あらすじ
デビュー作にして、第173回芥川賞候補作! 第68回群像新人文学賞受賞作! 「おれ、死んでもうた。やから殺してくれへん?」彼の胸に耳を当てた。するとたしかに心臓が止まっていた――。シェアハウスに住まう二人と一羽の文鳥。一つ屋根の下、同居人の蓮見から初瀬にもたらされた、気軽で不穏な頼み事。夢と現、過去と現在、生と死。あちらとこちらを隔てる川を見つめながら、「わたし」が決断するまでの五十五日。
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Posted by ブクログ
生と死、現実と非現実。
そういうものが曖昧に混ざり合っていくような感じがした。
文章の中で一人称と三人称が混ざる箇所があり、始めは読みづらかったが、次第にその人物との境目が分からなくなるような不思議な感覚になった。
離れて見ていたはずなのに、いつの間にか「わたし」になっていて、また「わたし」ではない自分になっている。
そんな感じがした。
私たちは、あるはずのものは必ずあると信じてしまっている。
疑うこともなく、当たり前にあるのだと立ち止まることもない。
しかし、この小説の中には「ないはずのものがあって、あるはずのものがない」。
でもそれは私たちが気づいていないだけで、この現実にもあるのかもしれない。
絶対にあるはずのボールが見つからないこと。
話した当人すら忘れてしまった言葉を覚えていること。
現実には存在していなかったけれど、確かに存在していた大切な時間のこと……。
そういう、特別ではない日常にも、ちぐはぐに曖昧になる瞬間、混じり合う瞬間はあるのだと思う。
普段受け流すように暮らしている日常を、ほんの少し立ち止まって見つめたくなるような作品だった。
Posted by ブクログ
結局蓮見とのあの日々はどこまでが現実?戸惑いと興味深い会話の数々。人の思考がいかに移ろい易く曖昧であるかを突きつけられると同時にそれを肯定してくれる安堵感が不思議と残る。理解できずとも何となくに委ねながら読むのもいいかと。芥川賞候補作。
瞼の話、青信号の話、伸びる腕の話など。自分の心にも確かにあった記憶が共感となって引き出される話がたくさん出てきてとても面白かった。
〈心に残った言葉〉
”あるはずのもんがないのとおなじ程度には、ないはずのもんもあるというわけ。”
Posted by ブクログ
芥川賞候補作
ふわぁんと話は始まり、そのままゆらゆらと進む
途中で現実に引き戻されて話のスピード感も上がってそこで色々分かることもあるんだけど、逆にそれがノイズに感じるほど不思議な心地よさがあった
まさに環境音BGM
Posted by ブクログ
第173回芥川賞候補作
第68回群像新人文学賞受賞作
実に幻想的な作品……とも言えるが、
心臓の「拍」が止まってしまった男が、
シェアハウスで同居する女性に、
「おれ、死んでもうた。やから殺してくれへん?」
と言う。
そこで、まず病院行けや、
と思わず突っ込んでしまいそうに(笑)
最後までふわふわしていて掴めず、
まさに鳥の夢のような、曖昧な作品。
Posted by ブクログ
なんとも不思議な物語。これは鳥(文鳥?)が見た夢なのだろうか。シャアハウスで同居する蓮見が「心臓が動いていないから殺してくれ」みたいなことを言うところはショッキングでもあり、それを普通に受け止める同居人の初瀬の言動もフワフワしている感じがする。様々な対立構造が小説の中にあるような感じもするが、なんかはっきりしない。純文学らしいと言えばそれまでだが、個人的にはさらっと読んで終わってしまった。
Posted by ブクログ
芥川賞候補ということで気になって読むことに。なにかがおかしい感じがするのにでもいまのその異常さは初瀬や蓮見には必要なものなんだろうな、という感じがする。死んでから始まる関係もあるんだね、もっと早ければと思う気持ちもあるけど人生はままならないものだし。遺体が見つかってくれたことは救いだと思いました。日本文学っぽかった。(読んでてちょっとかなり眠かったけど…)
Posted by ブクログ
該当なしだった芥川賞直木賞の候補作を買って本屋を応援しようキャンペーン。
芥川賞の方の候補だからストーリーが平坦なのはもうそういうものとして、スタイルが合わず。変則的なリズム感、括弧書きのない台詞、句点の放棄などなど全体的に型に嵌まらない文体なんだけど、少しくだけすぎで、演出上の効果を狙ってるのか単純に下手なのかがわからない。同じ芥川賞の『推し、燃ゆ』も同じ感覚だったけど、こういうのが「今っぽい」って評価なのかな。
自分だけが友人の過去の発言を覚えていて「”使命感”に似た気持ちを持った」とか、本来の語義から遊離した、ニュアンスの解釈が読者任せな言い回しが多いのも気になる。一行一行噛みしめるように読めば作者の意図に近づいていけるのかもしれないけども、こっちにその気がないとひたすら消化不良な文章が続く。身体感覚に関わる表現は面白いと感じる瞬間もあるんだけど、言語化しきることよりも雰囲気の演出が優先されており残念。端的にいうと余白表現主体の雰囲気系だなという感想。あるいは、単に純文学というものが僕肌に合わなくなったのかもしれない。
これ全然応援の文章になってないな。