってしまいました。
記載が難しい箇所だとは思いますが
逆のケースもままあると思うので、その記載は避けていただきたかったです。
また親の不仲による子への影響の記載はありましたが
その他親から子への加害の記載は暴力・性暴力についてが多く、
もっと埋もれている加害(言葉、経済)についての記載もあればよかったなと思いました。
※埋もれている加害については、大人同士の事象の記載はあったので読み替えればいいのかもしれませんが、子どもはさらに抗えない、脱せないという記載が薄かったです。