【感想・ネタバレ】満州と自民党のレビュー

あらすじ

戦後の高度成長は、満州国で行われていた統制経済が元になっていた。かつて満州における経済システムを一手に作り上げた知の集団・満鉄調査部、官僚として赴いた岸信介、椎名悦三郎、星野直樹、あるいは日産コンツェルンの鮎川義介……彼らは戦後も国家建設の夢を捨てがたく、日本経済のグランドデザインを描き続けたのである。そして、彼らの見果てぬ夢は、やがて政治の世界でも保守合同を実現させていく――。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

メモ
ロシア通で満鉄調査部にいた宮崎正義がソ連の計画経済を規範にして作った「満州産業計画五か年計画」を実行したのが、商工省のキレものだった岸信介をはじめとする若き官僚たち。彼らはここで実務経験を積んだ。満鉄の力を弱め、日産を引き込んで一大コンツェルンを作り上げる。これが満州重工業開発株式会社。主要人物は2キ3スケ(星野直樹、松岡洋右、鮎川義介、岸信介)

戦後、岸は巣鴨に収監されていたが、東条内閣の閣僚のうちなぜか唯一無罪で釈放される。アメリカ軍との密約説などがあるが、真相ははっきりしない。

政治活動を再開した岸の政治信念はアジアの盟主を目指すという点では変わらなかったが、各国のナショナリズムの動きを尊重するという柔軟性が加わっていた。これが東南アジア賠償問題である。

自民党の55年体制が確立され、権力闘争に勝利すると岸は満州で培った計画経済的な手法を使って経済成長を図る。輸出入の管理、機械工業分野の重点的成長などである。こうした岸の政策を支えたのが満州人脈だった。

高度経済成長を支えた政財官のシステムは戦前に根を持つもので、そこに向かって満州人脈を率いたのが、敗戦を生き延びた岸だった、という話。

感想
・岸が満州にいたのも、総理大臣だったのもそれぞれ3年ほど。戦後復興に満州の経験や人脈が影響力を持っていることは分かったが、それがどの程度のものなのか、はよくわからない。様々な要因の一つだろうと思う。
・55年体制が崩壊した後の政治はどうなっているのだろうか。さんざん漂流したうえ、結局安倍長期政権になっているという現状を、長期的な視点からみていくと面白いかも。
・さくっと読める。

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2019年04月22日

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