あらすじ
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暮しの手帖社の創業者・社主であった大橋鎭子の唯一の自伝。その生い立ちから、名編集者の花森安治と出会い、出版社を創業し、暮しの手帖を創刊した初期のエピソード、次々と独創的な企画を生み出した花森と編集部の様子までを描いた自伝。
感情タグBEST3
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朝ドラのヒロイン=お節介焼きという設定は定番化していますが、とと姉ちゃんのモチーフである実在の大橋鎭子さんも例外ではなかったようです。
鎭子さんの人生は、実に冒険心と、良い意味で目的のためなら手段を選ばない意志の力に満ちたものです。本文ではそれらの悲喜こもごものエピソードが、陰りのない率直な、品のある文章でひたすら明るく綴られています。
「暮しの手帖」編集部の、凛として読者にも取材対象にも、そして誰より自分達にも妥協しない一方で、生活の中に息づく何気ないしなやかな美しさを大切に保ち続ける姿勢は、このしなやかに強い鎭子さん、創刊後30年近く立役者であり続けた名編集長の花森さん、そして彼らを支え続けた大橋一家と仲間達なくしてはならなかったことがよく分かる自伝です。
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大橋さんの文章には、品がある。
母が私に「すてきなあなたに」を渡してから、どれだけたったことか。しかしその品は、今読み返しても色あせることもなくかえって輝きを増すようである。
彼女の文章は、優しくやわらかく、しかし芯が通っている。激務の中で作られる雑誌であろうはずなのに、いささかの乱れも慌ただしさもない。
キャリアウーマンの先陣を切っておられたはずの彼女なのに。
仕事の乱れを見せない。しかし精魂を傾け、甘さを排除した結果は、今も尊敬される業績になっている。荒々しさのない、端正な生き方が結果を生んでいる。
私はこの後塵を拝する女になれるだろうか。
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大橋鎭子さんが子どもの頃に亡くされたお父さんから
「お母さんと妹たちを守るように」と約束を言いわたされた事が
がんばる力の源になっていること。
戦後、ただ生きることで精一杯だった時代に
女性は「美しく」「おしゃれに」と伝える内容と、そのようにするための
切ないほどの工夫を共有できる雑誌は、大橋さんの意志の強さ
なしには生まれなかっただろうと感じた。
ベビーカーの強度テストをするためにスタッフみんなで
100㎞実際に押して歩いてみる。
その真剣さが「暮しの手帖」の基礎に据えられているのだなぁ!!
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「暮らしの手帳」が花森安治氏という名編集長によって創刊・発展していったことは知っていたけれど、暮らしの手帳社の社長である筆者のことは何一つ知らなかった自分。
でも、この本を開いてすぐ気がついた。
ああ、この文は「すてきなあなたに」と同じ匂いがしている。石井好子さんの「巴里の空の下オムレツの匂いは流れる」とも共通した匂いだ。
つまりそれは戦前の教養ある女性たちが自然と身につけていた品であり、心意気であり、自負心でもあったのだろう。
編集者としての心意気、よいものを作り上げていくための心構えが、上品な文章で綴られている。ありがちな「これみよがしな苦労話」「手柄話」は一切語られていないのに、読む側にそれを忍ばせてしまう筆力はさすが。
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NHK朝ドラ「トト姉ちゃん」を観ていたので興味をもった。今回この本を開いたら最初に出てきたのが私が敬愛する「石井好子さん」からのメッセージだった。胸がキュンとした。時を同じくして活躍していた人がつながっていたという事実に、なんとなく心が弾むような思いがした。
花森安治さんの頭抜けたセンスや信念に応えた鎭子さん。出会うべくして出会った二人なのでしょうね。花森さんの話も読みたくなりました。トト姉ちゃんで出てきた恋のお相手星野さんに該当する方の話は今回出てきませんでした。鎭子さんのロマンスにはきっとロマンスだけじゃない何かがありそうで知ってみたいな。いやただのやじうまか(笑)
あと、今回ドキリとしたのが庶民の戦争体験を残そうと花森さんが言い、募集し、別冊などではなく通常版1冊を全て戦争体験特集にした件。このエピソードはトト姉ちゃんでも出てきたので、ふむふむ知ってるよと思っていたのだけど・・・・・・・。
その戦争体験募集をしたのが昭和44年だというのです。私が既にこの世に生をうけていた時のことだというのです。
なんだかんだ言っても戦争は過去の話であって、自分に直接関係する話だとは思っていなかったのです。でも昭和44年はまだ戦争の傷跡から血を流し続けている市井の人々が沢山いる時代だったのです。そのことを知りショックでした。
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新聞で、大橋鎭子さんの自伝、と紹介されていたので。
子供の頃、家にあった暮らしの手帖を読むのが大好きだったが、編集長は花森さんで、大橋さんの名前が、発行人と編集に載っていたのが不思議だった。
何十年ぶりかに、理由がわかった。
付録の、採録部分も読んで、誌上モデルも結構つとめていらしたことも知った。
内容は、花森さんが亡くなったところで、ほとんど終わっているが、その後のことも、大橋さんの文で読みたかった。
おもしろかった。
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暮しの手帖を作り上げた大橋鎭子さんの自伝的本で、暮しの手帖を立ち上げる経緯やその後の苦労、そして暮しの手帖でこだわり続ける様々なコーナーの秘密などをいつもながらの素晴らしい文章で綴られていて、芯の強い素晴らしい女性の姿を感じさせてくれました。近々ブログでも感想書こうと思います。
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「暮らしの手帖」「すてきなあなたに」日常を大切にしたこれらのすてきな本を作られた大橋さんの自叙伝。
さまざまなエピソードをドキドキしながら読みました。
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ふつうに勤めていては、母と妹二人を幸せにできない。自分で仕事をしなければ。著者は銀座のビルに部屋を借り、画期的な「スタイルブック」を創刊。着物を使い、直線裁ちした服をのせた。「暮しの手帖」の創刊号には川端康成の原稿をもらいに行く。
花森安治と雑誌を作った著者の自伝。運がいいようでも、実は著者の世話好きが引き寄せた運と気づかされる。
(週刊朝日 2010/7/16)
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上品な文章…ああ、この方が「素敵なあなた」を書いていた方だったのか。
根っからの編集者タイプだなと思った箇所。P152「台所拝見のときは、これぞと思うお宅の裏口に回って、「この近くに○○さんというお家がありませんか。道に迷ったらしいんです」と話しだし、チラッと台所を見て、「いい台所ですね、じつは、私は『暮しの手帖』という雑誌をやっている大橋鎮子といいます。ぜひ見せてください」と上にあげていただき、「あらためてカメラマンを連れてきますから、写真を撮らせてください」とお願いするんです。」
暮しの手帖も、小倉遊亀さんの挿絵を使っていたんだ!
P156「「幸田文さんの随筆には小倉遊亀さんの挿絵だ」と、譲らなかったのは花森さんでした。さすがにいい誌面でした。」
東久邇成子さんの生活手記を載せた号が売れたという話に続き、
「それともうひとつ、うれしかったことは、ユネスコで、日本の文化紹介のため、雑誌を世界の国へ送ることになって、数多い婦人雑誌のなかから「婦人之友」と「暮しの手帖」が選ばれたのです。この知らせを受けたとき、本当に涙が出るくらいうれしゅうございました」(P111)
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とても面白かった。「暮しの手帖」といえば名物編集長花森安治さんのことがいつも語られるが、花森さんと二人三脚のようにして、この特異な雑誌を生み出し育ててきた人がいたことを初めて知った。しかも90歳の今なお現役で日々「タネ探し」にいそしんでおられるとは!
肩書きは社長である大橋さんが、ゆったりとした語り口で、自らの生い立ちから「暮しの手帖」の草創期を中心に花森さんの死までを綴っている。幼い頃の父の死、女学校の思い出、花森さんとの出会い、暮しの手帖が世に出るまでの苦闘、戦前から戦後を必死で生きた女性の軌跡として心を打たれながら読んだ。大変な苦労だったことは想像に難くないが、悲壮な感じはあまりない。上品っていうのはこういう事を言うんだなあとしみじみ思った。
読みながらずっと考えていたのは、ここにも「女学校魂」がある、ということ。戦前戦中に女学生だった人にはどこかしら共通するものがあると思う。生まれ育ちが裕福とは限らないが、少なくとも娘を女学校にやろうという意識のある家庭に育つ。女学校では、在学時期によって勉学に励めた期間に違いはあるが、良き恩師・友人と出会う。戦後は、言うに言われぬ苦労をしながら、多くの人が自らの稼ぎで家族を養っていく。田辺聖子さん、佐藤愛子さんのお二人も、筆者大橋さんもそうだ。育ちのいいお嬢さんが、いったん苦境に陥ると底力を発揮して、人に頼らず自分の力で世間を渡っていく。こういうのを見ると私は「ああ、女学校魂だ」と思うのだ。
かつては定期購読していた「暮しの手帖」、実用的なんだけど、どこか浮世離れした気配があってそこが良かった(ファッション記事など「こ、これはいったい誰が着るのか?」的なミョーなのがよくあった)。いつから読まなくなっただろうか。久しぶりに買ってみようと思いました。
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暮しの手帖という雑誌で、花森さんと大橋さんがどのように仕事に取組んできたのかという記録。
編集者としての生き様がくっきりと浮き彫りにされている。
著名人の名前がちらほらと出てくるのも楽しい。読み物として本当に面白かった。
暮しの手帖を買ったことがないのだが、がぜん興味が湧いた。
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丁寧に誠実に作られた「暮らしの手帖」
お父さんを早く亡くして苦労された事
バリバリとキャリアを積んで
仕事をこなしていっているはずなんだけど
優しいお人柄がにじみでるような文章です
有名作家さんや皇室の方々に原稿依頼をしたり
アメリカ取材へ行ったり
安森さんのお手紙が表紙になっていて
ほっこりする
素敵だなって思います
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朝ドラ「とと姉ちゃん」から読んでみた本。
創刊からピーク時の「暮しの手帖」がどれだけ凄かったのかが分かった。が実際「暮しの手帖」を読んだこともないためが、今ひとつ感動というか遠い昔のことという読後感がでてしまった。読みやすかったが先を読むのが楽しみということが全然なく(そもそもエッセイなのでその手の本ではないのだが)、花森安治さんを知ったことが収穫だったか。
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1人の女性が、どうやってお金を稼いでいこうかと、自分のできることを考えたことから始まったものが「暮らしの手帖」のきっかけであったとは。「暮らしの手帖」の成り立ちがよく見えるのだけれど、やはり、花森安治という圧倒的な個性がいかに大きいものであったかを、再確認させられたように思う。
Posted by ブクログ
長く暮しの手帖社の社長を務めてきた大橋さんの手記。暮しの手帖との日々を綴ったもの。御年九十あたりとのことだが、今でも出社してはプランを考えることを楽しみにしているという。暮しの手帖というと花森安治さんが立役者とされることが多いが、なかなかどうして……というか大橋さんこそ、まさに影の立役者なのだ。戦後すぐに、女の自分が稼いでいける仕事をと思いついたのが出版業で、会社を作ってしまったのだから。
書かれている話の数々は、理想の職場、理想の雑誌、理想の人生のように思える。それは丁寧な文章から薫ってくるんだけど、いろいろ大変なことはあったんだろうな。こういう一見おっとりしていそうで、バリバリ成果を出してしまえる人物が女性にはけっこういるような気がする。あと、会社を設立する顛末などは、うまい偶然が重なったかのようだけど、やっぱり人同士のつながりによるところが大きいし、原稿の依頼などにしても、かつてのつき合いが功を奏していたりする。人のつながりは大切だなと思わされる。もちろん、大橋さんならさもありなんと思えるくらい魅力的。これはと思った人への肩入れの度合いがすごいらしいし、新幹線内で赤富士が見えたとき、珍しいからと周囲に触れ回ったのだとか。
実は本書では花森さんが亡くなった頃までしか書かれていない。むしろ、花森さん亡き後のほうこそ大変だったのではないかと思うのだが、「聞いていただきたいお話がけっこうあります。それではまた近いうちにお会いしたく存じます」ということばを信じて待つことにしよう。