あらすじ
「『文学』は私にとり、まず私の存在のしかたであり、態度なのだ」。大江健三郎、サルトル、石原慎太郎、若尾文子、日劇、『去年マリエンバートで』、『キングコング対ゴジラ』……文学はもちろん映画や自由、恋愛まで作家がクールな文体で語るエッセイ集。新たな7篇のほか、妻・山川みどりによる作家との出会いや夫婦の生活をめぐるエッセイ4篇を増補した決定版。
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Posted by ブクログ
山川方夫のエッセイ集。ここには30代で没した作家の永遠の若さが封じ込められていると言ってよい。しかし、その「若さ」は「未熟さ」とは異なる。『三田文学』の編集長を務め、江藤淳や曽野綾子などの才能を世に送り出した山川は、すでに20代のころから文学のその先を見通すことのできる、新鋭でありながら老練な作家でありプロデューサーであった。
山川は高名な日本画家の息子として、裕福な家庭に育った。「神話」というエッセイで、戦前に鎌倉へ「36年型ビュイック」で叔父の家族と一緒にドライブに行き、8ミリでホームビデオを撮った時のエピソードが語られている。山川は、「その日、叔父の8ミリの目が私を狙い続けたことへの恐怖に近い嫌悪は、いまもはっきりと記憶している」。ところが、実際に当時のフィルムを見ると、小学校三年生くらいの自分は「いきいきと明るく動きまわっている」のだ。
「では、間違っているのは私の記憶なのだろうか。/すっかり自信を喪失して、私は、幼年時代というやつは、一つの記憶というより、一つの神話なのだという気がした。おそらく、それは事実とは何の関係ももたない。ひとが過去と呼ぶもの、たいていの場合、それは自分勝手な現在の投影なのにすぎない。」(p.95)
おそらくどんな人も、自分の幼年時代のそうした「神話」を持っていて、それを懐かしんだり、嫌悪したりして、生きている。そうした「神話」に取りすがって、あるいは呪われながら、生きている。
ここでの「映像」と「記憶」との乖離は、本書第3章「目的を持たない意志――映画をめぐる断章」にまとめられたエッセイのテーマともなっている。
「情況の変革は気休めにすぎない。人間には出口はない。生きている人間には、絶対にこの世の中からの解放や脱出はありえず、他人との完璧な「愛」の関係も、現実にはすべて虚妄にすぎない。生きることは、しかし、つねにみずからの不在、その「完璧な瞬間」にいる自分だけを見つめながら、生きていることの恐怖に、ただじっと耐えていること以外にはない。それ以外に、人間の勇気はない。……」(p.202)
本書には付録として、『山川方夫全集』月報に寄せられた、夫人の山川みどりさんのエッセイも収録されている。一年に満たない結婚生活は、山川の交通事故死という突然の幕切れを迎えた。その短い期間の、山川夫人としての思い出が語られていて大変に興味深い。