あらすじ
死とは何か? なぜ死は怖いのか?
医学×宗教社会学×脳科学×哲学×物語を手がかりに
“死恐怖症”(タナトフォビア)の著者が究極の謎に挑む!
夜、ふと「自分が消えてしまう」ことに息が詰まる。死んだら無になるのか、何かが続くのか――。死を最も目にする医師、神や超越者を探究する宗教社会学者、デジタル不老不死を目指す神経科学者、死を見つめ続ける哲学者、人生や生死を描き出す小説家、それぞれの追い続けた「死」とは何か? いつか必ず死ぬ私たちは、何を信じ、どう生きるのか。これまで語られなかった、「死」と「死の恐怖」への新たな答えとは? 死生観が一変する1冊。
※カバー画像が異なる場合があります。
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Posted by ブクログ
自分の知りたいことをインタビューしてくれた本という感じ
研究題目にしていたので、答えがわかってしまって悔しかった
子供を産んでも死ぬのは怖いのかと思うと少し絶望した
Posted by ブクログ
「亡くなる3、4日前からは意識がはっきりしないことがほとんど」というのがこの本の中で一番救われる一言だった。多分「移行」の怖さが薄れるからだと思う。なにがなんだかわからない間に、自分が死んだこともわからないまま死ぬんだろう。
貴志祐介さんの「最後まで人類の知恵では到達できないところを説明してくれるのが宗教のいいところ」には大納得。でも私は極力科学で世界を理解したい。だから、科学で説明できることを宗教で説明してくる人にはイライラする。
私はタナトフォビアから来る反出生主義で子どもを産みたくないと思っているのでその点だけ著者と考えが違ったが、それ以外は著者が対談相手に投げる返答に共感するばかりだった。
今のところ私は、これから歳をとったら病気などの不幸が重なっていき、死んだ方がマシだと思うようになるだろうと思いながら何とか死への恐怖をやり過ごしている。
Posted by ブクログ
あなたにとって“死”というとどんな印象があるだろうか?
この本は、タナトフォビア(死恐怖症)の著者が、医師、宗教社会学者、神経科学者、哲学者、作家の方々とと話をして「死ぬとは何か」というのを考えていくという内容。
まさに、自分の死生観を見つめ直す時間となる。
この本を通じて、わたしが感じたことを深掘りしていく。
“死”というと自分がこの世から消えていくのだが、本書を読むまでは怖いか怖くないか?という考えのところで終わっていた。
しかし、読み進めていく中で、肉体の消滅、思考や思想の消滅など死の定義は人によって違うということが分かった。
個人的な考えで言うと、死に対する恐怖は少ない。
しいて言えば、痛みや苦痛に対する恐怖はあるかもしれない。
ただ、自分の存在が消えることに関しての恐怖は全くない。
なぜかを考えたときに、消えて後悔するほどの思想や思考がなく、そこまで世の中に執着をしていないということに気がついた。
「生きて○○したい!」という強い想いや成し遂げたいことがないからかもしれない。
最後に、本書の中で衝撃を受けた言葉があったので記しておく。
宗教社会学者の橋爪さんの「知識からは答えは出てこない。ほかの人の考えからどうやったら自分の考えが出てくるのか?自分の考えは他人のコピーじゃないから自分の内側から出てこなくちゃいけない」といった言葉だ。
これは死生観の話だけではなく、読書する意味にも通じるかもしれないと感じた。
知識を習得するため、やみくもに読み吸収するのではなく、そこから感じた自分の思考を大切にする。
それをしていこう
Posted by ブクログ
自分は死にあまり恐怖を感じないので
目からウロコの考えが多く、
読んでいて楽しかった。
特に私は作者が恐れている自己の喪失に恐怖がなく、
自分より周りの人が死ぬほうが怖い。
生きている間に出来ないことが増える方が怖い。
これは私が他者評価に依存してるからだと思う。
だからこそ脳をコンピュータに移動させて
自己を保つ仕組みにはゾッとしてしまった。
死は自己を損なえる唯一の手段なのに。
その有無を言わせぬ平等さ、
素晴らしさが希死念慮を高めるものなのに。
貴志祐介さんの親子関係と心理学の話には
深く共感し、首がもげるほど頷いた。
私が無償の愛だと確信していたものの正体は
まさにそれなのだと思う。
自分の死生観を見つめ直せる良い1冊だった。
Posted by ブクログ
タナトフォビア
初めて聞いた言葉。
私は「死ぬのは怖くてたまらない」という
その気持ちは理解できない。
けれど死についての興味はあるし
向き合ってきていると思う。
なので読んでみた。
解決することが目的でもないのだろう、
どんな結論に至るのだろう、
私は死についてどう思ってるのかな、と
自分と対話しながら読み進めた。
著者は死の他に怖いものはないのかな?
私は輪廻転生を信じている、というか
きっと生まれ変わるんだろうなぁ、でも
ここ(地球)には帰ってこない人もいるんだろう、
なんて思ってる。正解はわからない。
対談している人たちの言葉がまた興味深い。
黒い家の作者、この映画はこわかった、ホント
ぞぞっとする人の悪意、異常性、
自分の死を考えるよりも怖いかも。
他にも哲学者、脳科学者の視点から
タナトフォビアで悩む?著者との対話が面白い。
ふと思ったのは、、、
藤井風と対談してくれないかなぁ。
なんて言うんだろう。
Posted by ブクログ
タナトフォビアという言い方は知らなかったが、私がまさにそう。死ぬのが怖い。今この感覚が死後に全て無くなるという恐怖は幼少の頃からあった。このことは両親に話したかもしれないが、友人等には話したことはない。神を信じる父は死後の世界があると信じてるし、母と妻は死んだら終わりと達観してる。今でも寝る前にふと考えてしまうと恐ろしくて心臓がバクバクしてとても寝られないことがある。だから、霊の存在を考えるようになった。本書を読んで、同じ考えの人がいるのだととても興味深かった。だからといって、死を免れるわけではない。怖いものは怖い。でも、どうせ死ぬんだったら、楽しく生きなきゃ、やりたいことやらないと勿体無いと思うようになれたので、以前より恐怖感は少なくなった。毎日ハッピーなのが一番かなと改めて思えた一冊だった。
Posted by ブクログ
タナトフォビア(死恐怖症)である筆者が、医師·宗教社会学者·神経科学者·哲学者·作家という、死(あるいは生の可能性)に携わる様々な職業の人間へのインタビューを通して死の恐怖と向き合い克服することを目指した1冊である。
自分には死への恐怖、自らの存在が無になることへの恐怖が無いため共感的な理解ができず、全体を通してもあまり新しい発見というものはなかったが、「自分の存在が『無』になっている時間は生まれる前と死んだ後の二つが存在するにもかかわらず、何故『死後』だけが恐れられるのか?」「人が恐れているのは『死』そのものではなく有から無への『移行』ではないか?」という指摘は面白く新しかった。
Posted by ブクログ
死恐怖症(タナトフォビア)という言葉を初めて知った
医学・宗教社会学・脳科学・哲学・物語の第一人者との対談を通して掘り下げていく過程が興味深かった
私自身は死を怖いと思ったことはないけれど、そう考える人がいて、そう考えることも自然だと思えるようにはなった
Posted by ブクログ
タナトフォビアという言葉を聞いたことはあったが、こんなに死に対する恐怖を整理したのは初めてのように思う。私自信、死ぬのが怖い。無になるからだ。その先、ずーっと、目覚めることなく、意識がなく、暗いとも寂しいとも感じることがない。存在がない。それなのに、世界は進む。この地球はどんな終焉なのだろう、どこまで発展するのだろう、そういったことが、せっかく生まれてきたのに1つも見届けられず死ぬ。保留のように終わったら教えてもらうこともできない。それが怖かったのだ。この本の中で、死は自分のものではないという言葉があった。死を経験するのは私だが、死を見届けることはできない。死というのは残された人たちが、実感するもの。すっと落ちた。だから自分で理解できないものなのか。それから、死ぬことを予習することで死の恐怖を紛らわすことができる。その通りだと思う。あと100回しか夜ご飯が食べられないとしたら、あと3日後に目が見えなくなるとしたら、そういったことから積み重ねて、明日死ぬとしたら。そんなふうに考えて日々を丁寧に過ごしていけば、死への準備ができるのかもしれない。寝る前に明日は必ず来るし、朝には起きられると信じて疑わない。これは一種の信仰であると言っている人もいたが、死後に神がいるとは信じられないし、天国があるとも思えない。だが、意識を手放す「睡眠」は信じて体を預けることができる。以前、何かで赤ちゃんが眠くなると泣くのは、眠くなる感覚が無の感覚であり、怖いからだと見た。今じゃ寝る前に泣くことはない。やはり、慣れ、経験なのか。輪廻転生を信じることはないが、今世の人生データをバックアップして、いつか戻れたらいいなと思う。戻れないとしても、バックアップしてあるという安心があれば、スッと死を受け入れられる気がする。宗教も、神様も、戒名も、人生のバックアップだって、人間が人間のために創り出したもの。全てがビジネス。そう思うと神は絶対にいない。どれだけ今世を幸せに満ちて生きるのか。そのために金が必要なら、そうやって人から巻き上げることもあるだろう。生きることに貪欲だからこそ、精一杯生きて、死ぬことへの恐怖も薄れるのかもしれない。その生き方こそが自分の信じるもの全てであり、死恐怖症を克服するための鍵になると思う。
Posted by ブクログ
死恐怖症の筆者が医師、宗教社会学者、神経科学者、哲学者、作家に「死」「死の恐怖」について対談、というより問いをぶつけた内容。
死の恐怖に対して唯一に近い答えを求める筆者に対してそれぞれの解を提示する構成が上手い。
Posted by ブクログ
わたしも死ぬのが怖いと思っていたけれど、私のは「死ぬ前に経験するであろう痛みや苦しみが怖い」だけだった。
著者はもっと本質的に「自分が無になるのが怖い」そうで、その感覚はわたしには無い(むしろ無になりたい)と思った。
Posted by ブクログ
自分も小さい時から死ぬのが怖かった。
今でも怖い。死だけでなく時間が進むのも怖い。
この本を読んで何か真実を見つけられたわけではないが、ふと自分の子供のことを思った。
だいたいの人間が死に恐怖を感じるようになるのは5歳〜10歳。
もし自分の子供に「死ぬのが怖い」と言われたらなんと回答するかと思いながら読んだ。
その時は「死が怖いから生きることが尊い。だから生きているうちにいっぱい楽しいことをしよう」と言いたくなった。
第一章 予習する人
自分の死を自分で見ることができない。
自分の死を見るのは、実は周りの人ということです。
ご高齢になると、それがすごく深く身に染みていらっしゃる方が多くて、自分が死んだ後のことをかなり考えるんですよね。
もちろん、若い人でも、そういう人もいます。
そういう意味では、自分が死ぬと言う事は自分のものではないと思うんです。
第4章 対峙する人
私が1つ思うのは、死への恐怖というのが、私が存在しなくなった「状態」が怖いのではなくて、その状態に「移行」することが怖いんじゃないかと言うこと。
私が今存在している世界から、私の存在が無理なる世界へ移っていくこと、そこに恐怖があるんだろうと言うことです。
だから、永遠のそのものが怖いと言うわけではないんじゃないかと言う感じがしますね。
Posted by ブクログ
死への恐怖は残ったままだけれど、5つの観点から死について考えられた良い機会になった
哲学の観点がわたしにはフィットしたかも
わたしの恐怖は凡庸だなと思うものの、またぼんやり怖いな〜と思ったらこの本を読み返したい
Posted by ブクログ
医師や学者など各分野5名との対話のなかで、死をめぐる深い苦悩を赤裸々にさらけ出し、個人的で生々しいまでの「恐怖の断面」を見せてくれた著者の勇気に感服した
Posted by ブクログ
推測は良くないけど、身内の死とかに遭ってるのかなと思った。死は誰もその後がわからないのだから、誰にも聞けない。想像して信じるしかないのではないだろうか?死が怖くなった時、よく立花隆氏の臨死体験を読んでいた。非常に興味深い本だった。