あらすじ
かつて一億総中流といわれた日本。
いまや格差が広がり、社会の分断も進んでいる。
人生が親ガチャ・運しだいでよいのか。
能力主義は正しいか。
そもそも不平等の何がわるいのか。
日本の「失われた30年」を振り返り、政治哲学と思想史の知見から世界を覆う不平等に切り込み、経済・政治・評価上の平等を問いなおす。
支配・抑圧のない、自尊を下支えする社会へ。
財産が公平にいきわたるデモクラシーの構想を示す。
■目次
はじめに
第1章 不平等の何がわるいのか?
本書の特徴 前口上――なぜ平等・不平等を考えるのか 不平等から考える――不平等に反対する四つの理由 ①剥奪――貧窮ゆえの苦しみ ②スティグマ化――傲りと卑屈、そして差別 ③不公平なゲーム――人生の難易度の変化 ④支配――非対称的な関係の固定化 みえやすい不平等・みえにくい不平等 窮民問題――貧困にあえぐ社会 寡頭制問題――少数が牛耳る社会 健康格差問題――寿命が短い社会
第2章 平等とは何であるべきか?
平等を支持する四つの理由 ①生存・生活の保障――充分主義 ②恵まれない立場への優先的な配慮――優先主義 ③影響の中立化――運の平等主義 ④支配関係がないこと――関係の平等主義 平等の要点――「局所的な平等化」をこえて 三つの不平等の区別――差別・格差・差異 格差原理と(不)平等 差異ゆえに平等
第3章 平等と能力主義
アファーマティブ・アクション AA――五段階の規範 正義と能力主義 公正な能力主義はゴールか? 能力の測定問題とガラスの天井問題 能力主義の専制 正義と功績をいったん切り離す 機会の平等を見直す――スキャンロンの三段階モデル まとめ――財産所有のデモクラシーへ
第4章 経済上の平等――社会的なもの
『21世紀の資本』のインパクト――r>g 『資本とイデオロギー』――格差はつくられたものである アンダークラスの出現 財産所有のデモクラシー①――社会的なもの 日本型福祉社会の問題 事前分配・当初分配 人的資本のストック 職場環境の正義 ベーシック・インカム タックス・ジャスティス
第5章 政治上の平等――共和主義
誰が統治するのか――政治家のキャリアパス なぜ世襲政治家は多いのか 経済力の政治力への転化 徒党の発生をいかに防ぐか 財産所有のデモクラシー②――共和主義 政治資金規制とメディア宣伝 パブリック・シングス――公共性のインフラ 公共財としての仲介機関――政党とメディア 政治バウチャー クオータ制 ロトクラシー――くじ引き民主制
第6章 評価上の平等――複数性
絶望死、遺伝と能力 時間どろぼう――エンデ『モモ』 財産所有のデモクラシー③――複数性 自尊の社会――配達員の仮想演説 評価集団の多元化――複合的平等 正義と多元性 財産と富 〈自分自身〉であるためのデモクラシー 「自己の内なる体制」
おわりに――平等についての六つのテーゼ
あとがき
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Posted by ブクログ
支配的立場にいるものは現状維持に更なる投資をする。さらに長く支配が続いたことで不公正の負荷を無いものと考えるしかない被支配者がそのストレス回避的な思考の傾向を脱することは容易ではないといった現状である。しかし、だからこそ真に自分の中の公正を問い直し、行動するための礎を作り出すことが平等に繋がっていくと信じる。
Posted by ブクログ
平等ということについて、今まで言われていた単純な平等が問題であることを提起した本である。特に教育では能力主義が問題となる。最後の方で、能力主義が目指すのは平等ではなく不平等の正当化としている。教育では、能力主義が重視されてきて、テストで学習の成果が問われている。しかし、それは、能力に基づく不平等の正当化は多大な格差の方便となっているという指摘は考えなければならないことである。大学に行けるものと行けないもので、大学受験は能力と思われているが、それは勉強をできる環境が整い、それを補助する手段ある人と環境も手段もない人との格差になってしまっている。
こうしたことをさらに説明した本を書いてほしい。
Posted by ブクログ
『平等』の政治哲学を概説した一冊。
平等と聞くと、誰もが素晴らしいものと思うであろう。しかし、平等とは何か?という問いに答えられる人は多くあるまい。本書は、数ある平等の諸概念の中で、特に「関係の平等主義」に注目し、その軸に「財産所有のデモクラシー」を据えるものである。
筆者によれば、「財産所有のデモクラシー」とは、「自分自身であるためのデモクラシー」だ。一定の財産を持つことで、世界に自分の立ち位置を確保し、権力者の支配から逃れ自律することが必要なのだという。対等な人々による社会構築という筆者の理想に、私も深く共感するところがあった。
また、筆者の共同体を重んじる考えは興味深いと感じた。「関係の平等主義」において、多元的な価値観の受容は欠かせず、一人一人が複数の価値観や基準を自分の中に持つ必要がある。そのために、人々は複数の共同体に属し、寛容な心を育まなければならない。これはロールズのいう「自尊心」の涵養にも繋がるであろう。
日本では格差社会問題が叫ばれて久しいが、有効な解決策は中々出てこない。政治家や国民が、平等の哲学を持たず、局所的・対症療法的な手段のみとっていることが一因であろう。本書は、社会問題について考える、一つの有益なヒントとなるはずだ。
Posted by ブクログ
この本は、「平等とは何か」について政治哲学的に考察しようとするものである、と「はじめに」に書かれています。
機会の平等、結果の平等など平等と言ってもいろいろ考えることができるし、平等の反対の不平等もいろいろな不平等がある、ということに改めて気がつきました。
心に残った文章がいくつかありました。
できるだけ多くの価値観(善の構想)が認められうる社会、あるいはすべての人が自尊心(自尊心)をもちうる社会
英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はさらに不幸である。そして偽りの英雄を選んだ時代は報いの時をむかえる。
などです。
Posted by ブクログ
平等と不平等とは何か、それがもたらす社会的・政治的問題を再検討する本。平等が主題ではあるが、実質的には平等主義的リベラリズム、とりわけロールズが目指した「財産所有のデモクラシー」がなぜ望ましいのか、その説明が体系的に展開されているところに本書の特色がある。不平等が最終的に経済的・社会的格差に基づく政治的支配(寡頭制、僭主制)に行き着くことを防ぎつつ、不平等を差別・格差・差異に分類したうえで差別の根絶・格差の極小化を目指すという本書の社会構想は、現実には大きな逆風が吹いているものの、多くの人に納得・支持してもらえるものだろう。
Posted by ブクログ
「政治哲学」として、「平等」を論じた本。
本を読む中で、しょせん「理念」の話では?そんなに平等を論じたところで、実現不可能なんじゃないの?机上の空論ではないのか?と思うこともあった。例えばベーシックインカムやらクォーター制を現実の社会に適用しようとしたときには、とんでもない苦労が生じる。
しかし、この本の最後に書いてあることには納得した。
それは、「そうした理念への賭けや祈りが現実を凌駕してきた。」ということ。
つまるところ、こうした理念を現実に持ち込もうとすると、確かに問題やら苦労は生じる。ただ、根底にある「理念」は忘れてはならないということ。小手先の「平等」だけ唱えていくと、最終的に何がしたいか分からなくなってしまうからこそ、こうした「理念」が大事なのだと思う。
そして、政治的平等、については、少し疑問に思っていることを書きたい。
この筆者は、政治的不平等の代表例として、日本の世襲議員の多さを例に挙げている。
私自身、政治的平等(クォーター性やロトクラシー等)を否定するわけではないし、無能な世襲議員はあってはいけないと思うが、世襲議員を一律に批判する態度については、改められるべきではないかと思っている。
というのも
・世襲のスポーツ選手、アーティストはいいのに、世襲の政治家は悪いのか?
ということ。世の中には、結果を残すスポーツ選手やアーティスト、学者等様々な人がいる。しかし、そうした人は大体親がその道で結果を残している人だったりする。能力や職業が親から引き継がれていくことって、自然なことなんじゃないかと思う。
・「議員」だけが政治に関わるルートではないと思う。
本当に政治に関わりたいなら、政党に関わるなり、議員に関わるなり、それなりのルートがある。「議員になる」というルートだけが政治に関わるルートではないと思う。逆に、国民みんなが、政治に関わる気がないし、そんなリソースもないから、分かりやすい「世襲議員」を批判しているだけではないかと思う。だからこそ、分かりやすいポピュリズム的な政党に国民が動かされてしまう。世襲議員批判も、ポピュリズム政党への迎合も、根っこは同じで、政治に関わるリソースがないからではないか?(そして、こんな現代社会において、政治に関わるリソースが取れないのも十分に分かる。無理だと思う。)批判されるべきは、そうした「分かりやすさ」に迎合せざるを得ないシステムなのだと思う。
この本の肝は、最後の章だと思う。
大事なのは、ある程度の格差は受け入れつつも、「多様な価値観や生き方が社会的に認められている」こと。「人々が生きがいを実感できる複数のコミュニティが存在していなければならない」こと。
何となく、今まで、多様性を大事にすべきと思っていたのは、今まで苦労していたマイノリティを救うため、と勝手に思っていた。しかし、こうした「下駄を履かせる」ような考え方だと、逆に「下駄を履かせられなかった人々」の反発が生じるのも必須。そもそも多様性を大事にするのは、全ての人々が生きがいを感じられる社会を作るためなので。
ここで、今まで読んだ他の本にも言及したい。
『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』という本では、同じく平等について論じられていた。
この本では、正義=各人が追求し、対立しうる「善」構想から区別され、つねに合意されうる構想としていた。本書で述べられている、全ての人びとが生きがいを実感できる社会は、一つの善構想でもあるし、「正義」になりうるのではないかと思う。
後は、「評価」を変えることも、この本で述べられている、「合理的配慮」の議論とも重なる。合理的配慮とは、障害に伴う問題を、社会の側がそれに伴う障壁に対処するか否かで発生する問題と捉える。つまり、障害という状態に対処する責任を社会に帰するのである。障害に対する配慮を、個人の努力や感情的リソースを要するような能動的アクションではなく、機能がうまく働いているならば自動的に作動する機構とみなす。「評価」を変えることは、こうした合理的配慮を正常に働かせることに繋がるのだと思う。
また、本書では、「人々が生きがいを実感できる複数のコミュニティが存在していなければならない」と述べる一方で、そうしたコミュニティが減っていることを、私的領域と公的領域がある中で、その中間的な空間が減っていることにつなげている。この本でも、私的空間は「英国紳士のメンバー制クラブ」、公的空間は「中東のバザール」とし、私的空間で安心しつつ、公的空間で仕事としてやりくりする空間としつつも、そのそれぞれに危うさがあると述べている。中間的空間が減っていることは、私的空間と公的空間しかない中で、人々の心の余裕がなくなっていることと通じると考えられる。
また、こうした「中間」については都市論でも同じことが述べられている。『都市に聴け アーバン・スタディーズから読み解く東京』という本では、都市の中でも、こうした「中間」の重要性を述べつつも、こうした「中間」が減ってきていることも述べられている。例えば、商店街は道路と私有地が接するが、その間に接触領域が生まれる。その接触領域では、所有者、使用者、通行人に「配慮」が求められる。接触領域が一つのルールに属しない空間だからこそ配慮が求められつつ、使用に柔軟性が増す。ショッピングモールがコロナで一斉閉店したのと対照的に商店街はコロナでも開店して持ち堪えた。弱い配慮を存続させることにより、レジリエンスが生まれるのである。だからと言って、商店街の時代に戻れということではない。重要なのは、所有を重層化させること。
そして、「人々が生きがいを実感できる複数のコミュニティが存在」することは、『柔らかい個人主義の誕生』でも述べられていることにも通じる。消費社会の中で、人々は個人化していく、しかし、社交集団が復活することで、人間はひとりひとりの内側の価値観を複数化し、欲望を分散させ、満足の機会を増やすことができる。価値観を複数化することがこの社会を生き抜く術なのである。
しかしやはり、そうはいっても、富と財を区別できず、資本主義から抜け出せない問題は、『資本主義リアリズム』と通ずるものがある。財と富を区別できずに、資本を持つものを批判し、引きずり下ろすだけの安易な反資本主義運動は、逆に自ら弱者たらしめることで、資本主義を肯定することになる。でも、我々はいまのところ、そうするしか解決策を見出すことができない。「資本主義の終わりより世界の終わりを想像する方がたやすい。」我々は、ただ自分らしく生きたいだけなのに。
Posted by ブクログ
同じものを見ていても人によって違うものを指して話をしているのが平等の難しいところだと思います。
本書は『平等とはこうである。』と言うような本ではありませんし、平等と言う言葉は主語が大きいので、思っていたのと違うと思われる方もいるかもしれません。
能力主義は不平等の正当化として明確に否定されていますし、一元的な価値(能力主義)ではない多元的な価値を持つと言う点も理解はするのですが、今の世の中では人の多くが多元的な価値を認め合うと言うよりも、自分に都合の良い別の一元的な価値を押し付け合っているように思えます。
多様性などは間違いなく正しい価値観だと思うのですが、それが押し付けられた途端に気色の悪いものになるのはなぜなのでしょうか?
本書ではそこまでの示唆は得られませんでしたが、引き続き考えていきたいと思います。
Posted by ブクログ
平等の考え方、捉え方とその議論の概要について紹介。
あらためて、平等の論点や平等実現の課題については非常に整理されているが、改めて読んで、そもそも、なぜ平等であることが大事か(必要?価値?意味?)を、考えた。
別書に詳細は譲るが生理的な原因か、または功利主義的な合理性があるのか、あったとして、環境問題や大規模破壊兵器、AIの出現した現代にフィットしているのか。
そして、それれらも踏まえて、そもそもすべては「自然の帰結である」ととらえるのがよいのか。
Posted by ブクログ
本書を読むまでは、法的に機会の平等が確保されていれば平等な社会であると考えていたが、実際には不平等が残されていること、この問題がプラトン以降多くの哲学者らの間で考えられてきた問題であることなど、再認識することが色々あった。
とはいえ、サンデルの能力主義による不平等是正策としての「くじ引き」やベーシックインカムには抵抗感を禁じ得ない。
Posted by ブクログ
自分の人生について、努力の結果が平等に報われないと感じており、本書が目に留まった。
現代の社会は格差が広がるように進んでおり、建前上は自由や平等を民衆に唱えても、結局持てるものが得をするようなシステムになっている。
能力主義は平等の精神に基づいているように見えるが、そもそも平等とは相いれず、自己責任論が猛威を振るっているが、同じ努力をしたら同じように成功するかは運次第だ。だからこその社会保障である。
さて、現代の平等の穴、特定の価値や能力だけが評価される能力主義で敗れた者は、できるだけ多くの価値観が認められ、すべての人が自尊心をもちうる社会を目指さなければならない。
具体的には、自分にとって意味のある複数の評価集団に帰属することで、生きがいや承認を獲得すること。アーレントいわく、富のプロセスに回収されない事柄や時間を大切にすること、金銭が介在しないギブアンドテイクの関係性を築くこと、具体的で直接的な人間関係を重視すること、他律的ではない趣味に打ち込むこと、それぞれ自分の時間を生き、忘れがたい一瞬の光景を記憶に刻み込むことが重要だ。
Posted by ブクログ
「平等」と簡単に言うが、難しい。
著者はその「平等」について論を展開する。
本人も、「実証的研究」でなく「規範的研究」といっており、われわれの日常から帰納的に平等について論じるのではなく、過去の平等についての研究から筆者の考える最強の平等を提示する。
そんな本だから「平等」について研究する人にはいいのかもしれないがちょっと読みたいものからは道を外れていた。
色んな「平等」を上げたうえで、私が推すのはこれだ、という話なのだけど、ある意味潔いのだが恣意的な面は否めない。著者と考えの違う人は当然想定しているはずだし、議論できるという前提だろう。
成功という基準が一律だし、敗者は必ずひねくれると言っている気がするし、不平等者に手を差し伸べようとしてもプライド傷つけるとか、基本的に競争が発展を生む前提はどうなんだという面とか、なんか色々気になって。
薄いところに事例がないので、読みづらい。
文章は平易なのだが、とにかく、机上の演習という印象だった。
この本が実現しようとしている「平等」とか書いてた気がするが、この本は、何も実現しませんよ。
Posted by ブクログ
平等に関する論点が何であるか、それぞれの論点においてどのような主張がされてきたのかを概観できた。とは言えそれで『平等』に関する見識が深まったかと言えば、疑わしい。一つには平等に対する視点は概して常識的なものが多く、意外な盲点のようなものが少ない事。もう一つは著者が導こうとしている「財産所有のデモクラシー」なる概念が何なのかが説明されないために、平等社会の具体的な姿がイメージできないこと。
格差や平等を考えるときの重要な視点として、インセンティブの要素は外せないと思う。どんなに頑張っても結果が変わらないなら、人は頑張れない。社会体制がどうとかいう問題ではなく、人の動物としての本能に近い。「財産所有のデモクラシー」がどんな社会を明示するのかはわからないが、その平等社会で人々のインセンティブをどう設計するのかに対する答えが用意されていなければ、広く賛同を得ることは難しいのではないか?