あらすじ
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【本の説明】
フリーランスとして新たな活動をスタートさせた、渡邊渚のフォトエッセイが刊行決定。
本書のために書き下ろされた長編エッセイと、新境地を感じさせる充実のフォトパートで構成される一冊です。
【渡邊渚コメント】
このフォトエッセイは、渡邊渚を知っている人はもちろん、生きづらさを感じている人や病と闘っている人、それを支える周囲の人、同世代の将来に悩む女性など、様々な人たちに届いて欲しいと思って制作しています。
この本のために書き下ろしたエッセイと、新しい自分を表現した写真たち。27歳の今を全て出し切るつもりで、ただいま絶賛執筆中です。
みなさんの心に私の言葉たちが届くように思いと願いを込めているので、手に取っていただけたら嬉しいです。
(2024年11月28日 記)
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匿名
一人の「渡邊渚」の人生から学ぶ
人生観、哲学、人の心理などについて考えさせられた。
病気や入院を通してそこから変わっていく身体や心理的な変化も細かく描かれており、とてもリアルで飾られておらず良かった。
最初から最後まで飽きずに一気に読み終えるくらい良書です。
Posted by ブクログ
渡邊渚フォトエッセイ
透明を満たす
著者:渡邊渚
Photographer:三宮幹史(TRIVAL)
発行:2025年1月29日
講談社
著者は2020年4月にアナウンサーとしてフジテレビに入社。2023年6月某日、仕事の延長線上で起きた出来事により、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、入院生活を経て、2024年8月に退社。その後はフリーランスとして、Web等でエッセイ執筆、モデル、バレーボール関連MC、メンタルヘルスに関する講演などをしている。アナウンサーの肩書きを離れて活動。
その日に何があったのかは、一切、触れていない。ただ、「誰かの悪意や悪巧みのせいで病気になって」と、それが計画的だったことを臭わせている。また、トラウマとなった出来事に関するフジテレビ社内の対応についても触れていない。
生きているような、死んでいるような。身体に力が入らない。ニュースを読む自分を高さ3メートルくらいから見下ろしているようだった。浮遊しているように視界が揺れていて、何もかもが遠く感じた。
4日後、やっと予約の取れた心療内科を受診。そもそも心療内科、精神科、メンタルクリニックの違いも分からない。どこも予約がいっぱいだった。会社に迷惑をかけないように休まず、たどり着いた診療内科。「病院に行ったから、もう大丈夫」と思ったが、そこからが始まりだった。
食事は殆ど摂れなくなっていて、1日に小さなぶどうを10粒が精一杯。1ヶ月で体重が5キロ落ち、立っているのもままならない。笑顔での進行も苦しく、歩くことも難しくなった。トラウマ体験から1月後、医師の判断で緊急入院に。2023年7月12日、栄養失調で消化器内科に2週間の予定。しかし、2週間後にはさらに悪化して退院できず。仕事が別の人に取られていく焦燥感、入院費も深刻で、個室なら1泊4万円するため1週間で給料が飛んでしまう。毎夜、フラッシュバックで眠れない。「ギャー」という幻聴・・・それが、あの時に叫びたかった自分の声であったことに気づく。
皮膚はボロボロ、そこに爪を立てて引っ掻きまくる。全てを終わりにしたかった。ついに自傷行為。出血。トドメを刺せないでいると、残された道具であるボールペンを握りしめて号泣。看護師に発見されて死ねなかった。
数日後、精神科へ転棟。PTSDと診断された。主に、再体験、回避、過覚醒の三大症状が出る。再体験とは、トラウマの記憶が自分の意志とは無関係に思い出されて恐怖や無力感を感じ、被害が続いているような現実感が生じたり、フラッシュバックしたり。回避はトラウマに関する状況や物事を避けてしまう。著者はトラウマが雨の日だったので、雨を異常に恐れたり、その日に食べた食材を見るのが恐くなってスーパーにも行けなかったり。過覚醒は、常に神経が張り詰め、眠れない、ドキドキする、物音に過剰反応する、など。
元々光線過敏症だったが、皮膚の状態がさらに悪化したため、日光は一切浴びてはいけなくなった。窓には紫外線防止シートと段ボールが貼られ、個室には何の光も無くなった。ボールペンや長めの紐類、コード類なども没収された。
真っ暗な病室での日々。しかし、少しずつ食事とも向き合うようになった。多くの食べ物を一度に見ると気持ち悪くなるため、小児食を一口ずつ。友人から来るLINEに「ご飯食べてる?」と書かれていて、苛立ち、思わず喧嘩をしてしまったことも。
退院し、2ヶ月ぶりに自宅へ。今度は、身の回りのことをすべて自分でやらなければない不安。案の定、体調悪化、毎日微熱で関節痛。ペットボトルのキャップすら開けられない。病院までの道のりが辛い。電車に乗るとパニックを起こし、タクシーで知らない運転手と一対一でいるのが耐えられない。そんな日が続いてさらに体重が落ち、PTSDになる前より9キロも痩せた。半年もたたないうちに体重の17%を失う。大量の髪が抜ける。
自宅療養が始まって半年。担当番組からほぼ全部外され、仕事への執着がなくなった。外にいるところを視聴者に見られると、病気で休んでいるのに遊んでいる、と言われるかもしれないので、家に閉じこもった。生ける屍とは、このことかと思う。
それでも、少しずつ前向きに思えるようになり、2024年4月には、主治医に勧められていた「持続エクスポージャー療法(PE)」を始めることにした。PTSDに対する治療法で最も効果があると言われているが、トラウマの記憶に触れて整理し、乗り越えていかなければいけない。
回避している状況や対象について向き合う「現実エクスポージャー」と、トラウマ記憶に立ち戻る「想像エクスポージャー」があるが、後者はより過酷で、口にすら出したくない出来事を自ら何度も何度も話し、その録音を毎日聞いて、思い出したくもない生命を脅かされた出来事と向き合う。
週1回のカウンセリングが90分で1万4000円。それを10-15回受けた。精神科と皮膚科への通院、以前から抱えていた腎臓系の病気治療もした。高額な治療費を払うなら、絶対に良くならないといけないと思ったので、頑張れた面があった。
いま、著者は積極的に自分のプライベートや悩みをSNSで発信している。「死ぬ死ぬ詐欺」「とっとと死ね」「病人らしく静かにしとけ」といったコメントが届くようになったが、あまり傷つかなかったという。そんな言葉より、PTSDになったきっかけの方がよっぽど辛かったから。
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このように、著者は想像を絶する辛い思いをしてきている。そのように彼女をおいつめた〝犯罪行為〟に満腔の怒りを覚えるばかりだが、アナウンサー、とりわけ「女子アナ」という特別な職業についての異様さ、異常さも、この本から垣間見ることができる。
著者は2020年4月、スルッと社会人になった。スルッというのは、新型コロナウイルス感染症が流行り始め、大学の卒業式も、入社式もなかったから。研修はすべてオンラインで、パソコンに流れる映像をボーッと見ているだけで入って来た初任給は、ちっとも嬉しくなかった。出勤できるようになったのは夏頃で、やっと社会人になったことが自覚できたという。
新入社員のころに受けた衝撃の言葉。理想のアナウンサー像について説諭された時、「入社して3年は恋愛するな。しても絶対にバレるな。アナウンサーは人気勝負。現場のスタッフから好かれることが大事だから、もし恋愛が週刊誌とかにバレたら、あなたを好んで起用してたおじさんたちが拗ねちゃうよ」と言われた。
恋愛ももちろんしなかった。朝の番組をしていたので、深夜2時台に起床して出社、終わると別の仕事で取材やバラエティーの収録、ロケに出かけ、夜に帰宅。翌日も2時台に起きる。休日は月に4日間程度。有給もまともに1週間取れたことはない。そんな日々を過ごしていると、少しずつ身体にガタが来て、耳閉塞感と聴力低下、めまいが出て、メニエール病の診断。だが、病気と言ったら仕事が減る、我慢するしかないと思い出していた。
もともと、そんな生活の中で、2023年6月のある雨の日を迎える。その日に
「私の心は殺された」