あらすじ
1910年代末のアメリカ。ケチな詐欺で食いつないでいたジョン・R・ブリンクリーは、ヤギの睾丸を人間に移植して「男性の衰えた精力をみるみる回復させる」という突飛な手術を看板に、カンザス州の片田舎で商売に乗り出す。
全くデタラメな治療にもかかわらず、天才的なマーケティングで騙されやすい大衆に怪しい効能を売り込むと、インポテンツに悩む何千人もの顧客が全米中から殺到。ブリンクリーの手法は大当たりし、「カンザスの救世主」はアメリカで最も裕福な医師として成功する。
一方、偽医療撲滅運動家のモリス・フィッシュベインは、この「最悪のペテン師」を地獄に追い込むと密かに誓う。
ブリンクリーはその後も天才的な創意をくり出す。「朝飯前に金儲けのネタを3つ思いつく」という彼は、新興メディアのラジオに着目。世界最強の電波を発するラジオ局を誕生させ、「ラジオ司会者の元祖」としてリスナーにバリトンの美声で語りかける。詐欺ビジネスはますます繁盛、世間はその強力なパワーに翻弄させられる。
時は世界的な大恐慌のまっただ中。人びとは生活の不安から、有能なビジネスマンとして自分たちを率いてくれるリーダーを求めていた。天敵・フィッシュベインとの対決を経て、ブリンクリーは世間の圧倒的な支持を背景に、いよいよ政治の世界に挑戦する——
本書は、天晴れなほど大胆な悪党の評伝であり、アメリカ社会と人びとの姿をコミカルに、かつ繰り返す歴史を警告的に描く傑作ノンフィクションである。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ヤギの睾丸を移植した、では全く語りきれない、稀代の詐欺師、ブリンクリーの生涯。
20世紀初頭のアメリカというピンポイントな時と場所が、ブリンクリーを産んだ、とも言えなくもない。科学がいろいろな不可能を可能にし、人々は「科学」ぽいものに簡単に騙された。また、規制は次々生まれる科学にも詐欺師の手口にも全く追いつけず、医師免許がなくても医師を名乗ったり、医師免許も金次第で簡単に取れたりする。
まずい手術、不用意な薬品の販売、など何人の命を奪ったかも分からない偽医者だが、人々からの人気は絶大だった。
作り話よりも嘘みたいなブリンクリーの活躍?に前半は心躍らせながら読んでしまった。ただし、何百人もその裏で命を奪われたり傷害を負ったりしているので、笑っている場合ではないのだが、それでも次々と詐欺を思いつき、すぐさま実行し、大量の人を騙してとんでもない金儲けをする(そして地元の町に街灯や郵便局を建てるなど、慈善的な活動も相当している)、その切れ味がすごい。
後半は、本当に被害者の姿であったり、裁判であったりが描かれるので、そんなに快活には読めないです。でも、仕方ないパートではある。
Posted by ブクログ
科学の中にある真実、人間の中にある真実。
教養のあるエリート層はフィッシュベインの正義を支持するし、他方、画期的な若返り術を受けたい人々はブリンクリーを信じようとする。
本当は、みんながフッシュベインの側について、エビデンスのない医療を撲滅するのが望ましいんだけど、素晴らしく力強い論評力を持つブッシュベインをもってしてもブリンクリーを上手く抑えられなかったのを読むと、騙されやすい人々の意識は決して変えられないのだと痛感させられる。
でも、そうした騙しの医療が猛威を振るっていたからこそ、ブッシュベインの公衆衛生にかけた正義が燃えに燃え盛っていたこともまた事実。
公的機関が公平な社会のための一応の判決を下すが、どちらが本当に正しいかは、誰にも決められない。
ただ、楽しいだけだね。対岸の火事から眺めたら、若返りをめぐる二人の対決、そしてブリンクリーに翻弄される人々と激動していく米国社会の変遷は、物語として読めばとても刺激的。
ユニークな題名に惹かれて手に取った一冊だったが、政府まで巻き込んだ二人の男の人生をかけた戦いに、予想だにしない興奮を感じた。
Posted by ブクログ
また勃起したいというマチズモに酔いしれ、気持ちのいい言葉に熱狂し、科学は面白いことを言わないから蔑ろにされるという歴史を延々繰り返しているよねっていう延々繰り返された警告のノンフィクション。ヤギの睾丸移植手術が拡がった歴史的背景の解説が面白い。
2008年の古い本が再度翻訳されたのは、つまりはMAGAってのがマチズモに飢えたアメリカ社会が新たに装着した金玉だぜってことなんだろうけれど、本著が警告だとするならばそれは既に敗北している。本作では科学が勝利したが、21世紀は科学が敗北する。誰もが耳心地のよい言葉と劣等感をぬぐう興奮に酔って新たな金玉を装着して喜んでいる。
熱狂させる物語は心地良いが、政治や社会といって物事についてはつまらない退屈な事実にこそ耳を傾ける必要がある、という事実をわかり切っている人にはこんなに長い本を読む必要はないし、わからない人がこれを読んでも「奇書を読んだぜ」みたいな安っぽいスノビズムに酔うくらいで現実には活かせやしないだろう。警告の傑作ノンフィクションと銘打つには、その力は無いと思う。
章立てが特になくずっと事実が続くので、ちょっと退屈でもあった。