あらすじ
京都は旧国名ヤマシロ(山城、山背)。ヤマシロとはヤマウシロ、すなわち「ヤマトの後ろ」を指す、大和(奈良)のダークサイドである。794年、桓武天皇は奈良を捨て、京都に遷都する。平安京は新羅系・秦氏の土地に建てられた百済系・藤原氏の都だった。そのため、京都に祀られる神社はほとんどが渡来系なのだ。京都に残る歴史の痕跡の中に、日本人の正体を解き明かすヒントが隠されていた!
京都に残る歴史の痕跡の中に、日本人の正体を解き明かすヒントが隠されていた!
京都は旧国名ヤマシロ(山城、山背)。ヤマシロとはヤマウシロ、すなわち「ヤマトの後ろ」を指す、大和(奈良)のダークサイドである。
794年、桓武天皇は長らく都をおいた大和の地を捨て、京都に遷都する。平安京は新羅系・秦氏の土地に建てられた百済系・藤原氏の都だったが、大陸からの組織力を背景に平城京から都を奪い去る。そのため、京都に祀られる神社はほとんどが渡来系なのだ。
平安京の歴史は、日本人が藤原氏の呪縛から解き放たれるまでの、長い苦難の道である。
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Posted by ブクログ
著者は、中大兄皇子とともに乙巳の変をなした中臣鎌足を百済王子の豊璋であったと考え、平安京は鎌足を始祖とする百済系の藤原氏が自分たちのため、自分たちの都合の良い天皇(桓武天皇のお母さんは新羅からの渡来人。)のために造った都だとしていました。
聖徳太子や山背大兄王は始めからいなくって、改革派だった新羅系の蘇我氏を滅亡させた自分たちの行為を正当化するために藤原氏が日本書紀などの歴史書を捏造したって考えているみたい。
その角度で桓武天皇があわただしく藤原京から長岡京、平安京と遷都した意味を考えた1冊でした。
確かに歴史は勝者のものだものね。
天武天皇の後を継いだ持統天皇が、天武系とは別系統の王朝を立てたと考える理由がこの本には詳しく出ていなかったので(確かに持統さんは天智天皇の娘だけどお母さんは蘇我氏だし…)その辺りもいずれは確認したいと思います。
あと、東国に藤原の敵がいたと考えるならば、やはり継体天皇についてもっと言及して欲しかったかも。
これも他の本に書いてあるのかな?
歴史本はいろんな角度からいろんな考え方があるから、面白いなぁ♪
Posted by ブクログ
蘇我氏が改革派というのは納得。
でも、聖徳太子非存在というのは…う~ん。でも、妙に納得しちゃったんだよねぇ。。。
最後の坂上田村麻呂の項は、自分が東北出身なこともあり、
かな~りおもしろかった。
確かに地元では愛されてるなぁ。。。とこれも納得。
とりあえず、藤原氏pgrww
DQNの日本代表みたいなもんかww
Posted by ブクログ
平安京の成立に絡む藤原氏の陰謀と没落を解き明かそうとする試みをしている。一応、章や節のはじめに観光案内らしきものを入れているが、基本的には歴史の考察。かなりオカルトよりの内容であるものの、元々史料の少ない時代でもあるためその辺りはしかたのないところか。
平安京の成立の根幹には聖徳太子の存在あり、という仮説をもとに論が展開する。そのため聖徳太子の非実在説を積極に取り入れ、なぜ聖徳太子が生み出されたのか、その理由や役割についてかなり詳しく説明している。この部分の説明はかなり説得力があった。一方で、藤原氏、ひいては中大兄皇子や中臣鎌足を”悪者”とするための理論はかなり複雑であると同時に、結論のために論を組み立てた感があった。
Posted by ブクログ
京都というか、平安京の成り立ちと絡めて
古代?中世の権力争いを割と面白おかしく書いてある
本。
あまり説得性というか学術的な見地には欠けているのでは
と思われる内容。
藤原氏・蘇我氏・秦氏。百済系渡来人・新羅系渡来人・
武士と貴族と天皇の関係。蘇我入鹿が聖徳太子であり
蘇我入鹿を暗殺したのは中大兄皇子・中臣鎌足ではなく
秦氏であり。東国・蝦夷との関係。壬申の乱の大海人皇子・天武天皇
は蘇我氏の流れをくむとか。
蘇我氏・藤原氏・秦氏の対立を推理小説的な物語として
構築している所は真偽はよくわかりませんがよく考えてあるのでは
と思いました。