あらすじ
「この子どうしてしゃべらないのかなぁ?」と、ふしぎに思っている人たちへ。
場面緘黙症だった私の、今まで誰にも言えなかった、子ども時代から学生時代、やがて大人になって、かんもくを克服していく姿をマンガで紹介します。
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Posted by ブクログ
緘黙を経験した著者によるマンガと、支援者である臨床心理士の方のコラムの二人三脚により緘黙の理解が深まる一冊。
ご本人の立場からまわりがどんなふうに見えていて、何を感じていたのかが率直に描かれています。
話せるようになっていく過程の中で、何が起きてきたのか、どんなことが助けになったのかが参考になりました。
緘黙ガールのその後まで
クラスに1人はいたような、あの子のお話。
緘黙についてなんの知識もない人にもわかりやすい内容です。
その人の立場、痛みも理解とまでいかなくとも、知ってあげることができる。
成人してからのつまずきや人生の軌道修正などもわかって面白く読めました!
Posted by ブクログ
この著者の かんもくの大きな原因の
一つが 家庭内の不和でしたので
ご両親のストレスが
もろ お子さんに出た形です
でも お子さんのかんもくで悩む
親御さんが 読んだとしたら
ちょっと責任を感じてしまうのかな
あらをさがすのではなく
しゃべらなくても 内面に
豊かな感情があることを
理解できるといいな
と思いました
Posted by ブクログ
2015年11月8日(日)の、読売新聞朝刊、
本の紹介欄で小児科医の先生が紹介しており、気になったので購入。
「場面緘黙症」と言う、
何故か学校でおしゃべりが出来ない症状のお話です。
漫画で描かれており、
合間合間で専門家の解説が入るので、大変読みやすいです。
そういえば小学校の頃
同級生にいました、全く喋らない女の子。
出欠をとる時に名前を呼ばれてもスッと手を挙げるだけで、
声を聞いた事が無かった気がします。
(呼ばれて手を挙げられるので、耳が聞こえない訳ではないらしい。)
彼女の周りには面倒見の良い女の子達が集まっており、
先生も気をつけていたようなので見た感じでは大きな問題は無さそうでしたし、
そういう子なんだろうとさして気にしていなかったのですが、
多分彼女は「緘黙症」だったのだと思います。
緘黙症にも幾つか種類があるようです。
初心者向けで読みやすく、勉強になりました。
Posted by ブクログ
先日「ガケ書房」の山下店長が場面緘黙をカミングアウトし、「やましたくんはしゃべらない」という絵本を書いたとのことでテレビ出演していたので、久々に緘黙について考え、この本を手に取った。
あとがきの「場面緘黙を認知してほしい」というのに激しく同意。
また、緘黙が治った後も「治ったせいで性格の悪さが露呈した」と悩んだことにも激しく共感。今でも人と会うたび後悔したり、会わなかったことに安心したりしている。
私の場合は、田舎育ちのせいか、幸い友達も多く明るい緘黙ガールだったので、こんなに辛くはなかったけど、「根本的に解決していない」とはずっと思っている。
専門家の解説に「心的外傷と場面緘黙は、現在関係ないとされている」とあるが、そんなこと言われたらちょっと困る。全面緘黙がトラウマによるものなら、場面もそう変わらない。
確かに複数要因があるけど、私を含め、心的外傷が主な原因である子もいます。
いずれにせよ、発達障害やパニック障害ほど認知されておらず、「甘え」と見られるところが辛い病気です。一人でも多くの認知、もちろん当事者にも認知することが必要です。あなたは悪くないよ、あなただけじゃないよ、場面緘黙を恥じることないよと。
「場面緘黙」と言う病名を知っていても、専門機関に行かなかったり、当人に伝えなかったりする親もいます。教えて欲しかった。教えたらそこにあぐらをかくとでも思ってたのかな。かくわけじゃないでしょう。変わりたいんだから。
うちの親はどうして知っていながら、殴ったり叱ったり、家を追い出したりしたんだろうと、訝ります。
無論、寄り添ってくれたことの方が多かったですが。
「大人になれば治る」と勘違いする大人らは多い。治らないこともあるし、たとえ完全に克服したとしても、子供に取っては「今」が一番大事なんだから、「気長に見守り」つつ、できることは精一杯してほしい。「いずれ」とは言え、やはり早期の克服が尾を引かないのは事実だ。
誰だって、今の悩みが一番大変で、「今」の続きに未来があって、未来にきてから過去をなんども振り返ることで、また未来に帰れるものだ。
だから、できる限りの支援をしてほしい。トモエ学園の「一緒だよ、みんな一緒にやるんだよ」のように。
小学校の先生は世界一忙しいし、給料に見合わない仕事はしたくないかもしれない。それは理解できる。だったら心理専門家をつけたり、先生も休息を取れるように、余計な仕事を減らしたり(部活指導とか全教科の担当とか修学旅行の下見とか)をするといい。社会が学校という施設を見直す時代にきている。
家庭が第一というのは大前提にあるが、学校も、先生も生徒も一緒にやりたい。みんながもっと正直になれれば、子供は先生の悩みだって、結構真剣に向き合うものです。
そして、生徒は担任の先生を選ぶ権利があるし、先生もモンスターペアレントに疲れたら弁護士呼べばいいです。
そういうことをタブーにして当たり障りのないことでまとめようとするから、みんなが臭いものに蓋をするんです。
それも嫌なら学校制度そのものをやめればいい。
ちなみに緘黙によるいじめ、は確かにあったけど、私はあの時いじめた子達には、会いたいなと思う。みんな成長してるだろうなと思うから。逆に、あまりに天真爛漫でコンプレックスと無縁だった屈託のない子の方が会いたくない。
もちろん、優しかった子達も思い出す。あの時、特に、一言も喋らない私に自分の話をいっぱいしてくれた男子たちに感謝する。私の人格を面白がって、一緒に笑って、笑わせてくれて、喧嘩しても「喋らない」っていう禁句だけは絶対言わなかったデリカシー。参観日には、恥ずかしかったろうに私の作文を代わりに読んでくれて、「ウノっていうときは机をバンバンってして」と言って、ウノにも混ぜてくれた男子たち。二度と会えないと思うけど、ありがとう。
「しゃべりたくてもしゃべれない」期間に、「でも、しゃべらなくていいなら楽」ではなく「喋れたらどんなにいいだろう」へ気持ちをシフトできたのは、優しい子達のおかげです。