あらすじ
〈さびしい、苦しい〉老い方にさようなら!
世界的な霊長類学者が教える、人生後半戦が「希望」となる考え方とは?
・人間はなぜ“人生後半戦”が長いのか?
・“老いるほど美しくなる”ゴリラに学ぶべきこと
・身体が弱くても大丈夫――河合雅雄さんの創造性
・「離婚なんて怖くない」理由を知っていますか?
・狩猟採集民的な「学びのモデル」を復権する
・過去との出会い直しは、老年期の最大の特権……etc.
じつは、人間だけが、長い時間をかけて老いと向き合います。
動物は、基本的に繁殖能力がなくなったら死ぬので、長い老年期というものがありません。人生後半戦をどう生きるかというのは、人間だけがもつ問いです。
いつからか人は、何歳まで生きるか? という寿命が大きな目標になりました。しかも、“長寿を前提に”人生を設計するようになりました。
本書では、人生の老年期をどう捉え直したらいいのか、老いをめぐる新しい思考法を提示したいと思います。
――「はじめに」より
ここから新しいライフステージがはじまる感動の書!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
老いるとは衰えることだろうか。京都大学前総長の霊長類学者・山極寿一はそうは見ない。ゴリラの群れを観察し年長の雄が力よりも知恵や経験で仲間を導く姿を記してきた。人もまた老いを重ねることで見えてくる世界がある。若さが速さや成果を誇るなら老いは待つこと、譲ることを学ばせる。時代は変わり世代の価値観は交わらぬように見える。だが老いの思考法は断絶を埋め人と人を結ぶ回路となる。弱さに意味を見いだせるか――社会の成熟はそこにかかっている。
Posted by ブクログ
これからの生き方は、複数の拠点を持つことという提案は目から鱗だった。ただ拠点を複数持つだけではたぶんダメで、そこにほんの小さなものでも人間との関係性が必要だということも理解。2拠点、あわよくば3拠点生活とか近い将来できないものかと遠くを見ながら考えてしまったのでありました。
Posted by ブクログ
人間と近しい生き物である類人猿の行動を観察、把握し、それを人間の行動に当てはめて考えてみよう、という学問を基礎に書かれた本。多くの生物は生殖を行えなくなると死ぬが、人間だけそうなった後も長く生きる。それは老人が子供の育成などに一役買って来たからだ、というような内容が書かれている。
確かに人間は猿の一種ではあるので、なるほどそうなるのかと思うことが多かった。
共同体と家族のどちらかには属しておくべき、という話は私の老後の指針になりそう。
ただ、世代間のギャップを感じる内容も多く、この本で批判されている最近の人間の挙動は、私が老年期に入るころにはそれが当たり前の世界になっているはずなので、そうあるべきではないと言われてもどうにもならんのではないかなァという印象を受けた。まぁまだ少し読むには早かったのかもしれない。
Posted by ブクログ
ゴリラや猿と比較した人間の老いについて語る。甥はネガティブに語られがちであるが、仲裁力、ハブになる力等、老いてからでないと引き出せない魅力がある。ゴリラは老いると、食べられなくなり、緩やかに死ぬ。老いに怯えるのは人間だけなのかもしれない。
Posted by ブクログ
老いの思考法
(How to Think About Aging)
著者:山極寿一
発行:2025年3月27日
文藝春秋
語り下ろし(「あとがき」と下記の二節を除く)
初出:
「人間の老年期とは何か」(『高校生と考える 21世紀の突破口』2023年、左右社。「思春期とは何か ゴリラからの提言」を改題、改稿)
「自然の時間を取り戻す」(『現代思想』2024年1月号、青土社。「人間と動物の境界はどこにあるのか?人間は時間を止めて文明を作った」を改題、改稿)
「あとがき」をのぞき、他は語り下ろし
ご存じ山極寿一さんは、霊長類学者であり、人類学者でもある。とはいえ、ゴリゴリの理系学者ではなく、哲学にも精通し、人間の特徴が「共感力」だと強調しながら、人間として老いを生きる価値を語っていく。一見、特に専門であるゴリラなど類人猿の生態を例にあげて、人間が本来忘れてしまった、失ってしまった部分を取り戻そう、回帰しよう、という話かなと思えるが、そうではなかった。あくまで、類人猿にも、サルにもない、人間だからこうだ、という面にスポットを当てて、老いて生きることをバックアップしていく本である。
見境のない性欲を「獣のように」と表現するが、これは全くの逆だそうである。
性暴力、とくにレイプが起きるのは人間だけで、動物はこの面で礼儀正しい。メスが発情しなければ、オスは発情できないので、レイプはない。獣からしたら「人間のように」が正解の表現となる。
これだけでも、ああそうか、意外、と思えるが、考えたら当然かも。動物たちは、繁殖力がなくなったら死んでいくのに、人間だけはそうでなくなっても生きている。子育てを手伝うためだ、とよく解説されるが、堅苦しくいうと「共同保育」というそうである。そして、その根本は二足歩行にあるそうである。
二足歩行となり、前足が手として自由を得た代償として、人類は難産という宿命を背負った。歩行しやすいように骨盤がコンパクト化し、産道を拡げにくくなった。その結果、出産は命がけの一大事となり、経験のあるおばあちゃんの力を借りることが欠かせなくなった。さらに、一度に多くの子を産むのが難しくなり、次の妊娠ができない授乳期を早く終わらせ、出産間隔を短くして多産しないといけなくなった。だから、おばあちゃんの子育て、つまりは共同保育が非常に重要となってきた。多の動物が数年ある授乳期が終わると、普通の食事をするのと違い、人間だけが1年ほどの短い授乳期を終え、離乳食という特有の食生活をするようにもなった。
この共同保育を通じ、人間は家族という集団と、共同体という集団の両方に所属することになる。類人猿もサルも、自分に利益がなければ集団を離れるが、人間だけはそうではなく、他の人や集団の利益になるためにそこに属し、力を貸す。そこに、相手の気持ちをおもんぱかる「共感力」があるからだという。
人間社会だけにある「離乳期」「思春期」「老年期」。これが形成された根源である二足歩行。なるほどと思える理論だった。そのまま、ずるずると引き込まれる一冊。
***
Ⅰ章
人間だけが長い時間をかけて老いと向き合う。動物は基本的に繁殖能力がなくなったら死ぬので長い老年期がない。
人間社会は「離乳期」「思春期」「老年期」という固有の三要素から成り立っている。
(動物にはなし)
介護を人類の進化史にたどると、最古の例は180万年ぐらい前。
介護は猿や類人猿にはない人間に特異な行為。
人間は700万年前に二足で立ち、産道を拡げられなくなった。
200万年前には脳が大きくなり始めたが、産道が狭くて小さな脳で生まれ、生後1年で脳が倍になる。ゴリラの4倍の速度。
人間にとって、出産は命がけの一大事となり、一人では子を産めなくなったため、これを手伝う「おばあちゃん」たちの助けが必要になった。
また、人間は一度にたくさん産めないので、離乳期の子供をみんなで育てる必要が生じた(次を産むため出産間隔を縮める)。おばあちゃんが手をさしのべてくれた。
ゴリラは老いるほど美しくなる。
老齢のオスは、年を取ると背中が白銀色に染まって、シルバーバックとなる。頭頂部も突出して堂々と。白銀色の毛が腰や脚にまで広がったオスは、群れの先頭に立って暗い森を移動するときも、仲間を迷わせない。白銀色に光り輝くため。
ゴリラは父親が子育てする
ゴリラの赤ちゃんが離乳したら、母ゴリラは父ゴリラに預け、育児を任せる。子供たちは一日中父親の後をついて回る。かたや母ゴリラは、育児から解放されて発情し、次の子供をつくる。メスは別のオスのもとへ走る場合もあるが、子供たちは父ゴリラのもとに残る。
育児をするとイケメンになる
名古屋の東山動物園で、世界的に有名になったイケメンゴリラのシャバーニは、10歳ごろにオーストラリアの動物園から来たが、当時はどうしようもないヤクザなゴリラだった。だが、子供ができて育児するようになると、がらりと変わってカッコよくなった。
*現在、家族と暮らすゴリラのオスは日本に3頭のみ(京都、名古屋、東京)。
集団の違い
ゴリラは家族的な集団しか持たず、複数の家族で集まらない。
チンパンジーは家族がなく、共同体的な集団しかない。
人間だけが「家族」と「複数の家族を含む共同体」という重層構造の社会を作った。人間だけが相手の側に立って考えられるから両立できるようになった。
自己主張
ゴリラのドラミングは宣戦布告ではなく(相手と自分が対等だという)自己主張。メスはしばしば興奮しているオスをなだめる。
チンパンジーは胸を叩く代わりに周囲を叩いたり、足を踏みならしたりする。
人間は歌舞伎の見得というポーズがそれに当てはまる。
ゴリラは負けない
負けるポーズが存在しない。
オス同士がぶつかりそうになっていると、別のオスやメスが割り込んできて、対立する仁藤のオスの軌道修正をする。双方がメンツを保って引き分け。
ニホンザルの勝ち負け
互いの強さを非常に意識して暮らす。対立が起こりそうになると、弱い方が必ず先に退き、勝ち負けがすぐにつく。勝つことと、負けないことは違う点が重要。
「離乳期」
人間は一度にたくさん子を産めないため、出産感覚を縮めて多産多子にするため、赤ちゃんを早く乳離れさせる必要があった。類人猿と比べて驚くほど早い。人間にしかない「離乳期」が発生した。
・乳離れ:ゴリラ3-年、チンパンジー4-5年、オランウータン7-8年
「思春期スパート」
人間は脳の成長が異様に早い。生後1年で2倍。ゴリラは4歳で2倍になり止まる。
人間はその後も12~16歳まで脳が成長し、摂取エネルギーの大半を脳の成長に回す。
それが止まると今度は身体の成長→「思春期スパート」が始まり脳の成長に体が追いつく。
「長い老年期」
離乳期や思春期スパートといった不安定な時期は、親だけでは子が支えられないために共同保育という行為が発生する。
「メンタライジング」
人間は25歳ぐらいまで社会的認知能力が発達する。メンタライジング。他者の心の状態を推論・解釈。3者間、4者間の社会交渉でそれぞれが何を考えているかを推し量る。共感力を働かせて仲間を助ける行動が得意なのは高齢者。
「ゴリラはボケる」
認知能力の衰えの「ボケ」ではなく、遊び心の「ボケ」。
ゴリラもボケる。テレビカメラを意識してわざとやらなかったりする。
人が言葉を話すはるか以前から、音楽があり、踊る身体が発達した。人間は長らく生身の身体の共鳴を大事にする社会を形成してきた。
Ⅱ章
野生動物に鬱はない。例外として、動物園ではゴリラが鬱になることがある(人目にさらされすぎて)
「サルに猿真似はできない」
猿まわし芸は行為を誘導されて繰り返しているだけで、真似ができているわけではない。サルには猿真似ができない。
学習して真似る=「まねぶ」ことができるのは人間だけ。
人間は、サルにはない「スカフォールディング」(足場かけ)という能力を持っている。子供たちがここを切り抜ける能力がないというのを大人が見定めて、先を読んで必要な手助けをして、サポートしてあげる教育的能力のこと。
(サルは自分と子供の能力を同一視している)
「冗談関係」という概念
文化人類学の概念。父母は子供からすると叱られたり罰せられたりする恐い存在であり、本来、親は教える立場には立ちにくい。一段階上の高齢者は、直接の子供ではないし、年齢も離れているから、保護者的な存在でありながら遊び相手になれる。冗談が通じ、性的な冗談も言えてしまう。
ゴリラは豪快に笑う
お腹をボコボコと振動させながら笑う。ゴリラの腹はパンパンに張っているように見えて、実はグニャグニャ。全身に力が漲る時だけパンパンになる。
「共感力」が家族と共同体の二重構造を成立させた
家族は見返りを求めずに奉仕しあう組織、共同体は自分が何かをしてもらえば恩返しが必要な組織。編成原理の異なるこの二つを両立させたのは「共感力」。相手の立場に立って物事を考えたり、長い時間軸の中で自分も身体が動かなくなったり困ったりすることを想像し、自己利益を求めずに相手のために尽くそうと共同体のために働くのが人間。
他の類人猿でもサルでも、利益が落ち始めたら他の集団に移り、元の集団のアイデンティティは失う。人間は自分の不利益を承知で仲間に尽くすことができる。元の集団のアイデンティティを保ったまま他の集団に入れるし、自分がハブになることすらできる。
動物の社会では性交渉はオスとメスを結びつけない。
Ⅲ章
26年ぶりでもゴリラは覚えていた
1980年にルワンダで調査をしたマウンテンゴリラ6頭の中の1頭、オスのタイタン、6歳。彼はよく山極氏に遊びをしかけてきたので仲良くなった。約2年間、ゴリラのなかで暮らした。
テレビの企画で26年ぶりに会いに、2008年に現地へ。研究者としてではないので、8メートル以内には近づかない、観察は1時間以内。
会ってもポジティブ反応なし。2日後にもう一度会いにいくと、真っ直ぐ近づいてきて、まじまじと顔を見つめた。著者が発したあいさつ音に同じように応え、顔がみるみる子供っぽくなった。そして、突然仰向けになって、腕を頭の後ろにして寝転んだ。昔、よくやっていたポーズ。覚えていた。彼は34歳、人間なら70歳。
ゴリラの記憶のなかには、時系列で何かが並んでいるわけではなく、ランダムに過去の記憶がしまい込まれていて、体の感覚と連結しているのだろう、とのこと。
老年期の大きな楽しみの一つは、身体に眠っていた過去の記憶との再会ではないか、と著者はつくづく思った。
ゴリラは引き分けルール
群れ生活をする霊長類は、餌や交尾相手を巡って必ずトラブルが起きる。
集団生活のためにはルールが必要。
優越を基準に社会をつくるニホンザルは弱い方が譲る。単独で生活しているサルは離れあうことでトラブルを防げる。
類人猿は「力の弱い方が譲る」という優越中心のルールとは別に、第三者が入って勝ち負けをつけずに、お互いのメンツを護って引き分けるルールを作っている。
シルバーバックは振り返らない
ゴリラのリーダーはまず振り返らない。そのために白銀色の背中(シルバーバック)がある。暗闇に浮き上がるそれについていく群れは安心。「背中で語る」。
Ⅳ章
「ダンパー数」
人間のネットワークの基本は1.5人から始まる。多くの人にとって、極めて親しいパートナーが1人いるので、1.5人が最小単位。
その3倍数ごとにそれぞれの集団のまとまり方や機能が変わる。
・1.5×3=4.5→5人:音楽のバンドなどちょっとしたチームの単位、すぐに行動できる
・5×3=15人:小回りはきかないが多様な意見を取り入れて新しいことができるチームの規模
・15×3=45人(約50人):組織としての構造が必要になり、重要な役割を果たすのが経験知を持っているある程度年配のリーダー。
・50×3=150人:ここまでが、ルールを厳格に作らなくて民主的に回していける組織で、1人のリーダーでギリギリ回せる規模
*ロンドンで100年以上続いている老舗会社の多くは300人以内
*日本では100年以上が4万社を超え、世界で最も多い。その9割以上が中小企業。小規模は組織としてマネジメントしやすく存続しやすい。
「獣のように」は完全に逆
性暴力、とくにレイプが起きるのは人間だけ。靴に発情したりするようなフェティッシュな性的欲望も人間だけ。逸脱した性行動を「獣のように」と表現するが、これは完全に逆。
動物は礼儀正しい。メスが発情しなければ、オスは発情できないので、レイプはない。獣からしたら「人間のように」がぴったりの表現。
・260万年前:世界最古の石器が現れる
・100万年前:火の使用が始まる
*火の周りで人は集い、歌い、踊ることにより団結力を高め、現世とは違う世界へと想像力を拡大した。音楽的コミュニケーションにより、仲間と共有する時間を自ら作ることができるようになった
・7~10万年前:言葉が現れる
・約1万2000年前:農耕・牧畜を初めて食糧生産革命
・18世紀の終わり:産業革命
Posted by ブクログ
ゴリラ研究から日本人の老いについて書かれていて、人間と異なる点は相手に共感し、相手のことを想像して、行動するコンパッションにあるといいます。
また、良い老いの3条件に、松下電気創業者の松下幸之助氏のリーダーの3条件を上げていました(愛嬌があること、運が良さそうに見えること、背中で語ること)。
その内の運が良さそうに見えることとは、皆んなに惜しみなく分け与える振る舞いこそが、運の良さそうな人に現れる資質であり、自分が持っているものにこだわらないという境地こそひとつの老いの力という言葉に、余裕があるのは様々な経験を積んで生まれた境地なのかなと思いました。