あらすじ
忘れかけていた日本人の心が震える
昭和20年、戦いを終えるにあたり彼は決然と米国大統領に日本人の物語を伝えた。
本書は、80年前の昭和20年3月、玉砕する硫黄島で、日本の海軍司令官、市丸利之助少将がしたためた一通の手紙のことを描いたノンフィクションである。
<日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言、貴下ニ告グル所アラントス〉
こう始まる手紙は、日本の立場、大東亜共栄圏の意味、天皇の平和を願う思い、アングロ・サクソンの欺瞞、西洋諸国による人種差別、スターリン率いるソ連との協調の危うさ……等、あらゆる角度からルーズベルト大統領の目を開かせようとするものだった。
日本人がこの80年で失ったものは何なのか。そして、これからの日本人に必要なものは何か。
80年前の玉砕の島・硫黄島において、突撃前に市丸少将が行った最後の訓示、「百年後の日本民族のために殉ずることを切望する」の意味とは何か。
手紙を書いた少将、命をかけてこれを翻訳した20歳のハワイ生まれの日系二世、その英文と和文を腹に巻いて突撃し、死して米軍に届けた通信参謀、彼らの意思と行動の理由が今、明らかになる。
百年後へ、日本人の魂をつなぐノンフィクション。
【主な目次】
はじめに
プロローグ
第一章 始まった史上最大の激戦
第二章 硫黄島「海軍司令部壕」
第三章 ルーズベルトに与ふる書
第四章 命をかけた翻訳
第五章 壮烈な最期
第六章 米紙が報じた「大統領への手紙」
第七章 唐津の風雲児
第八章 「予科練」生みの親
第九章 戦後の苦難
第十章 伝わってきた「偉業」
第十一章 腹に巻いて突撃した「父」
第十二章 父の遺品を探しあてた息子
第十三章 ホノルル生まれの英雄
第十四章 変わりゆく「歴史的評価」
エピローグ
おわりに
【著者プロフィール】
門田隆将(かどた・りゅうしょう)
作家、ジャーナリスト。1958(昭和33)年高知県安芸市生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社に入社。『週刊新潮』編集部に配属、記者、デスク、次長、副部長を経て、2008年4月に独立。『この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発』『日本、遥かなり─エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』『太平洋戦争 最後の証言(第一部~第三部)』『汝、ふたつの故国に殉ず』(角川文庫)、『なぜ君は絶望と闘えたのか─本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『疫病2020』『日中友好侵略史』『尖閣1945』『新聞という病』(産経新聞出版)などベストセラー多数。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
門田氏の真骨頂。硫黄島といえば栗林忠道だと思うが、海軍予科練生みの親として名前しか知らなかった市丸利之助少将が、硫黄島での死の間際に「ルーズベルトに与ふる書」を記していたことは全く知らなかった。欧米の帝国主義と苛烈な植民地経営、自国繫栄のためならイデオロギーの全く異なるソ連とも手を結ぶ欺瞞を指摘し、持たざる国を戦争に向かわせた悪の帝国の遣り口を鋭く糾弾する。大国相手に純粋すぎる日本外交がデファクトスタンダードから外れている(現在も尚)ことも問題だが、太平洋戦争開戦の本質をついた持論には胸がすく想い。特に終章の「変わりゆく歴史的評価」が圧巻。最後通牒のハル・ノートの起草者がソ連のスパイだった事実も初めて知った。門田氏には右の言説より、本書のような埋もれて忘れられている戦争の時代の日本人の矜持を上梓し続けてもらいたい。
Posted by ブクログ
毎年8月には極力戦争にまつわる本を読むようにしている。戦争を知らない世代ではあるものの、日本と戦争を切り離してはいけないと思うし、また日本人としてのアイデンティティのようなものもきちんと知る必要もあると思う。日本とは何か?を追い求める自分自身にとっても大きなテーマのように感じる。そして今回の一冊は一言で言うとめちゃくちゃ心を揺さぶられた。ぜひ多くの方に読んでいただきたいなとさえ思った。戦後80年を迎えた今もやはり戦争を忘れてはいけないと改めて思わされる内容だった。
Posted by ブクログ
米軍が硫黄島砲撃を開始したのが、昭和20年2月16日。以降、延べ11万1千人の大軍を上陸さる。
対する2万1千人の日本守備隊は地下壕に身を潜めながら徹底抗戦したが、ほぼ壊滅状態になり、3月半ばには、わずかな残存兵が決死の突撃を行い、壮烈な最後を迎える。
そんな中、海軍司令部壕で、アメリカのルーズベルト大統領に対して1通の手紙をしたためた男がいた。
彼の名は市丸利之助。海軍少将で、「予科練」生みの親と言われた有能で人格的にも優れた人物である。
彼が書いた手紙「ルーズベルトに与ふる書」には、アングロ・サクソンによる世界支配に対し、日本は東洋の解放を目指していたこと、真珠湾攻撃を始めるまでに追い詰めた原因はアメリカにある、共産圏のソ連・スターリンとどうやって協調していくのか、強者だけの独占は永遠の闘争を招き、人類に安寧・幸福の日は来ないなどといった内容のものであり、国際社会への懸念まで示されていた。
この手紙を英文に翻訳したのは、ハワイ生まれの日系二世で、米軍の無線電話傍受に携わる「特話員」だった三上弘文兵曹。アメリカ人の心情を理解し読みやすく品格ある英文に翻訳した。
そして、この英文と和文を腹に巻いて突撃し、“死して”手紙をアメリカ軍に届けた村上治重は通信参謀としての責務を全うした。
著者は、戦死したこの三人の物語を後世に引き継ごうと、ゆかりの人々を訪ね歩き、証言を集めた。
多数集められた証言の中でも、硫黄島の海軍司令部で唯一生き残った松本巌上等兵曹の証言は極めて貴重。
松本は生き残った運命を正面から受け止め、自らに課せられた責任を果たすかのように戦後、詳細な手記や証言を残した。
市丸の卓越した精神や死生観、家族への優しさ、温厚で教育熱心だった村上の息子が父の遺品である「ルーズベルトに与ふる書」の現物を後日探し当てた話、ホノルル生まれの秀才だった故に日本へ連れ帰られた三上の数奇な運命など、三人に関する史実や人間像が浮き彫りになる。
著者の熱量溢れる取材と文章力により、読み手は、三人を等身大の人として、親近感を感じることができる。
終盤に記述されている、日米開戦の裏に、ルーズベルトの前のフーバー大統領とグルー駐日大使が開戦回避に理解を示していたこと、資源のない日本が原料の供給を断ち切られたら、1千万から1千二百万の失業者が出ることになるなどの話があったことは勉強になった。
また、エピローグで紹介された、今年3月29日挙行の「日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」の光景描写にも胸を打たれ、熱くこみ上げる思いをしたことを付記しておく。
Posted by ブクログ
硫黄島の戦い。玉砕直前、敵国のルーズベルト大統領あての手紙を書いた海軍少将、それを英訳した日系二世の兵士、手紙を腹に巻いて戦士した通信参謀。
遺族も知らなかった手紙がアメリカで発見されたことから展開する話。日本が侵略でなく追い詰められて戦争となったこと、ソ連との関係など。将校の国際情勢を見る慧眼。
絶望的な戦場、孤島の果てで100年後の日本を考え死地に赴いた兵士たちのことは、後世に伝えていかなくては。
Posted by ブクログ
この時代の軍人達の思いなのだろうか。
この手紙には戦争への問い、怒り、覚悟が詰まっている。
硫黄島の激戦を経て現代にこの書が読める奇跡に感謝すると共に、市丸中将らの百年後の日本への思いに胸が熱くなる。
現代の歴史教育がいまだに自虐史観に寄っているのではと危惧しているが、この手紙の内容が広く知られるような教育を望む。
日本は侵略目的の戦争ではなく、東アジアの解放、世界の和平を目的としていたことを伝えていきたい。