【感想・ネタバレ】地図で学ぶ 世界史「再入門」のレビュー

あらすじ

地図で読み解く、とんでもなくディープで面白い世界史!
経済ニュース・国際情勢が面白いほどよくわかる!

地図とは、地球の営みが作り上げた造形であり、壮大な歴史絵巻でもあります。戦争、経済、政治、貿易、宗教。人類の営みを長い時間をかけて描いたもの、それが地図です。

本書は、地図に焦点を当てて、世界史を深く学ぶ本です。地図を読み解けば、一般的に知られている(あるいは表面的に理解されることが多い)出来事を、より深い次元で捉えなおすことができます。地図を出発点に、歴史を捉え直すことが本書の目的です。

また地図には、「文章や年表ではわかりにくい構造や背景が深くわかる」「ややこしい諸問題が見える化され、理解が深まる」というメリットもあります。

著者は、代々木ゼミナール、鉄人エイドなどで予備校講師を務める伊藤敏氏。板書での図解、なかでも正確無比な地図の描写と、「世界史の理解」を信条とした解説に定評があります。

平面的な知識に地図を加えると、世界は立体的に見えてきます。本書が目指すのは、地図を通すことで見えてくる「歴史の深み」をわかりやすく伝えることです。

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Posted by ブクログ

歴史を学ぶ上で「人の移動」という視点を知ることが出来ただけでこの本を読んだ価値がありました。

では何故人の移動が起こるのか?

例えば気候変動にの為、蛮族(片方から見た場合)が食糧を奪いにきて移動してきたと考えると納得出来る。

川北先生の「砂糖の世界史」は砂糖という観点から歴史を見る面白さに気づかせてくれた。

色々な本を読んで「今まで自分の中になかった」視点、観点に気づかせてくれる本と出会えたのは感謝です。

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2025年03月29日

Posted by ブクログ

 この著者は予備校の世界史の講師なのであるが、この人の描く世界地図にはシビレました。世界史というのはいくら学んでもその時代の世界全体がどのようになっているのか分かりづらくそれぞれの国の歴史になりがちだ。特に我々日本人は常に日本国という地域が固定している島国にいるため、地理的に国が常に変動している姿がなかなか頭に入ってこないのだ。この著者にかかればどんな時代のどんな世界史的な動きを端的に地図に描いてくれる。こんな講師から世界史を学ぶことができる予備校生を羨ましいと思う。

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2025年03月29日

Posted by ブクログ

2025.03.20
東大や京大受験を考える高一高二のみなさんにオススメできる一冊。
時間に余裕のあるときに、丁寧に地図帳も側において読めば効果倍増。世界史の「動き」が地図を通して見えてくるから。また、索引もついており、「使える」しためになる一冊。
自分が受験生のときに出会いたかった。素晴らしいです。若くても歳をとっても歴史の意味を考える一助になります。

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2025年03月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

世界史の学び直しに。
地図からという点に惹かれて手に取った本

メモ
・神聖ローマ帝国はドイツフランスイタリアにまたがるエリア
・フランス革命が各地に波及
・水資源の豊かな地域に人口が集中し、文明形成が促された
・城壁の有無がむらと都市の違い
・領域国家 都市国家連合
 王に任命された官僚が政治を行う仕組みが領域国家
・王国はほぼ単一民族、帝国は他民族国家
 帝国ではほぼ必ず交通網の整備が行われる
・史上最初の世界帝国とされるのがアッシリア帝国
・帝国と国際商業の繁栄は、相互依存が強まることで国家の衰亡にも結びつくように
・近年におけるヨーロッパとはローマ・カトリック圏とほぼ同義
・近代は科学と中央集権の時代、近世は中世との過渡期
・大航海時代に真っ先に乗り出したのがスペインとポルトガル
・銀により価格革命が。貨幣価値が下がるように。
 国際分業ももたらすように
 西ヨーロッパに富が集まる構造に
・フィリピンはアジア貿易の受け口。マニラを介して中国から物産を輸入。
メキシコも同じくマニラとを結ぶ中継地点
 スペインはヨーロッパの中では立地が良くなくネーデルラントに運んで商売をしていた。そのためにスペインを凌ぐ繁栄をすることに
 スペインは財政難が当たるとネーデルラントに、重税をかすことに。ネーデルラントと80年戦争。ユトレヒト宣言により連邦共和国が
・絶対王政も中央集権に向かう通過点

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2025年08月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『新もういちど読む山川世界史』を読みながら、「同時代性や空間的広がりの分かる年代ごとの地図が欲しい」と思うことが何度もあり、地図を自作しようかと悩んでいたところで書店に置かれている本書を見つけ、パラパラとめくってすぐに購入を決めた。

読む前から分かる本書の特徴はなんと言っても図の多さ。100枚を超える地図や模式図が載っている。歴史の原動力を交易だとして、人と物の移動を軸に地図を使って歴史を見ていく本書の考えも独特で面白かった。
ただ、他書に比べて扱っている地域や内容が大きく偏っているので(;中国史はかなり省かれ、東〜東南アジアは近代以降の植民地化されてからしか触れられない。インド史もまるっきり抜けており地図の端に王朝名が載るくらい。アフリカ史も無い。後半の内容はほぼヨーロッパ史と言って良い、というありさま)、本書だけで歴史を学ぶというよりも他の書籍で学んだ時系列の一貫した世界史を違う視点で見る目的で読む方が良いと思った。
他書ではなんとなく眺めていた 発展/衰退 していく都市・国家の並びや、地域内外の国家の関係と動きが、本書の視点によって意味を持って理解できるようになり、本書帯の『面白くて忘れない』知識となるだろう。つながりを知ることで、今まで興味の無かった国や時代をより深く知ってみたいというモチベーションになるかもしれない。

地域の偏り以外にも本書の弱点というか足りないなと思う点がいくつかある。
国家・地域間の交易にはよく注目しているが、文化史も科学史もないので交易により文化が混じり合う様は分からないし、この文化面の薄さゆえルネッサンスや啓蒙主義のような中世と近世を分ける出来事も欠落している。また、本書のテーマからどうしても「カネ、モノ、カネ」になりがちで教養としても浅く、偏る感じも受ける。
『地図を読み解く』と謳いながら、地形や気候に関しては触れられていないのも物足りないと感じる。世界史を学ぶ際は、ヨーロッパや中東、インド、東アジアと地域ごとに大別して歴史をまとめるが、その地域を区切っているのは地形や気候にある。文化が混じり合わない境界となる場所や、逆によく混じり合う場所はこの地形的な影響が大きい。基礎的な知識としてどこかで扱っても良かったのではないかと思った。

古気候の知識も完全に抜けている。技術や知識が未発達な古代は気候変動が文明に及ぼす影響が極めて大きい。人口が増え、農耕技術がある程度発達した中〜近世期でも、太陽活動の低下などによる小氷期によって世界各地で飢饉が続き、戦争だけでなく西洋では魔女狩りのような社会の不安定化にもつながっている。古代なら文明が崩壊し人々が離散するほどの影響を受けうる。
地理学ならば現代の気候帯を知れば良いが、数千年の時間軸で見る世界史は気候帯や全球的な気候の変動が無視できないものになってくる。なので、特に古代の記述は気候を無視したせいで違和感を覚えるものがいくつかある。
オリエントに関する記述は当時の気候を無視しているせいで妙なことになっている。『砂漠ばかりの乾燥帯』というのは現在の気候帯での話で、最初期の文明が生じた頃はまだ氷期の名残のために地球は全体的に寒冷で、赤道付近くらいしか温暖な住みやすい場所がなかった(;当時の中東はまだ過度な乾燥もしていない「乳と蜜が流れる地」)。そのため低緯度地域に人口が密集しやすい環境にあった。そのなかでも土地が肥沃だったり、洪水によって定期的に豊かな土壌が供給される(;農業技術が未熟で土壌の改善ができないため)大規模河川の河口域がとくに人口の増加を果たしやすかった。ということだろう。
前12世紀頃の大規模な気候変動も無視されている。グローバルな経済の連鎖的な破綻が起きる前にオリエント全体で広域的な気候の変化が起きている。経済に解釈を引っ張られ過ぎている。
3世紀の危機についても上記と同様。小氷期のような寒冷化が全球的に起きた事が最初の引き金にありそう。この時期、記録の残っているローマや中国では不作となっている。この時期の遊牧民の移動の玉突きも無意味には起きない。強い民族が条件の良い土地へ移る事で大移動の玉突きが起きるはず。一国の崩壊で大きなつながりが瓦解するのではなく、広域的な不作のため全てが似通った時期に倒れたと見るほうが理にかなっている。
古代については農作物の品種改良、農機具、農法という点で劣っているので気候変動が大きなパラメータになっている。交易だけで無理に解こうとすると解釈に違和感が生じる。
そんなことを考えながら、古気候に年代測定、経済学に農学、建築学に医学もと、世界史は総合科学だなと感じると共に、主に不自然だと思った箇所が序盤に集中している(;後の年代になるほど本書の着眼点や説明はわかりやすく面白い)ので、導入にちょっと失敗しているのではないかと思いながら読み進んだ。


以下はよかったと印象に残っている部分の羅列。
最初に面白い視点だなと思ったのはフェニキア人の交易路と錫の産地を絡めている部分。歴史を地理の視点で見ている。地中海沿岸の都市をただ闇雲に結ぶのではなく、イベリア半島、グレートブリテン島へ向けて中継地をつないでいるように見える。それを理解するだけでも古代の交易が冒険的なファンタジックな側面だけでなく、経済的・戦略的に考えられた現実的なものだと実感できる。

民族の移動が非常にわかりやすかった。
ローマ末期のゲルマン人の大移動や第二次民族大移動は現代まで続く国家や民族的な境界の元が形成された大きな出来事であるが、流入する年代が少しずつ異なり、様々な民族が異なる位置に入ってくるので煩雑でわかりにくい。本書ではこれをうまく整理し、地図上で表現しながら順次説明することでわかりやすく示せていると思った。

十字軍の経路で見る中世ヨーロッパの水上交通偏重も面白い。
ヨーロッパでは現代でも河川が物資の重要な運搬手段であるが、「ローマ時代の道路網が廃れて使い物にならないから河川に頼らざるを得ない」というのがその根底にあったのは知らなかった。ローマのすごさとそこからの中世期の文明レベルの後退(;日本人では理解できない、ローマ帝国がヨーロッパ人の心の中で特殊な地位を占めている理由でもあろう)を感じる。この道路網の衰退で、(本書の内容ではないが)中世のスイスが傭兵として”血の輸出”をするしかなかった理由も納得がいった。
地図情報が加わることでヨーロッパの沿岸の都市が、北部(:ヴァイキングの入植)と南部(:地中海の交易路)で、形成・発展の意味合いが異なっているのもよくわかった。

大交易時代、スペインの繁栄はわかるがスペイン領ネーデルラントの発展がよくわからなかった。北海周辺においては地の利があるが、地中海貿易はスペイン本国の方が近い。なぜフランドル地方だけが飛び抜けたのか、その辺りの経済的な重みの遷移が(本書には珍しく)わからなくなっている。

ブランデンブルク辺境伯が領土を拡大し、辺境伯領からプロイセン王国へと発展していく様子は地図と合わせることでわかりやすい。神聖ローマ帝国は非常にわかりにくい歴史をたどっているので、この末期からドイツ帝国へと遷移していく過程をわかりやすく、上手く説明できていると思った。

近代に入ると10年程度ごとに地図を描くので、ナポレオン1世が活躍する19世紀前後のヨーロッパの変動をよく理解できる。
広域の地図を使ってイギリス、ロシアの思惑を詳しく解説することで20世紀に向けての列強の動きや狙いがわかり、現代へ向けての流れを掴みやすい。
この大きな流れを理解することができるので、世界大戦以降の現代史もわかりやすいものとなっている。

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2025年08月14日

Posted by ブクログ

地図とともに世界史を解説されると、これほどまでに理解が深まるものかと驚かされる。イギリスにとってインドがなぜ重要であったのか、中東問題の根深さやロシアの南下政策の背景など、従来は曖昧だった疑問が、地図によって鮮明に浮かび上がってくる。本書のような一冊には、もっと早く出会っておきたかったと思わされる。

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2025年06月06日

Posted by ブクログ

文明のゆりかご、オリエントの歴史から始まり、現代のロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ紛争まで、各時代の大きな流れを地図を用いて解説。
もちろん2000年以上の世界史を語るには紙面は少なすぎるが、大きな流れを掴むには丁度良いボリュームだろう。

こうして世界の大きなトピックスを見てみると、やはり紛争の歴史だとつくづく感じた。
かくも人間は好戦的なのか。
人個人を見てみると、、心底悪人は少ないと思うのだが、一旦ナショナリズムと言う観念が心を支配すると、豹変するのだろう。

歴史の本と言うより、そのような事を考えさせられた。

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2025年04月12日

Posted by ブクログ

最近はネットで本を取り寄せることが多くなりましたが、本屋さんで新刊を見て回ることも楽しみの一つです、歴史と地理の好きな私にとっては、ピッタリの本を見つけました。

ここに書いてある情報や地図には、高校の時に習った教科書に書かれていることかもしれませんが、解説付きで世界中(特に欧州)の国境がどのように変化してきたのか、それはどんな事件が契機となったのかが理解できて楽しかったです。

以下は気になったポイントです。

・青銅(銅・錫合金)は加工しやすく銅よりも硬く武器として需要が高い上に、青銅は出来立ては「眩い黄金色」をしていて儀式用具としても需要が高かった、錫は産地が少なく戦略的価値は今日の石油に匹敵する、錫の産地は、イベリア半島とイギリスのコーンウォール半島であり、フェニキア人はこの錫の産地までの海上貿易網を拡げて、錫の提供を独占して地中海貿易の支配者となった(p39)

・前1200年に旱魃や地震によりヒッタイト王国の内部崩壊が始まり、これにより貿易相手であったエジプトやミケーネ(ギリシア)の商取引が不振、大国の衰退は周辺民族の台頭や移住を促し、海の民など諸民族の移動が始まった、現在のリーマンショック(p45)

・大運河は中国における物流の大動脈として機能する、北宋(開封)南宋(臨安=杭州)元(大都=北京)明(南京→北京)清(盛京→北京)以降の王朝の首都がいずれも大運河沿線に位置する都市に置かれる(p71)

・古代末期、欧州と呼ばれる地域は、南北で2分されていた、南は「ローマ帝国」北はゲルマン人が割拠していた、ローマ帝国の北の国境となっていたのが、ライン川とドナウ川である(p89)西ローマ帝国は476年に滅亡するが、西ローマ皇帝が「空位」になったと見るべきもの、東ローマ帝国(ビザンティン帝国、首都=コンスタンティノープル=イスタンブール)として1000年にわたって命脈を保つ(p91)800年のクリスマス、カールは西ローマ皇帝に戴冠され、西ローマ帝国が復活するが、かつてのそれとは全く異なる(p95)

・ゲルマン諸国で例外的に長期政権を築いたのは、フランク王国であった、王国の建国者:グローヴィスがローマ系住民が信仰するアタナシウス(ニケイア派)に改宗し、教会の聖職者を官僚(読み書きのできる人)にして、官僚制(徴税システム)を確立したことにある(p92)

・カール大帝の西ローマ帝国では、キリスト教(教会組織)を国家運営の中核に据え、キリスト教を布教することでローマ帝国以上に多様な民族を吸収・拡大することを可能にした(p95)ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の加盟6カ国(仏伊西独蘭べル)は、カール大帝の西ローマ帝国にほぼ合致する(p96)

・ヴァイキングは3つに大別される、1)デーン人(デンマーク)、2)ノール人(ノルウェー)、3)スウェード人(スウェーデン)(p100)ルーシ(東ローロッパのスラブ人)は南部に進出し、キエフ・ルーシ(キエフ大公国)の成立となる、ドニエプル川を中心とした水上貿易で繁栄し、北欧と東ローマ帝国を中継した交易路は「ヴァリアーグ(北欧人)からギリシア(東ローマ帝国)への道」と称された(p101)

・ローマ帝国の東西分裂は、キリスト教圏の分断も招く、ローマ教会がフランク王国という協力者を得たこともあり11世紀に東西両協会は分断したとみなされる、ローマ教皇を頂点とするローマ・カトリック、小ンスタンティノポリス総主教を頂点とするギリシア正教、あるいはその影響を受けた東方正教が確立する(p103)エルベ川が東と西欧州の境界となる(p104)

・中世都市を象徴するのが、中央広場(=市場)と城壁である、城壁は外敵から身を守るだけでなく、城壁内に居住する市民は、都市という共同体においては相対的にエリートに位置する人々であった、正式に市民とみなされたのは、都市貴族・富裕な商人、そして手工業者ビルドの親方に限られ、彼らは市参事会への出席が認められた、のちに「ブルジョアと呼ばれるようになる(p111)

・中世とは、キリスト教・地方分権の時代、近代は、理性(≒科学)と中央集権の時代、近世とは、中世から近代に変容する時代である(p119)

・15-16世紀当時の欧州人にとって「インド」はアジアと新大陸の両方を指す言葉になってしまったので、本来のアジアはヨーロッパから見て東寄りに位置するので「東インド」、新大陸は西寄りに位置するので「西インド」と読んで区別することになった(p123)

・当時の貨幣は銀であった、銀の増加は貨幣量の増加になり、貨幣価値が下がり物価が上昇する、欧州では100年にわたり上昇を続ける、これを価格革命という、その原因には銀の流通量増加のほかに、人口急増説もある、人口の増加に対して作物などの生産が追いつかず、物価上昇を招いた(p125)

・16世紀のスペイン国王カルロス1世は、神聖ローマ皇帝(=カール5世)となり、オーストリア・ネーデルランド(今日のベネルクス3国)・スペイン・イタリアを継承した、退位した時に、長男フェリペ2世にはスペイン、ネーデルランド、新大陸、弟のフェルナンド1世には、神聖ローマ皇帝位とオーストリアを承継させた、これにより、スペイン・ハプスブルク家と、オーストリア・ハプスブルク家に別れた(p130)

・神聖ローマ帝国は、カトリック領邦とプロテスタント領邦の対立が続き、ついに17世紀に大戦争を引き起こす、これが30年戦争である、1648年にウェストファリア条約が結ばれて終結し、欧州における主権国家体制が確立した、各両方のがみな完全なお主権を手にして、神聖ローマ帝国は集権国家ではく、国家連合体としの役割が顕著になった(p140)

・オーストリアは17世紀末に、スペイン・ハプスブルク家が断絶すると、ハプスブルク家唯一の根拠地となる、17世紀末にオスマントルコ帝国との大トルコ戦争に勝利したことで、ハンガリーを得る、同君連合でありオーストリアによる他領域の一元支配では決してなかった(p143)

・ロシアでは、イワン3世が、ジョチ・ウルスからの独立を果たし、モスクワ大公国となる、イワン3世は滅亡した東ローマ帝国の継承者を自認して、東ローマ皇帝号(カエサル)から転じた「ツアーリ」という君主号を名乗った、首都モスクワは、ローマ、小ンスタンティノポリスと並ぶキリスト教会の中心地として「第三のローマ」と名乗った(p144)

・徴兵制は、ジロンド派政府(ブルジョア支持)が発令した時は国民の強い反発があったが、後に正式に徴兵制として制度化された、革命政府は、参政権を得るには、その見返りとして兵役を果たすべし、とした(p165)

・ドイツ領邦を実力で制覇したナポレオン(1805)は、中瀬以来の神聖ローマ帝国を解体し、代わって「ライン同盟」というドイツ国家の連合体を組織した(p168)1815年にウィーン体制となったとき、ドイツ連邦という国家連合体が組織された、従来300あったドイツ領邦は、35の君主国と4自由都市(=主権を保持した都市国家:ハンブルク、リューベック、ブレーメン、フランクフルト)に再編された(p173)

2025年3月4日読破
2025年3月5日作成

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2025年03月05日

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