あらすじ
近年、いわゆる有名企業に就職する実力がありながら、雇用条件が厳しいと言われるNPO業界を選ぶ女性が現れ始めています。NPOで働く女性、略称「N女」です。
N女とは何者なのか。N女の出現の背景には何があるのか。また彼女たちの出現によって今、NPO業界では何が起きつつあるのか。開高健ノンフィクション賞受賞作家・中村安希さんは「N女現象」の行方を追い続けてきました。そこから浮かび上がってきたのは、職場や家庭、地域社会など、かつての共同体が力を失い、分断が進む社会の中で、失業、病気、災害などをきっかけに、あるいは障害や差別によって、人や社会の「つながり」からはじき出される人々が増えつつあるという現実と、そうした人々を社会につなぎとめようと試行錯誤するN女たちが奮闘する姿でした。
さらにN女たちの出現は、結婚や育児によって人生が大きく左右される女性ならではの問題や、男性型縦社会ではなく横のつながりを求める女性特有の潜在力など、現実的な課題を複雑に孕みながら、多くの働く女性にとってキャリアの在り方を問いかけています。N女は、現代社会に蔓延する「居場所のない不安」を解消する手立てとなりうるのでしょうか? 行政、民間、NPOの間を自由に行き来するN女の存在は、異セクター間のつなぎ役として、経営難を抱えたNPOの運営を立て直すことができるのでしょうか?
発展途上ながらも前途有望であるはずのNPO業界は、働く女性たちの新たな活力の受け皿となりうるのでしょうか。N女たちの苦悩と模索、生き様を通して、NPOの存在意義と未来の行方について見逃せない現実が、この本には詰め込まれています。N女たちの行動力はこの時代を生きる多くの人にとっても、大きなヒントを与えてくれるはずです。
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Posted by ブクログ
最後まで読むと、良さがわかる本。
以下、本文より
そして、もしかしたら「N女」は、と考えた。崩れゆく日本に現れた最後の切り札になり得るかもしれない、と。
女のキャリアライフは複雑だ。キャリア志向を持つ女性の多くは、できることなら第一線で仕事をしたいと思いつつも、男性と同じように100%では走り続けられないことを知っている。仕事にもプライベートにも、どうにか折り合いをつけて生きていかなくてはいけないことに気づいている。
女性の場合、キャリアアップのためには努力するが、ポジションアップへの関心は薄いかもしれません。今でも女性たちは、男性中心の企業構造の中で踏ん張り続けています。
余計なことに力を使わず自由にやりたい人にとっては、(NPOは)魅力があるのではないかと。自由に社会をクリエイトしたい人、自分でどんどんデザインしていける人にとっては、刺激的な職場なのではないでしょうか。
リクルートと出会う。「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」という社の理念に惹かれたのだ
自分の手の届く範囲、顔の見える範囲を良くする
自分の生活を犠牲にした働き方ではなく、細くとも長く続けられる働き方と仕事の選び方をしたいです。社会貢献的な仕事に携わっている人は、どうしても自分の生活や体のバランスを無視して邁進してしまう傾向が強いと思うのですが、基本は自分や家族あっての社会だという気持ちが強くなりました。まずは自分と目の前にいる人たちを大事にすること、そのうえで、私たちが生きている社会をよくしたいと考えること、その順番を忘れずにいたいと思います。
一番ワクワクしたのがリクルートだったんですよね。リクルートは、人をやる気にさせるのがめちゃくちゃ上手な会社だと思います。
多様化する女性社会の行く末のヒント。N女たちの生き様より3つ
・目の前の問題を自己犠牲によって解決しようとしない
・冷静かつ論理的、八つ当たりをしない
・人と自分とは違うという事実を受け止めること
経営が苦しいのは補助金が少ないからだといわない。できるだけ助成金や補助金に頼らず、自力で資金を集めたいと口を揃える
新しく事業を始めるにあたって、行政からの指導や規制の壁はなかったのか?
補助金に頼らない自立型の運営をしているので、あまり色々言われない。
行政からは「委託」を受ける。
行政をあてにはしないが「協働」はする
政府にはお金がない
貧乏というのは残念なことだ。しかし、悲しいことではない、とN女たちを見ていて思う。お金がないから出てくる知恵があるし、いい時代を知らないおかげで、現代や未来を過度に悲観せずにすんでいる。
Posted by ブクログ
中村安希さんの著書「N女の研究」は、NPOで働く女性(=N女)を対象にしたインタビューを踏まえて書かれた本です。
「N女」といってもさまざまな方がいますが、
この本の取材対象となった「N女」から、
著者が盗みたいこと(学びたいこと)として挙げているポイントがあります。
その一つが、「人は、自分とは違うという事実を受け止めること」
[様々な壁にぶつかりながら、女性たちがそれぞれの道で奮闘してきたことはよく分かる。
ただし、他の人に自分と同じ奮闘を期待してはいけないとも思う。あなたは育児も家事も仕事も完璧にやってきたスーパーウーマンかもしれない。
すごい努力をしたのだと思うし、きっと環境にも恵まれていたのだろう。
しかし世の中の誰もが、あなたのように強いわけではないし、優秀で努力家で環境に恵まれているわけではない。
あるいは良妻賢母として役割を果たしてきたあなたは、立派だと思う。
でもみんながみんな、あなたと同じ家事能力や忍耐力を持ち合わせているわけではない。
世の中には、いろんな理由で「働けない」「産めない」「頑張れない」人もいるし、いろいろな事情から「働かない」「産まない」「頑張らない」という選択をしている人たちもいて、そこには、正しいも間違いもなく、ただ、違いがあるだけがある。
N女たちは日々、いろいろな立場(自分とは違う立場)にいる人たちを、違いのままに受け入れながら活動している](本書・第4章より)
自分が一生懸命に頑張り、壁を乗り越えてきた経験をすると、他の人にも、その頑張りや努力を当てはめようとしてしまうことがあります。
他の人の問題を解決しようとして、抱えてしまうこともあります。
そんな時は、無意識に、「こんなに頑張っている」「こんなに耐えている」という思いを抱えているかもしれません。
著者は、「自己犠牲によって解決を図ろうとすることは、敵対や分裂を産み、根本的には何も解決しない」といいます。
自己犠牲をせず、他人と比較もしない。
ただ、違いがあることを受けとめる。
そして、ゆるやかな連帯を維持していくために、
利害の一致しない隣の女性のために、一緒に戦うことが、女性をとりまく社会的な課題を解決することにつながるというのが、著者の考えです。
私自身、自分の考え方や生き方と照らし合わせてみると、「ただ、違いがあることを受けとめる」という、
このシンプルな考え方を持つことが、実は、案外、難しいのかもしれないと思っています。
「これで、いいのだろうか?」と不安に駆られれば、
「自分は、これでいいのだ」という確信を持つために、自分と他の誰かを比べたり、自分の言動に賛同を求めてしまいがちな気がします。それが強く出ると「あなたも同じように頑張って」という押しつけがましい一面になる気がします。
「頑張る人」も、「頑張らない人」も、「頑張れない人」も、いる。それを認めたうえで、緩やかにつながり、社会の中にある課題を解決していくために、ともに戦う。
そんな懐の深い考え方を持てたら、いいのだけれど…。