【感想・ネタバレ】検証 令和の創価学会のレビュー

あらすじ

「創価学会と公明党」をとことん解明。

「日本最大規模の信者数を誇る創価学会がいかなる宗教か。連立与党の一翼を担う公明党とどんな関係か。かなり物知りな人でも、きちんと説明できる人はあまりいません」--。本書は、1999年に自民党との連立に踏み切り政権与党入りしてから四半世紀。日本有数の宗教団体・創価学会を支持母体とする公明党の「今」を検証する一冊です。「日本人が知ろうとしない創価学会と公明党」「自公連立の歩みと評価」 「池田大作というカリスマを客観的に評価する」「創価学会の歩み」「公明党と創価学会読む年表」「プロ野球、箱根駅伝などスポーツ界、芸能界の創価パワー」をベースに論述します。さらに、ドイツの「キリスト教民主同盟」などの政党の成り立ちなどをわかりやすく解説。海外の人に公明党のことを説明する際に、「仏法民主主義政党」というと納得してもらえるという実体験にも触れています。2023年11月に亡くなった創価学会名誉会長にして、不世出の宗教指導者・池田大作名誉会長没後の巨大宗教団体の行方にも迫ります。

(底本 2025年8月発売作品)

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客観的公平な視点で描写

著者の目が創価学会の内在論理まで調べて客観的に公平な目で観察している点が斬新でした。
創価学会や公明党は、何故かいつもマスコミに否定的に取り上げられ、デマや嘘の対象になってきたのに、その事を事実と違うと否定する知識人や評論家、報道機関は皆無でした。
特に多くの政治家は、霊友会、生長の家、などの団体の支援を受けながら、コト公明党を攻撃したり、信仰に対して軽んじるような態度をとってきたのを見ていて、怒りさえ感じていました。
この本を読んで、正当に観察をして、事実を分析し、それを発信する知識人も居ることに、光明を見た気がします。
同時にこの本を読んだ方が、これからの世界や日本が良い方向に向かうように、宗教 思想 政治 文化 安全保障 等について考えを巡らせる様になったら良いなたと思います。

#深い #共感する

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2025年09月22日

Posted by ブクログ

本書は、創価学会という存在について、一般の読者にも理解できるよう、可能な限り事実に基づき、ありのままに描こうとしたものである。これまで出版されてきた類書の中でも、もっとも創価学会の実像に迫った一冊だと言えるだろう。

ただし重要なのは、客観的かつ事実に即して記述されているものの、必ずしも中立的ではないという点である。筆者自身は創価学会員ではないが、明らかに学会寄りの視点や主張が随所に見られる。この客観的だが中立的ではないという、一見矛盾した構造が成り立つ理由について考察したい。

巷にあふれる創価学会についての文書は、概ね次の4群に分類できる。
1.虚偽を多く含むもの
2.事実や史実など、ファクトに即したもの
3.ファクトに加え、創価学会員の思考や内在的論理にも踏み込むもの
4.内側にいる創価学会員自身の立場から書かれたもの

本書はこのうち 第三群 に分類される。

世間には第一群の文書が圧倒的に多い。たとえば、言論出版妨害事件や日蓮正宗からの破門といった事実の一部だけを切り取って、それより遥かに多くの虚偽を混ぜ込み、創価学会を批判するために脚色したものが典型である。これは、「ソクラテスは死刑になった」という事実の一側面だけを取り上げ、虚偽を付け加えて「歴史上の大悪党だった」との結論に導いているようなものだ。読みやすさはあっても、虚偽が多い時点で読む価値はない。

第二群には、いわゆる「中立」を標榜する書籍が多い。これらは事実に基づくため理解の助けにはなる。しかし、中立性を意識するあまり、高度経済成長期のコミュニティ提供や公明党設立による福祉の拡充といった社会的な役割からの視点のみに偏っており、信仰や教義の是非にはほとんど踏み込めていない。宗教団体の論評において、宗教について触れずに、社会的役割についてだけ論じているのは、小論文なら0点である。

一方、第三群は、社会的側面にとどまらず、信仰対象やその歴史的妥当性まで含めて、創価学会員の内在論理を検証するものである。


ここで「創価学会がどんな団体か知りたい」と考えるとき、第四群を手に取る人はまずいない。むしろ第三群すら避け、第一群や第二群に頼りがちである。しかし、第一・第二群の文書が第三群より真実に迫ることは、性質上あり得ない。それはなぜか。
創価学会をウニに例えてみよう。ウニを好きな人が創価学会員で、ウニを食べたことがない人が一般の人々だ。彼らからは、「気持ち悪い」「生臭い」「トゲトゲしい」など様々な意見が出るだろう。一部では、「ウニは化学兵器だ!」と叫ぶ人もいる。これが第一群の著者だ。確かに、毒ウニが存在するのは事実だが、それを拡大解釈し、「ウニで死ぬ人が多数いる」といった虚偽も加えて、真実から大きく逸脱してしまっている。そんな論説に価値はない。
第二群は「ウニには栄養がある」といった無機質なデータを語る。しかし食物の本質である“味”に触れることはない。これではウニを知ったことにはなりえない。
第三群の著者は「独特の風味があり、苦味と甘味があるらしい」と、伝聞ではあるが、味わいについても理解しようとする。しかし、どれほど論理的に説明されても、実際に美味しいかどうかは食べた人にしか分からない。
同じように、信仰も“信仰しないと分からない”側面がある。もちろん、団体として適切な批判であれば受け入れる必要はある。「食べ過ぎは痛風リスクを高める」などは正当な指摘だ。しかし、世に蔓延る批判のほとんどが、「ウニは本当はマズい食べ物だが、ウニ好きな彼らは盲信しているのでその真実に気づいていない」といった、そもそも論理として成立していないものなのだ。例えいかなる宗教であっても、その宗教の本質について、信仰者以上に詳しい一般人など存在し得ないことは留意されるべきである。ごく稀に、質の悪いウニを食べただけ、あるいはぺろっと舐めただけでウニを酷評する人間がいるが、彼らも本質を理解したとは言い難い。

話を戻すが、このように、第四群を除けば第三群がもっとも真実に迫っていると言える。ここで不思議なことは、この群の書籍は本書を含めて、創価学会に対して肯定的な論調が多いということだ。
この理由を性悪説に基づき短絡的に考えるなら「学会から買収されている」「学会を持ち上げて利益を得たがっている」といった想像が浮かぶかもしれない。しかし、より踏み込んで考えれば、「創価学会の内実を知ると、結果として好意的に評価せざるを得ない。なぜなら、そこに一定の魅力や論理があるからだ。」という可能性が高いといえる。

そもそも、そんな回り道をせずとも、漠然とした悪印象を持つ国民が多数派である以上、批判的に書いたほうが支持を得やすく、利益にもつながりやすいはずだ。にもかかわらず、第三群の著者が肯定的になるのは、それだけ“内実に触れると印象が変わる”ということを示唆していると言えよう。

ゆえに本書は、客観的でありのままを描いているが中立ではない、という一見矛盾した構造が成り立つのである。

もし本書を読んで「こんなのは創価学会の真実ではない!好意的に捉えすぎだ!」と矛盾を感じたのならば、むしろ矛盾の所在地は読者自身にあり、“悪印象に基づく偏った見方”をしていた可能性を考えるべきだろう。

結論としては、美味しいウニが食べたい。

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2025年12月05日

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