あらすじ
つながりあう生命・こころ・宇宙。
量子から銀河まで、無生物から人間まで、万物が示す驚くべき一貫性は何を意味しているのか?
最新の科学的知見を基にそのつながりを謳い上げる。
神秘思想においてアーカーシャ(虚空)として語られてきた、宇宙の一切を記録する見えざる情報場。現代科学はこの微細なエネルギーの海を「ゼロ・ポイント・フィールド」という概念で捉え、研究を始めています。その概念を援用しつつ、著者は本書で量子力学、宇宙論、生物学、意識研究の各分野における最新の成果を紹介し、万物の一体性・相関性を示す理論の可能性を追究しています。ものみなすべてが共鳴し響きあう、生き生きとした宇宙と生命のヴィジョンは、あなたの人生を根底から変えることでしょう。
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Posted by ブクログ
難しくて、ほとんど理解できなかったけど、知りたい謎がいっぱいつまっている本。
生命が死を迎えても、そのエネルギーはなくなるのではなく、宇宙の中に記憶される。
そして正しくアクセスすると、その記録を取り出すことができる。
「地球交響曲第5番」で、登場し、興味をもったアーヴィンラズロ氏。
生命が死をむかえても、そのエネルギーはなくならずに保存され、そのエネルギーは発信されてもいるそうだ。(そのメッセージを、世界の違う場所で、同時に受け取る人が現れたりもする。)
【転生について】(P228〜231より)私達の身体が完全に死んでしまい、「死んだ」物質のみが残ると、私達は永遠の宇宙意識だけと接触するようになる。言い換えれば、その宇宙意識の一部となるのである。
印象を言葉で表現しはじめる二、三歳から、五、六歳までの多くの子どもたちが、それまで見たことも、聞いたことも、会ったこともない人物に自分がなったことがあると報告することを発見した。子どもたちが、彼らがなったことがあるという人物の死と関係するような傷を生まれつきもっている場合もあった。たとえば、弾丸が当たって致命傷になったところに窪みや変色があったり、死者が失ったり負傷したりした手や足が変形していたり、というように。
私たちは痕跡を残さずに世界から消えてしまうことはない、私たちが経験することのすべてが、人類の集団的な記憶装置の一部となるのである。私たちは、現在生きている人々と、未来のすべての世代の人々の、脳や意識のなかで生きつづけるのだ。
【テレパシーについて】(P110より)「未開」の部族は、同じ部族のメンバーが遠くにいるときでも、その人から信号を受け取ることができるという驚くべき能力をもっている。
*「一万年の旅路(P226〜233)」の中にも、言葉の未発達な、ある部族がテレパシーによって、意思伝達をはかっている様子が語られている。
アーサー・エディントン「宇宙は精神的なものからできている・・・精神的なものが物理的な現実の源であり、必要条件なのである」
ジョージ・ウォールド「精神は生命進化の途中で生じたのではなく、はじめから存在したのである」
Posted by ブクログ
5年くらいツンドクしていてようやく読んだ。
ああ、もっと早く読んでおけばよかったと思うが、今読む事に何か意味があるんだろうと思う。
「フィールド 響き合う生命・意識・宇宙」「懐かしい未来」「BORN TO RUN」につづいてマイバイブルに加わりました。
量子真空の理解がさらに深まった。
Posted by ブクログ
とんでもなく面白い本が、世の中にはあるものだと思った。こんな本が、千円そこそこで手に入ってしまっていいのかという戦慄すらおぼえる。訳が上手いために、語られている内容は込みいっているにもかかわらず、とても読みやすかった。
量子力学によって、「観測によっては決して確定出来ないことがある」ということが明らかになって以降、数十年間の間、科学の発展は停滞していた。それが、ここ最近の研究で突然、飛躍的に進歩してきているのだという。
この本には、びっくりするような話しがたくさん出てくるのだけれど、どれも、SFの中のフィクションではなく、多くの科学的な検証の積み重ねの末に明らかになってきたことばかりなのだ。
中でも最も面白いと思ったのは、「同じ原子核から分裂した2個の素粒子は、どれだけ離れていても、片方に変化を加えると、必ず同時にもう片方にも同じ影響が発生する」ということだった。
驚くべきことに、この現象は素粒子だけでなく、互いに似た波長を持つ生体においても同じように発生する。そして、その伝達速度は光よりもはるかに速いのだという。アインシュタインの物理学では、光より速いものは存在しないことになっているので、この点でも、これまでの常識を超えている。
今出ている仮説は、「水や真空には、それが過去に経験した膨大な情報が記憶されているのではないか」ということだ。そして、その情報は一瞬にして何千光年離れた場所にも伝わるのだという。確かに、そういう仕組みがあると仮定すれば、色々な謎が解明される気がする。
江本勝さんの「水は答えを知っている」という本で、水にクラシックを聴かせたり、「ありがとう」という言葉を聞かせると、きれいな結晶を作るという話しがあったけれど、正にその理由を解明する糸口になりそうな話しだ。
「運命の赤い糸」のような話しは、これまでは、非科学的だと一蹴されて終わりだったが、最先端の科学では、逆に、そういうことが基本的な共通認識になりつつある。
考えてみれば、自分が生まれて以降、現在までの間には、科学や思想の分野において、パラダイム・シフトを起こすほどの、大きな発見はなかったのだと思う。
この本に書かれていることが理論的にきちんと確立した時には、ダーウィンの進化論以上の、大きな転換期が訪れるのかもしれない。自分が生きている間にそのようなことが起こる可能性があるというのは、とても楽しみなことだ。
人間の意識が常識的な範囲を超えてさまざまなことを成し遂げられることが今日発見されているが、これは半世紀前のアインシュタインの次のような発言を思い出させる。「一人の人間は、我々が『宇宙』と呼ぶ全体の一部、時間的、空間的に制限されている一つの部分である。人間は、自分の思考や感情を、他の部分からは独立したものとして経験するが、これは一種の錯覚、すなわち人間の意識が視覚によって騙されているのである。この錯覚のせいで、我々にはこの錯覚が一種の枷になっている」。(p.49)
神経生物学的な脳研究の最先端で、真の科学的な説明が出現しつつある。その鍵となるのは、脳は生化学的な機械ではないという洞察である。脳は、あるいは、生命体の全体は、「巨視的な量子系」なのである。(中略)個々の目的のために特殊化されたニューロンのネットワークの樹状突起構造に沿って生み出される、この高度な秩序をもったパターンの場は、脳のダイナミックな自己組織化の効果の表われである。これは混沌(カオス)の周辺部で起こり、脳の系全体に量子的一貫性(コヒーレンス)をもたらすプロセスである。(p.141)
空間は物を分離しているのではなく結びつけているのだという、古くからあった直感的知識に対して、本物の科学的説明が存在することに人々が気づいたとき、現代文明を代表する、新しいものを創造する天才たちは、これを実用に供する方法を見出すであろう。(中略)これによって量子コンピュータが実現するばかりか、一連の技術革新が次々と起こる道が開けるだろう。(p.154)
地球における生命進化は、偶然の突然変異に依存することはなかったし、また、生命の起源に関する「生命播種(バイオロジカル・シーディング)説」が主張するような、地球以外の太陽系のどこかからもたらされた生命体や「原・生命体」も必要としなかった。そうではなくて、最初の原・生命体がそこから出現した化学的混合液(ケミカル・スープ)は、Aフィールドによって伝播された、地球外生命の痕跡によって情報を与えられたのである。地球の生命は「生命播種」されたのではなく、「情報播種」されたのである。(p.188)
この古くからの「脳対心」の問題への新しい解決法に名前をつけるとするなら、「進化論的汎心論」が最適だろう。汎心論とは、すべての存在には心がある、心は世界のなかにあまねく存在する、とする哲学的立場である。「汎心論」を「進化論的」と修飾したのは、心はすべての存在に、一様に同じ成熟度で分布しているのではないという見解を明示するためである。私たちは、心も物質と同じように進化すると主張する。(p.205)
西洋文明の否定的な側面に存在する陰鬱な虚無感を、名高い哲学者バートランド・ラッセルは次のように表現している。「人間を生み出した原因は、その結果についての見込みなどまったくもっていなかったのだということ、人間の希望も恐れも、愛も信条も、原始の偶然の配列によって生まれたのだということ、どんな情熱や英雄的行為も、どんなに深い思考や感情も、個人の死を超えて存続することはないということ、古代から続けられた労働も、あらゆる努力も、すべてのインスピレーションも、まばゆいばかりの人間の天才のすべても、太陽系の終焉とともに消滅する運命にあるのだということ−これらのすべてが、完全に議論の余地がないわけではないにしても、やはりほどんど確実であるために、これらを否定して立ちあがる希望をもった哲学など存在しない」。
だが、ラッセルが言及している事柄はすべて、「議論の余地なし」ではなく、「ほとんど確実」でもないばかりか、単に旧い世界観が作り上げた妄想にすぎないかもしれないのだ。(p.11)