あらすじ
ナチス・ドイツの大衆動員を追体験する授業を通じて、ファシズムの仕組みに迫る。ヘイトスピーチをはじめとする身近な問題にも焦点を当てた、現代社会と民主主義を再考するための必読書。「補論 日本の『自粛警察』とファシズム」も新たに収録。
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Posted by ブクログ
集団の暴走は、カリスマ指導者による恐怖政治が原因であり、集団は抗えず従っていただけと思っていたが、実際には、集団側の快楽や、帰属意識による暴走、責任を問われないという意識から暴走するのだと知って大変に驚きました。
ナチスドイツしかり、太平洋戦争中の日本人しかり。当時の人たちは、イヤイヤ従っていたわけではなく、ノリノリ、イケイケで突っ走っていたのではと思い、自分もその一部になって、暴走した可能性があったと知って、背筋が凍る思いがしました。
某高校野球の名門校のイジメ、出場辞退の騒動にも同じものを感じました。
Posted by ブクログ
大学で行われたファシズムの授業の解説を通じて、ファシズムが生まれる過程を理解することができた。誰もが経験したことがあるであろう、集団行動での規律違反への疎外は、人間の特徴で変わらない。だから、いじめやヘイトスピーチが無くならないのだと思う。こういった行動がファシズムの土台にあるのは知らなかったが、本書を読んで納得がいった。
一方で、カリスマ性を持つ独裁者は時代の環境によってはでてきてしまうことから、ファシズムは再来してしまうのかもしれない。自粛警察のような自分達の行動が、ファシズムを支え得ることを知っておくべきだと思った。
Posted by ブクログ
高市政権になり、ファシズムの危険性が出てきているので、改めて考える上で、読みました。
この本は、ファシズムとは何か?、体験学習通して人々がどのように権力に服従して、無責任になるのかがわかる。
特に権力に服従しやすい日本人は非常に多いので、その事考える上で、非常に良い本だと思う。
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Posted by ブクログ
自粛警察や SNS での誹謗中傷など、人は大義名分を得ると集団となって他者を抑圧するような行動をとることに抵抗がなくなるようなことをよく聞くので、ファシズムの体験でも同じようなことが起きるのかなと思って手に取ってみた本書
ファシズムの体験教室で学生の行動や心理を色々と説明してくれたが、ちょっと同じ説明が多い気がして途中は少し読み飛ばしてしまった
最後の方に自粛警察にも触れていて、コロナの時に著者が帰国時に隔離生活を送ったという話があった。そのときに、弁当の質があまり良くなくてそれをSNSなどで訴えたが、ネガティブな反応も多かったらしい。
実は最初自分が読んだときも、写真を見て「コンビニ弁当くらいの内容はありそうだしそこまで言うほどかな?」とどちらかというとネガティブな意見を持ってしまったが、「納税者として著者にも文句を言う権利がある」と言われると結局自分も大義名分を手にすると批判的な意見を持つものだと気づいて少し悲しくなったし、今後は気をつけよう...
Posted by ブクログ
甲南大学においてファシズムの恐ろしさを体験させる「社会意識論」という授業という興味深い内容。ナチスを想定させて、「ハイル・タノ」と敬礼させ、田野帝国と読んで、統一した制服まで着せ、ワッペンを付けさせるという。そしてナチス式の足踏行進、「リア充」を敵視した行動。確かにこのことにより集団化の怖さは体験できるだろう。しかし、周りの学生、教職員から見たら実に異様な集団に見えるだろう、正にナチスそのもの。大学当局に事前許可を取っていたことは当然のこと。あまりにもセンセーショナルな授業であり、確かにファシズムの怖さ、そこにのめり込んでいく高揚感を感じさせる有効な方法だと思う一方で、「ミイラ取りがミイラになる危険性」がないのか、と危惧を感じざるを得なかった。独裁制でドイツの人たちが自由を失って喘いでいた訳ではなく、むしろ権力を笠に着て、欲望のままに解放感をもって動いていたという真実を見せられるとともに、現代におけるヘイト運動に同じものを感じる。
Posted by ブクログ
某大学での"ファシズムの体験学習"の本。ファシズムは独裁者による恐怖政治に非ず、人々の集団帰属の快楽が要因という説はその通りだが、対抗措置の考察が薄弱。カルト宗教等の集団的マインドコントロールと同様と捉え、考えるべきだろう。
Posted by ブクログ
歴史社会学が専門で兵庫の甲南大で「社会意識論」という社会学の講義中に行われた「体験学習」の実践記録。独裁とはどういう状態か、何が独裁を成立させるのか、独裁の中で民衆はどういう行動をするのか、という点についてヒトラーやナチズムの例での解説とともに、現代のポピュリズムがファシズムに繋がっている例を、コロナの「自粛警察」など日本で見られる最近の実例も含めて解説されている。
ポイントは「ファシズムが上からの強制性と下からの自発性の結びつきによって生じる『責任からの解放』の産物だということ」(p.193)で、「指導者の指示に従ってさえいれば、自分の行動に責任を負わずに済む。その解放感に流されて、思慮なく過激な行動に走ってしまう。表向きは上からの命令に従っているが、実際は自分の欲求を満たすことが動機となっているからだ。そうした下からの自発的な行動をすくい上げ、『無責任の連鎖』として社会全体に拡大していく運動が、ファシズムにほかならない」(同)という部分であり、「権威に服従する人間は残忍な行動に走りやすくなる」(p.205)、「特定の状況では誰もが残忍な行動をとる可能性がある」(p.206)という現象がなぜ生じるのか、というところだと思う。そういうファシズムの危険性を体験する授業の実践記録で、受講生の心理的負担やファシズムを利用する生徒の出現などの危険性もあるので、どういった配慮が必要なのかということも書いてある。
んー、おれは中高の教員だけど、専門家でもない教員がこの時代にこういう授業を展開するのはちょっと無理だろうなあと思う。この本にも書いてあるけど、中高にはもともと結びつきが強い「クラス」という集団もあるので危険、というのも分かる。だから、こういうファシズムとかポピュリズムの危険性を体験させる、もっと違った形のプログラムはないのかなあ、と思う。それこそ「探究」みたいな授業の枠の中でできることのような気もするし。
それよりも自粛警察とか、全然知らなかったけど2018年のRADWIMPSの「HINOMARU騒動」とか、ほんと考えても暗い気持ちになる。RADWIMPSの野田について、日本が好き言って何が悪い、という「『被抑圧』の感覚はいささか被害妄想的」(p.187)であり、こういった発言をすることで「『好きと言う義務』を押しつける国家権力に迎合し、その後ろ盾のもと力ずくで反対派や少数派をねじ伏せようとする動きに合流して、世論全体を愛国一色に染め上げることにも寄与しかねない。戦時中の軍歌や愛国歌が挙国一致の翼賛体制の構築に加担した事実を思い起こせば、それがいかに危険な事態であるかは明らか」(同)なので、「野田の発言には、そうした『歴史的、政治的な背景』への反省、愛国心の発揚を抑制させてきたその危険な影響力への思慮が欠けている」、「彼のナイーブな反権威主義は容易に保守派の権威主義に取り込まれ、飼い馴らされてしまう」(同)っていう部分と、もう一つ、「ポピュリズムはその本質において似非民主主義的な性格をもっている。それはつねに『人民』の声を代弁し、エスタブリッシュメントの犠牲者を装うが、実際には自分たち多数派の絶対的な支配をもとめ、それを阻むリベラルな多様性を徹底して破壊しようとするからである。(略)多数派の声が絶対的で、多数決で決まったことには従えというような考えは、権威主義と同じである。権威の後ろ盾のもとではなんでもできるという万能感は、容易に敵や異端者への攻撃に転化し、過激な暴力を噴出させてしまう。」という部分についてはよくよく考えたいと思う。つまりファシズムの体験をすることに加えて、この無邪気で「ナイーブな反権威主義」を打破する、間違った正義感の発露することの危険性、というかバカさ、というのを考える授業について学んでみたいと思った。(25/04)