あらすじ
悪臭のする不衛生な「ゴミ屋敷」で、他者の介入を拒否し、物に埋もれながら暮らす人々が増えている。彼らの多くは、実は「セルフ・ネグレクト」の状態にある。セルフ・ネグレクト(自己放任)とは、自分の生活に極度に無関心となり、著しく生活環境と健康状態が悪化する状態のことで、やがては孤立死に至る。毎年2万人に上る孤立死の約8割は、このセルフ・ネグレクトが要因とも言われている。彼らはなぜ自らの人生を「放棄」し、ゆるやかな死を選ぶのか。少子高齢化、家族崩壊、高齢者虐待などを背景に急増する、現代の病理に迫る画期的な書。
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Posted by ブクログ
『ゴミ屋敷』というタイトルだけ見た時は、まさか自分に関係ないと思い読み始めたら、そうでもなくて驚きました。
サブタイトルは、『孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態』とあるとおり、誰にでも訪れる可能性のある ”孤立死の本” です。
まず「セルフ・ネグレクト」ってなんだろう?と思いました。
個人的に分かり難いカタカナ語は苦手だし、広く一般的に普及させるのに、余計な時間がかかるので、どうしてこうも分かり難い名称を使うのだろう?と不思議で仕方ありませんが、本書はその謎も丁寧に解説してあります。
個人的に、セルフ・ネグレクトは、”孤立死の前段階” だと理解しました。
老化や病気で体が思うように動かなくなり、無気力、自分は駄目だ、生きる資格がない、死にたいという思想から、部屋を片づけなくなり、ゴミ屋敷と化す。
心理学の本や、犯罪の本、うつ等の本を読んでも、掃除できない人、物が必要以上にある人は、なにかの兆候だったり、SOSのサインでもあると必ずでてくるので、自分でも気をつけようと思いました。
私は掃除する時間があるなら、本読んでいたいと思うのですが、大量の本をどうにか整理整頓しないといけない!と強く感じました。あぁ。。。
Posted by ブクログ
■セルフ・ネグレクトの定義
①個人の,或いは環境の衛生を継続的に怠る
②QOL(Quality of Life)を高めるために当然必要とされるいくつか,或いは全てのサービスを繰り返し拒否する
③明らかに危険な行為により,自身が危険にさらされる
■セルフ・ネグレクトの特徴(以下の一つでも当てはまる場合セルフ・ネグレクトの疑いがある)
①身体が極端に不衛生
②失禁や排泄物の放置
③住環境が極端に不衛生
④通常と異なって見える生活状況
⑤生命を脅かす自身による治療やケアの放置
⑥必要な医療・サービスの拒否
⑦不適当な金銭・財産管理
⑧地域の中での孤立
Posted by ブクログ
マスメデイアで時々話題になるゴミ屋敷。怖いもの見たさで買ってみたんだけど、読んでみて、これは身近で切実な問題であることに気づかされました。セルフネグレクト、孤独死ということ。
Posted by ブクログ
実家の隣がゴミ屋敷なので、ゴミ屋敷住人のことをレポートした本
なのかと思って手にしたのだが少々違った。
ネグレクト。子供の虐待事件ではよく聞く言葉だが、本書が取り上げ
ている「セルフ・ネグレクト」は高齢から来る身体能力の低下や、
認知症が原因となり自身の生活に対して極度に無関心になることだ。
それがどんなことを引き起こすのか。衣食住に関わることをすべて
放棄し、発見が遅れれば孤立死に繋がる。
そんなセルフ・ネグレクトの研究の歴史、具体的な歴史を簡潔に記述
している。
以前、お笑いタレントがゴミ屋敷の住人を説得して一緒に片づけをする
というテレビ番組を見た。今思えば、あの番組で取り上げられたゴミ屋敷
の住人はこのセルフ・ネグレクトに該当するのではないだろうか。
自分に誰かの手助けが必要なのかを認知出来ない。プライドが高くて
支援を求められない・支援を拒絶する。親族を失ったことから来る
喪失感から無気力になる。家族・親族からの虐待で「自分はいらない
存在だ」と思い込まされる。
原因は様々だが、そう遠くない将来、私自身がなってもおかしくはない。
そう考えるのはいささか怖いのだけれど。でも、セルフ・ネグレクトは
誰にでも起こりうることなのではないか。
「死後○日経って発見されました」。孤立死を伝えるニュースは後を
絶たない。ライフラインが止められても、個人情報保護法の壁に
阻まれていると著者は言う。
情報は守られても命を守ることが出来ない。電気・ガス・水道と言った
事業主と、福祉などの行政の連携が取れるといいのにな。
Posted by ブクログ
ゴミ屋敷の発生原因は病気や他者との接点の少なさから来るという。横の繋がりの大切さや、行政がもっと踏み込んだ行動をする事が必要と説いている。
ハッとさせられるほどの衝撃があるわけではないが、わかりやすく面白かった。
Posted by ブクログ
著者の岸恵美子氏は看護師・保健師で、高齢者虐待やセルフネグレクトの研究者。
セルフネグレクト(自己放任)の結果としてのゴミ屋敷が解説されていて、ゴミ屋敷を作ってしまう原因ははっきり分かっているわけでは無いものの、認知能力や問題解決能力が低下した高齢者に多いようだ。
個人的に興味を惹かれたのは、まだ比較的若い中年夫婦と子供の世帯の話で、家族全員が不潔すぎて銭湯から出入りを断られていて、旦那さんはゴミがない僅かなスペースで立ったまま寝ているというエピソード。
セルフネグレクトというのは覚えておきたい大事な概念だと思ったのだけど、最近You Tubeのゴミ屋敷動画に出てくるようなタイプの人は少し違うタイプのように思えて、どちらかというとそういうタイプの方が多そうな印象があります。
Posted by ブクログ
セルフネグレクト、自己放任により健康や安全が損なわれていく。ゴミ屋敷はそのわかりやすい例。
セルフネグレクトがテーマ。一般的に認識されていない言葉なので、ゴミ屋敷をタイトルにしたのでしょう。
Posted by ブクログ
やばいこれ、将来の自分かも、と思いながら読んだ本。人間年取ってくると自分を大事に思わない時間が訪れることがあるんだと思う。年を取るのは人間誰でも初めての経験なので、どんなに先達の話を聞いても、さて自分のこととなるとどう御してよいのかわからないということがあるんだろう。ちょっと自分はやばいです。ゴミ屋敷に住むBBAになっちゃいそう。
Posted by ブクログ
「セルフ・ネグレクト」聞きなれない単語である。でもなんとなく想像がつかない? 自分で自分に対する行動を放棄する。消極的自殺。
この本に淡々と書かれている事例は氷山の一角だし、さらに一角ですら突き詰めるともっとすごいものが出てきそう。
もちろん、これを読むだけで解決はしないし、各自で考えるものだから。きっかけとして老いも若きも一度知っておくといいんじゃないかな。と思いました。
オススメ
Posted by ブクログ
もうちょっと個人の事例と言いますか、孤立死の実情みたいなのを知りたかったなぁ…という感じですけれどもまあ、そこは著者も言っているように「個人情報保護」だとかね、そういうのが意識されるようになってきた世の中ですから、なかなか難しいのが実際のところなんでしょう…社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
というわけで、孤立死を防ぐためには云々…みたいなね、対策がズラズラと並べられていた気がしますけれども、細かいところはもう忘れました♪
という感じでですね、ゴミ屋敷になってしまう人っつーのはこう…「生きる気力が低下した人たち」ですね! 高齢ともなるとやはり身体も衰えてくるでしょうし、自分の死期? というのもなんとなく意識して来る頃でしょうからアレですね、地域・家族から孤立している人なんかはどうでもよくなってしまうんでしょうなぁ…
などとまだその年齢になっていない僕ですけれども予想してみます…。ま、著者同様、こうした人たちは今後ますます増える一方でしょうから、国も本気になってですね、対策を考えていかねばと思いました…さようなら。
ヽ(・ω・)/ズコー
Posted by ブクログ
○看護師、保健師で、高齢者ケアなどに関する著作・論文の多い岸氏の作品。
○社会問題となっている「ゴミ屋敷」に住む人々について、著者自身の経験を踏まえ、具体的な事例や原因、対応策などについてまとめたもの。
○いわゆる「ゴミ屋敷問題」のうち、本書では、特に高齢者(又は障害者)によるゴミ屋敷問題を中心に捉えており、その大部分は、認知症を原因とするものが多いということ。
○これからの高齢社会の進展を見据えると、さらにゴミ屋敷も増えてしまうのだろうなと心配になる。
○最近は、空き家問題なども話題になっているが、それも高齢者による各種対応がままならないことも要因なのだろう。
○著者のように、介護や看護を中心とするソフト面での対応が必要なのはもちろんだが、不動産の仕組みや制度などのハード面も、高齢社会を見据えて必要な見直しをした方が良い時期にきている。
Posted by ブクログ
その本質は「セルフ・ネグレクト」について。老人ネタだけなのが不満ではあるが「気力を失った人々」と読み替えることである程度補完はできる。人生を諦めてしまうという大元の問題は共通していて、そこに至るまでの様々な問題が個人差大きく、また周囲から気付かれにくいという難点があり(プライバシーに関わるので当事者が強く嫌がり、他人が踏み込み辛いという問題)、完全な解決には時間と法的整備が必要だなあという感想。
Posted by ブクログ
この本のタイトルに10年以上前に読んだ、精神科医の春日武彦先生の著書「病んだ家族散乱した室内」に登場したゴミ屋敷探訪の様子を思い出しました。最近NHKの特集番組でも取り上げられるゴミ屋敷!そこに住む人々の実態は?
というと近所迷惑な人々・・関わりたくないとか単なる興味本位で捉えられがちですが、ゴミに埋もれて住むという普通ではない生活に至るプロセスはその結果が異なっても、決して自分だけはこうならないという保証はどこにもないといえます。
副題にある”孤立死を呼ぶセルフネグレクト”のセルフネグレクトという言葉は聞きなれない言葉ですが、直訳すれば自分自身への虐待ということになります。この場合の虐待という意味はむしろ消極的に「自分自身の放置・放任」ということになるそうですから、消極的な自殺とか自傷行為という概念になると考えれます。そのため、孤立死というあまり望まれない臨終の場面を迎えることが多くなり社会問題になるのです。
著者は、保健師をしていた時の体験を基に、事例を紹介し、セルフネグレクトに陥る実態を分類していますが、様々な事情が関係していることが分かります。
この中でも意図的にセルフネグレクトを行っているケース、例えばこのままにすると生命を脅かすことが明らかでも「俺のことはほっといてくれ!」などと援助を拒否する人々の扱いは現場ではいちばん頭を痛めます。
ここで、生存権という憲法用語に比して「愚行権」という用語が印象的でした。それは他の人から愚かな行為と評価・判断されても、個人の領域に関する限り邪魔されない権利とありました。米国では意図なセルフネグレクトは支援の対象からはずされるとのことですが、ここで著者も述べているように、日本ではこれには違和感があります。単に自分で決定したこと、つまり自己責任としてしまうのはやはりあまりにも情がない対応ではないかと思うからです。昔から地域での互助組織を向こう三軒両隣といいますが、多少おせっかいでも助けを必要とする人々に手を差し伸べる、また、助けを求められる関係を築くことは大事だと改めて思います。そして、自分自身を大切にすることを誰もが行えるためには周囲の温かい愛情が欠かせません。この世に生を受けた貴重な存在であることを誰もが忘れないでいてほしいと思いました。