あらすじ
子どもたちだけで映画を観に行った思い出。
ひとり給食を食べるのが遅い、あの子のこと。
久しぶりに帰った実家での母との会話。
僕のことを忘れてしまった、おばあちゃんとのおしゃべり。
動物園デートの思い出。
結婚1年目に夫婦で見た景色。
子どもと歩いた散歩道での出来事。
子どもが寝静まった後の帰宅。
ビニールプールで遊んだ夏のこと。
家族で見た海の情景。
著者のひうち棚さんが2009年から2021年まで、毎日少しずつ丁寧に描いてきた随筆マンガ作品を一冊に。
恥ずかしくもある「昔」の記憶、いろいろある「今」の情景、そしてまだ見ぬ「未来」への願いの詰まった作品集は、たっぷり250ページの分厚い単行本になりました。
それでも、人の人生を、毎日を描ききるには充分な枚数ではないのかもしれません。
ですがきっと、忘れていた大事な時間や大切な人たちのことを、思い出すことはできます。
美しい線で光が描かれ、コマとコマの間に流れ始める時間は、私たちの人生の記憶と穏やかに重なります。
家のどこかにある、忘れていたアルバムの写真を眺めるように、ゆっくり少しずつ、楽しんで読んでいただきたい一冊ができました。
●●●収録作品●●●
「映画の思い出」「おてがみ」「ひとごと」
「ユートピア」「城山」「デジカメ」
「父の母」「デート」「フォトグラフ」
「遠回り」「一年目」「きんかん」
「急がなくてもよいことを」「空白期間」
「まだ今日」「夏休み」「柿の木」「海」
●●●コミックビーム 公式ツイッター●●●
@COMIC_BEAM
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
Twitter(現X)でフォローしているひうち棚さんのコミックを購入。
絵を味わうという趣の本で、読んでいる間、子供の頃の夏休みの昼下がりみたいな気分になった。静かでなんてことなくて少し気だるい感じだ。
Posted by ブクログ
ツイッターで表題作を作者自らアップしているのを目撃して、ずっと気になっていたので本を購入。
よかった。
間違いなく写真を活用している漫画だが、
写真を絵に起こすとき、点描やシンプルな線やから、立ち上がってくるものが、ある。それも、ずいぶん大きいもの。
2009年から2021年までの随筆漫画。
以下、18編読み返しながら、思ったことをメモしてみた。
(ざっくり4分割してみると、幼少期。)
・映画の思い出
・おてがみ
・ひとごと
(青年期。父母。)
・ユートピア ……なんと藤子不二雄A 「まんが道」の高岡に聖地巡礼!
・城山 ……母のだし巻きたまご。
・デジカメ
・父の母
(恋人。結婚。)
・デート ……三好銀「三好さんとこの日曜日」のテンポを連想。林静一「赤色エレジー」でこういう汗の表現があったかもなーとか。
・フォトグラフ
・遠回り
・一年目
・きんかん
(長女。長男。妻。……素晴らしい。)
・急がなくてもよいことを ……あったあった子供って散歩するとき要らないものを持っていきたがるよね。指さして言うのが好きな時期。そして「そんなに急いで大きならんでもええからね」成長し得ることと失うことはコインの両面のようなもの。この言葉の実感力よ。ルイス・キャロルが「鏡の国のアリス」でハンプティ・ダンプティに代弁させた、成長なんて7歳で止めておけ、という例のヤバめフレーズも、通じていると思う。
・空白期間 ……人が目を伏せたり目を瞑ったりする姿に聖性を感じるが、子供の寝顔はその極致。
・まだ今日
・夏休み ……出ましたー「キャバキャバキャバキャバ」!(「まんが道」の森安氏) 人を思い出すとき、ついバストショットで笑顔や澄ました顔が浮かびがちだが、子供の全体をちゃんと描いている。特にひーちゃんの脚の表現が凄い。子供って足を持て余すように動かしているというか。大人と大人は顔と、せいぜい手くらいでしか触れ合わないが、子供は足まで含めて全身でぶつかってくるもので、遊んでいるとあー人間って足があるんだなーと気づかされる。
・柿の木
・海 ……このラスト一コマ! 一冊通しての感想にもなるが、ただの日常の一コマであるあるほっこりーみたいなことではなくて、生活を見つめることで聖性が立ち上がってくる瞬間が表現されている、というか。ゴッホが想像で描くことを自らに禁じたのはモデルを描くことでキリストを表していた、とか。大袈裟に書いてしまったが、忘れないでいたいという描画の手つきが祈りに似ているというか。自分には絵を描く能力はないけど、いま自分が体験しているかけがえのない生活を、代わりに漫画にしてくださって、作者様に感謝。
◇あとがき
Posted by ブクログ
Twitterで「おてがみ」を読んでビビッと来、即購入。ただ、結局それが一番好きな話だった。
つげ義春的な雰囲気も感じつつ、違うのは、こちらはその絵柄の割に悲壮感はない。
ペンタッチも作品によってまちまちで模索中なのか、作品によって使い分けているのか、よくわからない。
中盤以降の作品はほとんど或る家族のフォトアルバムを眺めているかのよう。
もう少し突きつけてくる何かがあるとよかったが、そんなことよりもこの作者は自分の人生をとても愛している感じがして、それは良かった。