あらすじ
戦後30年を前にした東京・台東区の下町で、著者は、戦時中に桑原甲子雄により撮られた「氏名不詳」の人びとを探して、ひたすら露地を歩き、家の戸をたたいた。そうして探し当てた彼らが語ったのは、戦場と横丁、それぞれに降りかかった「戦争」だった。写真の留守家族たち、一銭五厘のハガキで出征した横丁の兵士たちの戦中・戦後を記録したルポルタージュの名著。 解説 鶴見俊輔/児玉也一
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Posted by ブクログ
昭和18年、横丁からラッパと日の丸小旗で送られ出征した兵士(召集令状のハガキに張られた切手にちなみ本書では「一銭五厘」と呼ばれる)たちの留守家族を写した写真を手に、30年後の昭和48年、著者が横丁に分け入り氏名不詳となった人々の足跡をたどるルポ。屈託なく笑う少年、恥ずかし気に微笑むお嬢さん、どういう顔をすればよいのか戸惑うような初老の親たち…一張羅で、普段着で、横丁の玄関口や小学校でアマチュアカメラマン氏の写真に納まる人々の今日では想像も及ばぬほどの波乱万丈な人生の一端が著者の足でコツコツと明らかにされるさまに、読んでいて心がわしづかみにされてしまう。
「人生とは茫洋としたもの」と振り返る元将校、「あたしは運がよかった」と息子の生還やその後の激動を振り返り胸をなでおろす老女、元特攻の飛行士は死を覚悟した瞬間に神に近づいたと独語し、祈願参りにも関わらず息子が戦死した母親は「信心はありません」という怒りと諦めを口にする。それぞれの体験から戦争を語る言葉からは「悲惨」や「苦難」という熟語に抽象化される前の血と肉を感じるし、これこそが鶴見俊輔があとがきで述べるところだろうと思う。
撮影から30年後の原著、鶴見による初回文庫化時点のあとがき、今回の文庫化に際しての著者の子息による解説と、ちょうど25~30年ごとに文章が折り重なる構成となっていて、体験が歴史になっていく過程がはからずも跡付けられているのだが、平成令和になってからもテレビ番組の取材で不詳とされた人物が特定されたと聞くと、歴史の中に忘却されることにあらがう一枚の写真の執念のようなものを感じてしまう。
現代の企画であれば往時と今の写真を並べて風貌に刻まれた時の変遷を明らかにする編集となりそうだが、戦後30年の時点ではまだそうした距離感で戦争に対峙できる空気ではなかったのかもしれない。戦後80年、節目の復刊を喜ぶ。
Posted by ブクログ
児玉隆也・著、桑原甲子雄・写真『一銭五厘たちの横丁』ちくま文庫。
1975年に晶文社より刊行され、同年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したルポルタージュが、2000年刊行の岩波現代文庫版を底本に復刊。
戦時中の昭和18年、僅か一銭五厘の葉書で東京の下町から出征した戦地の兵士に送るために、在郷軍人会の桑原甲子雄が撮影した留守を預かる家族の写真99枚を手にして、児玉隆也が戦後30年の東京の下町で『氏名不詳』の人びとを訪ね歩いたルポルタージュである。
驚いたのは30年後に『氏名不詳』の写真を見た下町の住民らが、その人物がどこの誰であると覚えていたことである。テレビの人気番組『ポツンと一軒家』でも近くの住民が空中写真を見て、誰の家だとか、今は住んでいないとか知っている。昔の東京の下町や田舎は住民同士がそれぞれに興味を持ち、生活の中で結び付いているのだろう。これは都会のマンションやちょっとした地方都市のアパートなどでは有り得ない。
作中に実際の写真が掲載されているが、老人と子供、女性しか写っていない。一家の大黒柱である父親、働き盛りの成人男子は戦地に赴いているのだ。出征した男たちの帰りを信じ続ける留守家族。しかし、実際には帰って来たのは白木の箱に入った親指の骨だけといった無念の死が多数あったのだ。
戦後から30年後に目にした写真と下町の住民たちの貴重な証言から、当時の厳しい状況や下町の住民たちの結束ぶりが窺える。
本体価格1,000円
★★★★