【感想・ネタバレ】ふふふふのレビュー

あらすじ

繰り返される戦争やテロ、政治家の失言、脅かされる平和憲法、ないがしろにされる農業……。いつの間にやら窮屈になった世の中を、時には嘆き、おおいに憤慨しつつ、それでも真剣に愛し、格闘してきた著者が遺した言葉の数々。ユーモアと、定評のある観察眼が随所に光る、今こそ読みたい徒然の身辺雑記第二弾。(講談社文庫)

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Posted by ブクログ

井上ひさしのエッセイ集『ふふふふ』を読みました。
井上ひさしの作品は、2年半くらい前に読んだ『一週間』以来なので久し振りですね。

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苦笑 失笑 嘲笑 哄笑
いっこうにまともにならない世間を、愛と渋みをもって最後まで見つめ続けた人気エッセイ第二弾!

り返される戦争やテロ、政治家の失言、脅かされる平和憲法、ないがしろにされる農業……。
いつの間にやら窮屈になった世の中を、時には嘆き、おおいに憤慨しつつ、それでも真剣に愛し、格闘してきた著者が遺した言葉の数々。
ユーモアと、定評のある観察眼が随所に光る、今こそ読みたい徒然の身辺雑記第二弾。
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講談社発行の月刊小説誌『小説現代』に2005年(平成17年)7月号から2009年(平成21年)9月号に『ふふふ』というタイトルで連載されたエッセイを収録して2009年(平成21年)に刊行された作品です……最初に単行本化された『ふふふ』の続篇にあたる第2作のようです。

 ■おみやげ問題
 ■世にも恐ろしい読物
 ■また、アメリカですか
 ■かこつけ屋
 ■「時間」は作者
 ■いやな感じ
 ■カリブ海のエメラルド
 ■情報隠し
 ■道州制の思い出
 ■いたずら
 ■契約
 ■武蔵考
 ■侍従日記から
 ■二十一世紀的武器
 ■頭の中の火事
 ■暴風神父
 ■ある連想
 ■失言集
 ■いちばん偉いのはどれか
 ■母への二通の手紙
 ■憲法の三原理
 ■暗い五月
 ■朝青龍問題によせて
 ■空気を読めよ
 ■政治家の要件
 ■機転か、場当たりか
 ■二人のゴルフ狂
 ■シベールのラスク
 ■わたしの読書生活
 ■あっという間の出来事
 ■二つの妄想
 ■「偉人」たち
 ■朝日訴訟と残飯闘争
 ■イヤな予感
 ■あの黄金週間
 ■寄付金の取り分
 ■アイアムアボーイからパンニハムハサムニダまで
 ■台本作者の迷い
 ■無刀流について
 ■靴が飛んだ話
 ■桜桃寸感
 ■さもしい了見
 ■道化師宰相
 ■夢想
 ■中古品一台につき二十万円也
 ■長い目次をつけてから
 ■解説 生方卓

徒然に思うところを書きつづった身辺雑記…… 何かおかしい今日この頃の政治経済、社会情勢を語り、仕事の端々で感じる言葉に対する蘊蓄を語り、世の中に苦笑、失笑、哄笑する徒然の記! 待望のエッセイ集。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」という井上ひさしの哲学が随所に感じられる作品……政治や社会問題などの難解なテーマがユーモアと平易な言葉で語られており、愉しみながら読むことができました、、、

ユーモアたっぷりなんだけど、政治や時事、社会問題等々、社会の矛盾や偽善に対する視点が鋭く、それでいて批判に毒がなく人間味と優しさを感じるところ、テーマの幅広さが特徴ですね……読む人の立場や経験に関係なく、何かしらの「気づき」や「共感」を与えてくれる力があるなぁ と感じました。

個人的には、繰り返される戦争やテロへの憤りを感じさせる原爆や戦争への言及が印象に残りました……単なる批判に終わることなく、どうすれば人間らしく生きられるか! ということを考え続けた結果なんでしょうね、、、

現代の日本社会に通じる問題意識があり、時代を超える普遍性を持ったエッセイでしたね……機会があれば前作の『ふふふ』も読んでみたいですね。

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2025年07月28日

Posted by ブクログ

『ふふふ』に続く井上ひさしさんのエッセイ本。
外交のこと、憲法のこと、世襲のこと等について考察が書かれている。
考え方の参考にしたいことも多いので、また読み返したいと思う。

何よりも心打たれたのは「母への二通の手紙」。
ドイツの赤ちゃんポストに子供を預ける際に、母親が受け取る手紙の文面が紹介されている。
困っているわけでもなければ赤ちゃんを産んだこともないのに、その文面の優しさに涙が出た。
本当に困って、子供の幸せについて思い悩んで預けに来たお母さんは、この手紙できっと救われると思う。
私ですらこんなに優しい手紙を書く人がいる世界で生きられることを感謝したくなってしまったくらいだから。

援助を受ける時には各種診査が立ちはだかる場合が多い。
時にその診査が、やっとの思いで立っている人の最後の気力を奪うことがあるのではないかと想像する。
疑わしい目を受けられたり、ぞんざいに扱われたり、そんなことなら最初から手を差し伸べる振りをするなよと思ってしまうようなこともあるのではないか。
ノーチェックで援助するべきだとは言わない。しかるべき診査は必要だと思う。
でも、この人は困ってやってきたんだと、助けが必要なんだと信じて寄り添うところから始めてほしい。
そのことによって心が救われることが最も大きい力になるはずだから。

誠実であるとはどういうことか。
何度も何度も考えてきたことを今回もまた考えた。
答えが見つけられたわけではないけど、1歩進めたような気もしている。

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2013年08月07日

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