【感想・ネタバレ】一冊でわかるオランダ史のレビュー

あらすじ

オランダとはどういう国か。その歴史を図やイラストを使いながらわかりやすく、ていねいに描く。コラム「そのころ、日本では?」「知れば知るほどおもしろいオランダの偉人」も役に立つ。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

開国してから現在まで、日本と関わりの深いオランダの歴史を学べておもしろかったです。オランダは今のかたちになるまでに、干拓を行ったり、国内外で戦争をしたり、フランスに併合されたりと紆余曲折があったのを初めて知りました。オランダの合理的な精神は地形や歴史に由来しているのかなと思いました。この本に書いてあった、環境問題などを考慮してマルケル湖の干拓工事を中止したということや、アザラシ最近話題のあざらし幼稚園からオランダの環境に対する取り組みに興味を持ちました。感情ではなく、合理的に環境対策してるイメージを持ちました。

0
2025年01月05日

Posted by ブクログ

現在のオランダだけでなくベルギー、ルクセンブルクを含めた現在のベネルクス、ネーデルラントの歴史を著した内容。

・オランダ=ホラント(オランダ国内の州)
・面積は九州とほぼ同じ
・実質的な国政の中心はハーグ
・ほとんどが海抜200m以下。最も標高の高い場所は海抜323mのファールゼルベルク。つまりオランダには高い山は存在しない。
地盤沈下によって自然排水が困難になったことから導入されたのが、13世紀ごろに神聖ローマ帝国から伝わった風車です。もとは小麦の製粉などに使われていたが、これを排水(水を汲み上げるため)の動力として利用しようと考えられた。
アムステルダムという名は、「アムステル川に築かれたダム」が由来。
ロッテルダムも「ロッテ川のダム」が由来。

1609年からオランダと日本の朱印船貿易が始まる。日本のオランダ商館は平戸に置かれた。徳川家康は海外の文物に多大な関心を寄せ、西洋との交易にも積極的だったが、幕藩体制を揺るがす恐れのあるキリスト教が日本に広まることは危惧していた。また、当時の朱印船貿易は各地の大名も行っており、幕府は大名の力を削ぐために貿易にも制限を加えるようになる。イギリス、スペイン、ポルトガルの来航が相次ぎ禁止され、鎖国体制が完成。しかし、オランダ、中国、朝鮮、琉球王国、アイヌ民族との交流は維持している。なぜ、イギリス、スペイン、ポルトガルが追放され、オランダとの貿易が許可されたかというと、オランダはプロテスタントの国民が多数を占め、布教や植民地開発よりも通商を重視する国だったから。

オランダ東インド会社のタスマンは、現在のタスマニア島とニュージーランドに上陸。ニュージーランドはオランダのゼーラント州にちなむ。
1600年代中頃、ニューアムステルダムはニューヨークに改名された。ウォール街の名称は、ニューアムステルダム時代にイギリスやネイティブアメリカンからの攻撃を防ぐ目的で築かれた壁に由来する。

オランダとベルギーの軋轢を生んだ背景として、宗教・民族・言語の違いがある。オランダ人の多くはプロテスタントで、ベルギー人の大半はカトリック。ベルギーには、オランダ語を日常語とするフランデレンの人々のほかに、フランス語を日常語とするワロン人も数多く住んでおり、オランダ語公用語化に不満を抱いていた。

0
2024年01月29日

「学術・語学」ランキング