【感想・ネタバレ】寒い国のラーゲリで父は死んだのレビュー

あらすじ

大きな父を持ってしまった息子の成長と和解の物語。
今を生きる人たちに読んで欲しい。~瀬々敬久(映画『ラーゲリから愛を込めて』監督)
凍てつくシベリアの収容所で父は道義に生き、そして死んだ。
父、山本幡男は、強制収容所(ラーゲリ)の過酷な日々の中でも決して希望を失うことなく仲間たち、そして自らを励まし続けた。
長男として、父から託された遺書の言葉を胸に刻みながらも、思うにまかせぬ自らの人生と家族の思い出を綴った、ほろ苦くも味わい深い回想記。

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Posted by ブクログ

私はシベリア抑留に対して興味があるため、この本を手に取りました。
みなさんは山本幡男さんという方をご存知でしょうか。南満州鉄道会社調査部に勤務していたのですが、敗戦前年の昭和19年7月に軍隊に召集されてハルビンの特務機関に配属され、敗戦によってソ連軍によってシベリアに抑留され、日本に帰ることなく昭和29年8月に亡くなりました。抑留されている間は、希望を失わず、同じく抑留されている方に対して、帰国(ダモイ)をあきらめないようにと鼓舞し続けた方です。
令和4年12月には「ラーゲリより愛を込めて」という映画が公開されたこともあり、この本が出版された契機があるようにも思いました。

山本幡男さんを主人公とした辺見じゅんさんの「収容所から来た遺書」を読んでいたため、山本幡男さんは子煩悩であり優しいお父さんというイメージを持っていたのですが、お子さんである顕一さんから見るとお酒を飲むと乱れる怖い父だったようです。
「幼児の私にとって、父はまったく恐ろしい存在であった。いつどんな時にガミガミ叱られるかわからず、父が家にいるだけで絶えず緊張でビクビクしていた。たまたま父が出張で家を留守にしているときにだけ、私は安心してほっと息をつくことができるのであった。(略)内心密かに父を憎み続けた。(略)私はあの父が(シベリアから)帰ってきて一緒に暮らすことになると思うと、嫌でたまらなかった。高校時代の私は、あの父と起居を共にするぐらいなら、自分は家出をしようと本気で考えていた。」(43P、48P 第2章怖い父)

私自身の亡くなった父も怖い人でした。違う意見を言うと力で抑え込まれることがあったため、憎んだこともありました。父は鹿児島県鹿屋市にあった海軍飛行予科練修生でもあったことから、軍隊の厳しさを身に付けていました。

第1章では大連の様子が記されています。大連は日本の敗戦前には自由貿易港として栄えており、子供時代にはホテルで北京ダックを食べ、喫茶店でコーヒーを味わい、ウイスキーチョコレートを舐め、ピアノの演奏会に連れて行ってもらったり、叔母は宝塚の出張公園に出向いたり、夜も歓楽街で賑わっていた様子を読むにつれ、内地(日本の本土)とは状況が違うと思いました。(34P)

第3章では、体の弱い筆者に対して優しく接してくれた恩師である大野幸子先生のことが書かれています。算数や理科を特別授業してくれたりしていましたが、敗戦前に満州里というソ満国境に転勤したと思っていたため身を案じていたのですが、無事に生きて日本に帰ってきており、横浜で再会して旧交を温めあえたことは良かったと思っています。(53P)
第4章の引き揚げでは、日本に帰るために新京で今川焼を売ったりする様子が書かれており、幸いなことにソ連人の日本人女性に対する暴行なども見たことはないということです。(69P)敗戦翌年の1946年9月10日に博多港の外れの箱崎港に無事に帰れたことは、本当に良かったと思っています。


第10章で母(山本モジミ)が父(山本幡男)の死去を聞いた際の情景が正直に生々しく書かれています。『(大宮市役所から届いた父死去の電報を母に見せたところ)母は「ワオーッ」と叫ぶなりバタンと床の上に倒れ込んだ、それからその電報を握りしめながら、ワンワンと大声で泣き叫びながら畳の上を転がり回った。号泣はいつまでも続いた。私は呆気にとられて、芋虫のようにのたうち廻っている母を浅ましいとまで思いながら目で追っていた。』(160P)
それだけ夫に会いたかったのだというモジミさんの気持ちの強さを感じました。

本の最後に山本幡男さんの遺書の全文がありますが、その中で感銘を受けた部分がありますのでご紹介します。
「君たちはどんな辛い日があらうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことに感謝することを忘れてはならぬ。(略)また君たちはどんなに辛い日があらうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な理想を忘れてはならぬ。偏頗で驕慢な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基く自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友だちと交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面において、この言葉を片時も忘れてはならぬぞ。人の世話にはつとめてならず、人に対する世話は進んでせよ。」(子供等へ251P~252P)
この部分を読んで山本幡男さんという方は優しくて奉仕の精神をもった貴高い方であったと思いました。

その他、日本に帰ってからはフランス文学を志し、東京大学に入学し、渡辺一夫先生に師事して、フランスで学び立教大学の教授となったこと、弟さんを最後まで世話をしたことが綴られていました。

山本幡男さんが作った句を一つ紹介します。
「初日の出染まらぬ雲ぞなかりける」(227P)

なお、井手裕彦さんという元読売新聞記者の「命の嘆願書」(集広舎R5.8.23初版発行)の第30章(779P~811P)には『「収容所から来た遺書」の真実』として「収容所から来た遺書」を補足する内容の記載がありますので、ご紹介します。(1295Pある重厚な内容の本です)

その中に辺見じゅんさんが小説を書くに際して、お母さんのモジミさんは多くの資料を渡したそうですが、その中にあった遺書を返して欲しいと辺見さんに何度も話していたのですが、結局帰ってこなかったという内容が顕一さんから聴取した内容として記載があります(797P)が、ショックな内容でした。借りたものは責任を持って返さないといけないのではないかと思いました。

この本は、本当に素晴らしい本でした。
シベリア抑留と戦争について、興味のある方には是非、お薦めしたい本です。この本を書かれた筆者と出版社に感謝申し上げます。拙い文章をお読みいただきありがとうございました。

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2024年01月04日

Posted by ブクログ

原作本や映画では描かれたなかった主人公・山本幡男さんの家族の物語。息子の山本顕一さんから見た父親の姿は、本や映画では想像がつかないほど厳格で時に乱暴な印象であった。けれど、山本幡男さんの遺書にあったように"道義"を貫いた人であることは、家族の物語からも伝わってきた。時に厳しくても、常に家族のことや周りの人のことを考えて生きた山本幡男さんの凄さを改めて感じた。寒い国シベリアの地で亡くなった父親になかなか会いに行けなかった顕一さんが、様々な葛藤を乗り越え無事に再会できたことが嬉しく涙が出た。

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2023年01月01日

Posted by ブクログ

皆を励ましていた山本幡男氏を息子からみた父親としての姿は「頑固」で「怖い」怖いというものだった。映画や『収容所から来た遺書』とはまた違った視点でシベリア抑留を知ることができる。ただ一点、山本顕一さんの記憶違いや脚色が入っているという可能性は頭に入れながら読む必要がある。

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2024年03月31日

Posted by ブクログ

「ラーゲリから来た遺書」から流れ着きました。同書のスピンオフ的な内容を期待して。そういう意味では少し期待外れではあったんですが、残された山本ファミリーの人生がとても興味深くて、面白かったです。
歴史であまり語られることのない満州国の生活、難民さながらの引揚げ…大変ご苦労された方々に失礼かもしれませんが、「こんな時代があったとは!」とドキドキしてしまった。

そして、ご自身の恥部も包み隠さず書かれる姿に、ガンジーの息子のハリラールを思い出してしまった。他者から映る父の姿と、自分の見る父の姿がまったく違って見える、という点で。
ただ、ハリラールと顕一さんの一番の違いは、山本幡男氏が生きていたら、きっと顕一さんを誇りに思っていたであろう点。ご自身は立派な生き方ができていないとご謙遜されているが、十分だと思います。

山本モジミさんの生き方には特に感銘を受けました。素晴らしい行動力!この夫にしてこの妻あり、そしてお子さんたちあり!といった具合です。
夫の不在中、なんとか自分が家を守らなければ!という気迫がすごいです。生きていくためなら、今川焼も焼く、魚の行商もする、教員として希望の赴任地にいける努力も惜しまない。
「元祖ワーママ」とでも言いましょうか。家電のない時代に、よくもまぁここまで頑張られたことと思います。本当に頭が下がる思いです。家電あり、夫あり、子一人でヒーヒー言っている自分が恥ずかしくなるくらいでした。

北溟子の俳句をまとめて読めたのは良かったです。
この本の中で紹介されている「極光のかげに」、装丁画に使用されている香月泰男など、まだしばらくシベリア抑留ものを調べ読み漁る日が続きそうです!
山本幡男氏の遺書は、私のような凡人の心も打ちました。人類の幸福の増進のため、勉強する日々を続けます!

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2023年12月28日

Posted by ブクログ

映画の関連著書として、興味を惹かれて手に取った。ラーゲリと呼ばれる収容所で、帰国を望みながら亡くなった著者の父親。その父親のシベリアでの抑留生活の悲惨な様子が、これでもかというくらいに、出てくるのかな?と、緊張しながら読み始めたのだが、多くの部分が、残された著者をはじめとする家族の歴史にページがさかれていた。結構、赤裸々、率直な生活史が語られていて、まずはそこに驚いた。
夫の帰国を心の支えに、ひたすら子供たちのために、歯を食いしばって苦労を重ねてきた、著者の母の心情は察して余りある。それに対して、あまりに淡白な著者に呆れたり。父親に対しても、出征までの生活の中では、あまりいい思い出がないらしく、執着がなさすぎ。母子家庭となり、姑小姑も同居して、経済的に豊かでもないのに、子供たちは、大学院まで進学することに躊躇いもなさそうで(責めてるわけではないが)あまりに無頓着に見えて、いたたまれない。まして、夫の死を知り、嘆く母親の姿を、見苦しいとまで感じたことを書いてる著者が、赤裸々すぎて引いた。
とはいえ、戦後の家族史として、心動かされるものが多くあった。
ラーゲリで亡くなった父の生き様は、最後の章で触れており、そこは感銘を受けた。遺書まつわるエピソード(紙としては持ち帰れないから、分担して暗記し、遺族に伝えた)も、遺書そのものも、迫力あり胸が震えた。
改めて、戦争の酷さを痛感。多くの人に、知ってほしい中身だった。

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2023年05月30日

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